「Romanticが止まらない」などのヒット曲で知られ、NHKの紅白歌合戦にも出場したC-C-Bの元メンバー、関口誠人さん(64)。安倍晋三元首相の銃撃事件後、亡母が宗教団体「エホバの証人」の信者で、自身も「宗教2世」として苦しんできたことをSNS上で明かした。いったいどんな苦しみがあったのか。フリーライターの神田桂一さんが聞いた――。
C-C-B「Romanticが止まらない」ポリドール

■「自慰禁止で自分のペニスを触れなかった」

ロックバンド「C-C-B」元メンバーの関口誠人さんは、バンドが解散するまでは「嬉しくて楽しくて、宗教のことなんか思い出しもしなかった」という。

だが、1989年にバンドが解散してからは音楽活動は暗転し、40代半ばで一度すべての仕事を失った。自暴自棄になり、酒の量だけが増える日々。音楽関係の知人、友人はくもの子を散らすようにいなくなった。そんな時、すっかり忘れたはずの「宗教2世」としての記憶がよみがえり、苦しむようになった。

2010年12月、関口さんはその時の感情をTwitter(現X)に連投している。以下は、当時の関口さんが「遺書」と呼んでいた投稿の一部である。

「トンちゃん、これはなーに……? 母が視線をやった食卓の上には僕が自室のベッドの下に隠し持っていた『平凡パンチ』や『GORO』といった当時人気の男性週刊誌、まぁ平たく言えばエロ本が数冊重ねて置いてあった。ここに座って、そう落胆しきった声で言って母は食卓の椅子を引いた。それから一体なんと言われたのかよく覚えていない。母は聖書を開いてある一節を僕に読ませその意味を説明しつつ、たしか、もうすぐ洗礼を受けようとしている人がこんな物をみているなんて、というような事をまるで思春期の少女が何か不潔なものを見た時のような印象の目をした」

「自慰行為も禁じられていた。もちろんそれをしたって破門になるというほどの罪ではなかった。この話をすると誰もが驚くし、人によっては信じないが、僕はエロ本を眺めながらも約一年間自分の固くなったペニスには一切触れなかった。触れられなかった」

「庭でたき火をした。炎の中で大好きだった南沙織の赤いビキニのグラビアが燃えていく。燃え残った黒い灰を見て、これは僕を誘惑する悪魔の仕業だからこんなに真っ黒で木の棒でつつくとむなしく崩れる燃え殻になったのかな? なんて無理矢理考えた」

■「あぁ、まだ抜けていなかったんだ」

エホバの証人の信者だった母と、連れられるように入信した宗教2世の関口さんとのやり取りからは、ことさらに性に厳しい戒律に対する葛藤と、母への屈折した愛が伝わってくる。

この時の心情を関口さんは、「あぁ、(宗教が)抜けてなかったんだって改めて思った」「死のうと思った時に、最期に出てきたのが、宗教の思い出だった。そこまで潜在的に宗教が自分の中に根付いているとは思わなかった」と語っている。

すでにエホバの証人から脱会して二十数年たっていた。そこまで、人間の奥底に入り込む宗教とは何なのか。

■父の病死で弱る母につけ込んだエホバの証人

関口さんは、母親がエホバの証人に入信したのをきっかけに自身も入信した宗教2世だ。母親が変わっていくのを目の当たりにしながら、葛藤し、自分自身は宗教を拒み、20歳の時に排斥(エホバの証人から排除、追放されること)されるに至る。

母親の入信のきっかけは、父親の病死だった。

「父が、僕が小学校1年生の入学式の時に結核で死んだんですけども、その後2年くらいたって、母が相変わらず憔悴(しょうすい)しきっているところに、エホバの人が、家庭訪問に来て。それで持っていかれたという感じです。頻繁に教会に通うようになって。父の死を知って来たのかはわからないですけど、知っていたのならつけ込まれましたね」

関口さんも教会や訪問販売に連れて行かれるようになり、やがて入信。しかし、心は徐々に離れていくことになる。

撮影=門間新弥
関口誠人さん - 撮影=門間新弥

■デクレッシェンドのように信仰心が引いていった

「音楽で言う、デクレッシェンド――徐々に離れていったという感じなんですけど、それまでは完全に洗脳されていましたね。反抗期までは、かなり忠実に一生懸命母親と集会に通っていました。将来、アルマゲドンが来るとか、死んだ人が復活するとか本気で信じていましたし」

母親の影響は大きく、中学1年生の時にバプテスマ(洗礼)を受けた。だが、教団の教えと学校の同級生との価値観の違いから徐々に不信感が芽生え始めた。そして、ある決定的な出来事が、脱会のきっかけになった。

「17歳の時にタバコを理由にエホバの証人を排斥になったんです。でも、正直いって、これでようやく解放されるという安堵(あんど)の気持ちのほうが大きかったですね」

エホバの証人は喫煙を禁じている。

それは、もしかしてわざとだったのだろうか。

「僕、中学の時、学校でいじめられていたんですよ。理由がエホバで勧誘の家庭訪問の活動をしていることがうわさになっていて。それで、ヤンキーと仲良くなればいじめられないんじゃないかと思って近づいて仲良くなったんですね。本当はいかんのだけども、そうすると当然、タバコを吸ったりもするようになってしまった。習慣化して、17歳の時に他の信者に街で見つかって密告されてしまったんです」

■20歳の時に輸血拒否で母は逝った

排斥されたことで、他の信者との会話は禁じられた。家族も例外ではなく、母親と口を利くこともほとんどなくなった。

しかしそれは、結果としてよかったのかもしれないと関口さんは振り返る。

「エホバの世界より、外の世界の方が魅力的だったし毎日が楽しいことだらけだった。憂鬱(ゆううつ)な週3回の集会ももう出なくていい。でもそんな夢のような日々は短期間で終わっていくんですけどね。当然のことだけど、世の中に出たなりの苦悩を知って、結局、人の苦悩の絶対量は大して変わらないような気がすると思うようになりました。ただ、そんな時に出合ったのが、エレキギターだった。衝撃でした。教団にいる時には考えられないことですから」

20歳の時に母親が病気で亡くなってしまう。がんだったが、母親はエホバの教えに則って最後まで輸血を拒否し、衰弱していった。

「母は自分の意思が強くて、輸血を拒んでいたので、それはそれで立派な人だったと思うし、自分の意思で、死をも恐れず、信仰を選んだわけだから、尊敬に値すべきことだと思うんです。でも、子供とか、まだ判断力のない人間に、親がそんなことするのはいかがなものかというのはあります」

写真=iStock.com/toeytoey2530
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/toeytoey2530

■中学卒業後のアルバイトで「世間の価値観」を知った

排斥から20歳で母親を亡くすまでの3年間、関口さんは、宗教とは違う世界で過ごした。結果的にそれがエホバの証人の世界観と決別することにつながった。

「アルバイトを始めたんです。中学を卒業して、別に高校には行かなくていいと親に言われて、進学を諦めたんです。家も財政的に苦しくなってきたんで、親にも頼れなくなってきて。喫茶店のウエーターやビルの清掃をやりました。それで世間の人たちとの付き合いがだんだん深くなっていたんです。それまでは付き合っちゃいけませんと言われている人たちです。すると世間一般の考え方と、教団の中の考え方とのギャップのすごさにだんだんあぜんとしてきて、いわゆる今まで常識と思っていたことが、世間一般の大多数の人からすると、とても非常識なことだったんだってことに、気がつくわけです」

宗教とは、本来、世俗とは相いれないものである。それが行き着くところまでいくとオウム真理教のようになる。宗教は人を救うし、人を殺す。それを認識しておかなければ僕らは道を間違う。

■宗教からの脱却がなければC-C-B結成はなかった

関口さんにとって、宗教とは違う価値観や世界観との出会いが、結果として、C-C-Bとの出会いももたらしてくれた。

「もし信者のままだったら、芸能界にも入れなかったと思いますね。教団の中で一般の世界のことを『世俗』と言うんですけれども、その最たるものが芸能界という位置づけでした。テレビを見ることも許されなかったので、『ドリフ』とか僕全然知らないんですよ。それで仲間外れにされたりもしました」

「あるレコード会社の社員の人が、僕がアルバイトしている原宿のカフェバー『ゼスト』によく来ていたんですよ。名刺もらったんで、これはチャンスだと思って。『僕も音楽をやっているんですよ』っていう話をしたら、彼が『アルバムを出すことは決定しているんだけど、メンバーをあちこちからチョイスしているというプロジェクトが進行している。興味があるんだったらちょっと会ってみないか』と言われて会ったのが、ベースを弾いていた渡辺(英樹)くんでした。その次にドラムの笠(浩二)くんと会って、最初3人でココナッツボーイズ(C-C-B)というグループを作ったんです。それが21か22歳くらいの頃ですね。渡辺くんも笠くんも亡くなっちゃいましたけど」

撮影=門間新弥
関口誠人さん - 撮影=門間新弥

■「宗教2世」だったからこその良い面もある

関口さんがエホバの証人から距離を置いてから44年がたった。しかしまだ、完全に宗教を克服できたとは言い切れない。

今でも幼少期に植え付けられた恐怖が襲ってくることもある。昼寝中、カーテンが揺れるだけでうなされるのは「母親への畏怖の念」が残っているからだという。

今、関口さんは「宗教2世」だからこその良い面に向き合うことを始めている。

「今でも夢にうなされることもありますけど、あまり、ネガティブに捉えないようにはしています。実際、ポジティブな側面もあったんです。エホバでは、『ものみの塔』『目覚めよ!』という雑誌と冊子がありまして、それを1冊120円だか150円で売るんですよ。子供でもそれをやらされる。ネクタイ締めて、ピンポンするんです。『聖書の研究をしている者なんですけども、こういう良いニュースがありまして、あなたもぜひ読んでみませんか』みたいな決まり文句があるんです。これって相当な度胸が、勇気が必要なんですよ。かなり鍛えられました。人とのやりとりとか、人と話すこととか、メンタルが。『うちは仏教だ!』と怒鳴られたりとか。一番多いパターンは、キョトンとされるんですよ。なんなのこの子は、何を言っているのかわからない、みたいな。たぶんMCにも生かされていますね(笑)」

■関口誠人が「宗教2世」を告白したワケ

関口さんは「宗教2世で苦しんでいる人たちの力になりたい」と話す。

「僕はぶっちゃけ母が大好きだった。亡くなった時は本当に変になりそうだった。そんな僕がいま一番考えているのは、2世だった自分の過去をいかに払拭するかということよりも、いま現在、2世で苦しんでいる人とか、やめたいんだけどやめられないとか、どうしたらいいかわからない人とか、やめた後、排斥された人で家族にろくに口をきいてもらえないという状態で孤立している状況の人たち全員に、SNSで、思いを共有できるような言葉を一言でも残せたらと思っています。それが今、自分ができる数少ないひとつなのかなと思っています。それを話せばきっと、もういなくなっちゃった渡辺くんも笠くんも賛成してくれると思うんですよね」

撮影=門間新弥
関口誠人さん - 撮影=門間新弥

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神田 桂一(かんだ・けいいち)
フリーライター
1978年、大阪生まれ。写真週刊誌『FLASH』記者、『マンスリーよしもとプラス』編集を経て、海外放浪の旅へ。帰国後『ニコニコニュース』編集記者として活動し、のちにフリーランスとなる。。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(菊池良との共著、宝島社)、『おーい、丼』(ちくま文庫編集部編、ちくま文庫)、『台湾対抗文化紀行』(晶文社)。マンガ原作に『めぞん文豪』(菊池良との共著、河尻みつる作画、少年画報社。『ヤングキング』連載中)
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(フリーライター 神田 桂一)