モノが溢れているこの時代に、あえて“モノ”をプレゼントしなくてもいいんじゃない?と言う人もいるかもしれないけど…。

自分のために、あれこれ考えてくれた時間も含めて、やっぱり嬉しい。

プレゼントには、人と人の距離を縮める不思議な効果がある。

あなたは、大切な人に何をプレゼントしますか?

▶前回:出産したけど、夜遊び三昧の独身時代が忘れられない。28歳女が友人に送ったメッセージとは




樹里(34歳)「誰にも嫌われたくなくて…」


2023年、12月6日。

「これが年内最後の納品かぁ…」

ワードプレスに書き込んだ原稿を“レビュー待ち”にして電源を切ると、パタリとノートパソコンを閉じた。

― “年末進行”っていっても、私にはあんまり関係なかったかな。

編集部が休みに入る年末年始。ライターは12月分の原稿だけでなく、1月中旬までの原稿を繰り上げて納品しなくてはならない。

多くの編集部は、その締め切りを12月20日前後にもうけている。

本来なら、12月上旬は寝る間も惜しんで書きまくっている時期だ。それなのに、私にはもう仕事がない。

「去年の今頃とは大違い…」

静かな部屋に、ポツリと漏らした言葉がむなしく響く。

― 自分でもわかってる。当たり障りのない原稿ばかり書いているから、仕事が減っちゃったんだって…。

クリスマス前の街並みはキラキラと輝いているのに、私の心は暗く沈んでいた。


今から2年前、32歳のとき。

10年勤めた航空会社を退社した私は、ライターに転身した。

出版社で働く大学時代の友人が、Webコラムの枠をくれたのだ。そこでCA時代の裏話を書きはじめると、ほどなくして大ヒット。他社からも声がかかるようになり、連載は一気に6本に増え、毎月の原稿納品数は30本以上にまで跳ね上がった。

― このまま人気ライターの仲間入りをして、いつかは自分の本を出版できたらいいな。

そんな華々しい未来を思い描いていた。

ところが今年に入り、記事のPV数がみるみる下降しはじめると、連載は2本にまで激減。手が届きそうに思えた願望は、スルリとすり抜けてしまった。

私が落ちぶれていったきっかけは、些細なことだ。




2022年11月―。

「直久くん、外寒かったでしょ?今、コーヒー淹れるね」

旅行代理店で働く直久くんとは、交際2年目。お互い年末に向けて仕事が忙しくなってきたこともあって、会うのは3週間ぶりだ。

私は、リビングのソファに座る彼に、マイセンコーヒーを注いだマグカップを手渡す。

「あぁ、ありがとう。今、樹里ちゃんが書いたコラムを読んでたんだ」

「えっ、恥ずかしい。どの記事?」

直久くんのスマホをのぞき込むと、50万PV超えの人気記事“元CAが伝授!経営者との食事会で1人勝ちするテクニック”の3ページ目が開かれていた。

― あ…、これちょっと読んでほしくない記事かも。

女性同士のドロドロとした心理バトルがリアルで「エグい」と評されたこの記事は、男性が読むとドン引き必至なあんなネタやこんなネタがてんこ盛りだ。

彼も困惑したような、呆れたような顔をしている。

「これは、なかなか…だね。樹里ちゃんの実話なんだよね?」

「う…ん、そうだね。でも、昔の話だから…」

直久くんは、そのあと2回「なかなかだ」とつぶやくと、早々に帰っていった。

LINEの返信がわかりやすく遅くなったのは、次の日からだ。

とはいえ、年末進行真っただ中の私は、20日の納品を終えるまでカオス状態。2人のあいだに漂う不穏な空気を一掃する機会に恵まれることもなく、クリスマス直前には別れ話を切り出されてしまったのだった。

「こんなこと考えてる人だとは思わなかった」という、辛辣な一言をもって。

破局した直後は、昔話の1つや2つで…と彼を責める気持ちがあった。けれど、自分が書いた記事で人に嫌な思いをさせてしまったこと、さらには人間関係を破綻させるに至ったことへの申し訳なさとで、調子に乗って天狗になっていた鼻がポキッと折れた。

傷心のまま迎えた年末──。




「ただいまー。あ、お母さん」

大晦日と三が日を過ごすために、桜新町にある実家に帰省すると、母が玄関で待ち構えていた。

「樹里、あなたこんなことを書くためにCAの仕事をしていたの?」

おかえりよりも先に飛んできたのは、嫌悪感を帯びた声。それと、コラムのタイトル一覧ページを開いたスマホの画面だった。

「これ、本名で書いているんでしょう?世間からどう見られるか、考えないの?」

私が返事に窮していると、矢継ぎ早に質問される。

母もまた元CAだから、納得のいかないテーマや表現でもあったのだろうか。直久くんの話を聞いてもらおうと思ってちょっと甘えた気持ちで帰ってきたのに、それどころではなくなった。

「…いきなり何?私、疲れてるんだけど」

「ちょっと、待ちなさい!樹里っ…」

いらだった私は、母の脇を強引にすり抜けて自分の部屋に閉じこもった。荷物を床に置き、ベッドに腰を下ろす。

すると、次の瞬間どこからかフワッと懐かしい香りが立ち上った。

― あ、この香り…。


CHANELの「チャンス オードゥ パルファム」──。

「チャンス」は、文字どおり私に“チャンス”をつかませてくれたとっておきの香水だ。

フローラルだけを際立たせないピリッとしたピンクペッパーの香り、それからラストノートのムスクの香りは、その人に唯一無二の存在感と自信を与えてくれる。

CA時代のコラムをノリに乗って書いていた連載初期、毎日つけては自分を奮い立たせていた大好きな香り。直久くんも「樹里っぽくて、よく似合っている」と気に入ってくれていた。

だけど、今の自分には相応しくない気がして、少し前に自宅マンションのドレッサーの引き出しにしまったのだった。

なぜ、久しぶりに帰ってきた実家にチャンスの残り香があったのかはわからないけれど、途端に情けないような、いたたまれないような気持ちになる。私は、荷物を手に家を飛び出した。

うまく原稿が書けなくなったのは、それからすぐのことだった。




2023年12月7日―。

当面の仕事を終えてしまった私は、ベッドの中でダラダラと自分の記事につけられたコメントを読んだり、エゴサーチをしたりして時間をつぶしていた。

そこへ、「LINE〜!」と勢いよく着信音が鳴り響く。驚いた拍子に、思わずスマホを取り落としそうになった。

メッセージの送り主は、母だった。

『年末は帰ってこられるの?』

画面をスクロールすると、前回のメッセージは4月上旬だ。既読スルーしているうちに、8ヶ月近く連絡を取り合っていなかったことに気づく。

― 何て返そう…。

画面を眺めていると、次のメッセージが届いた。

『最近ね、保護猫を家族に迎えたの。よかったら会いにきて』

添付されてきた生後半年ほどのキジトラ猫の写真につられた私は、『明日、行ってもいい?』と返事をしていた。



約1年ぶりに帰ってきた実家は、すっかり猫仕様だった。

玄関を開けると、脱走防止のための柵。その先には、トイレが見える。

「あ、樹里。おかえり」

「うん、ただいま。ねぇ、この柵って猫用だよね?すごいね」

「そうそう、もう元気すぎて。今は遊び疲れてソファでぐっすり寝てるけどね。はい、スリッパ」

リビングに入ると、父と2人で組み立てたという大きなキャットタワーとケージ、エビの形をしたぬいぐるみやいろいろなおもちゃが散らばっている。

キジトラ猫は、ソファのど真ん中で眠っていた。

「うわーかわいいっ!でもお母さん、どうして猫を飼い始めたの?」

パヤパヤした毛に覆われた子猫のお腹が、寝息に合わせて上下に動く。

「去年、樹里が帰ってきたあと、大掃除の仕上げをしていたら小学校の卒業文集がでてきたのよ」

聞くと、私の将来の夢には「猫を飼う」と書かれていたらしい。でもこれって、私の夢が叶ったことには…と言いかけたが、母の嬉しそうな顔に言葉を飲みこむ。




「はい、これ。卒業文集」

母がいそいそと持ってきた文集には、決して上手とは言えないえんぴつのイラストを添えて、私のもう1つの夢が書かれていた。

「作家になる!」──。

「この前は、ちゃんと話も聞かずにごめんね。樹里が夢に向かって1歩踏み出したっていうのに、お母さん…心配でついあんな言い方をしちゃって」

「…ううん、私こそごめんなさい…」

私も、嫌な態度を取ってしまったことを謝りたいと思っていた。でも、自分がやりたいことに、母が呆れているのでは…と思うと、頑なになってしまった。母が続ける。

「年明けくらいから、樹里の書く記事がちょっと変わった気がしていたの。お母さんは書くことはよくわからないけど、ちょっと元気がないなぁって思っていたのよ。

だけど、そういうときってソッとしておいてほしいでしょう?」

母の言うとおりだ。記事が注目されるようになってからは、応援のコメントよりも、辛辣なコメントのほうが多くなった。私はいつからか、“人に嫌われない原稿”を書くことに意識を向けるようになっていた。

モヤモヤと思い悩むとき、私は昔から1人になりたいタイプだったと思い出す。黙ってうつむいていると、目の前のテーブルに白い紙袋が置かれた。

紙袋には、『CHANEL』の文字が書いてある。

「え?これって?」

「いいから開けてみて」

母に促されて袋から取り出したのは、見覚えのあるピンク色の箱だった。

― これって、昔よくつけてた「チャンス」…?

だがよく見ると、「チャンス オードゥ パルファム」ではなく、「チャンス オータンドゥル オードゥ パルファム」と書かれている。

「あなた、この前めずらしく香水つけてなかったじゃない?この香り、合うんじゃないかと思って買っちゃったの。

それに、“チャンス”って名前もいいわよね。きっと、樹里のお守りになってくれるわよ」

「お母さん…」

「あー、でもうちは猫がいるから、自分の家に帰ってからつけてみて。ヘアオイルも入っているから、一緒に使ってね」

自分の家に帰ると、早速香水のシャワーをくぐる。

「チャンス」よりも、フレッシュでみずみずしいフローラルの香り。優美なのに背伸びしすぎていない感じがいい。

薄ピンク色の見た目そのままに、ピンクの花束に抱かれたような気持ちになる。私のことを少しでもリフレッシュさせてくれようとした母の気遣いが感じられて、胸が詰まった。

同じ香りのヘアオイルが入った箱を取り出すと、母の字で書かれた付箋が貼られている。

“少し早いけど、メリークリスマス! 樹里の1番のファンより”

私はもう一度香水の香りを確かめるように、鼻から大きく息を吸った。

― それにしても「チャンス」がお守りみたいに感じるって、私ってやっぱりお母さんの子どもなんだなぁ。なんか、また頑張れそうな気がしてきた!

自分の夢を応援してくれる味方が近くにいる。

いや、ずっといたことに気づけた私は、“誰にも嫌われないように書こう”としていた気持ちを少しだけ手放して、ノートパソコンを開く。

Wordを立ち上げると、久しぶりにワクワクした気持ちで「企画案」とヘッダーに打ち込んだ。

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