Wikipediaの執筆はまったくの無報酬だが、多くの記事が作られ、定期的に更新されている。脳科学者の大黒達也さんは「自分の欲求を満たすことよりも、社会や組織全体の成長などといった利他的な目的のほうが、モチベーションは高まりやすい。Wikipediaの更新は、そうした『モチベーション3.0』に支えられている」という――。(第1回/全2回)

※本稿は、大黒達也『モチベーション脳』(NHK出版新書)の一部を再編集したものです。

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■主流は「本能的な欲求」から「アメとムチ」へ

アメリカの文筆家ダニエル・ピンクが提唱した概念に「モチベーション3.0」というものがあります。これは、歴史的背景に基づいて人間のモチベーションを3段階に分け、これからの社会の成長に大きく貢献するものとして、3段階目のモチベーションが重要であると主張するものです。最初の段階のモチベーション1.0から段階を追って見ていきます。

「モチベーション1.0」は、人間のモチベーションの中で最も根源的、本能的なものです。マズローの欲求階層説でいえば、「生理的欲求」や「安全欲求」に相当します。原始時代は狩りをしたり、強大な動物から身を守ったりするようなサバイバルの時代でした。そういう環境ではモチベーション1.0が最も重要になります。一方で、目先の生活を送るためのモチベーション1.0は、社会の発展にはあまり貢献しないともいえるでしょう。

「モチベーション2.0」は、モチベーション1.0と比べると、少し高次のモチベーションです。とくにモチベーション2.0は、「アメとムチ(報酬と罰)」による外発的モチベーションが主流になります。

産業革命が始まった18世紀後半頃から広がった工業化社会では、リーダーの命令にみなが従い、真面目に同じ仕事をしつづけることが社会にとって重要でした。そのため、努力に対する報酬は給料アップや賞賛、努力しない者に対しては罰することがモチベーションアップに最適であると考えられていました。自分で課題を見つけるよりは、トップダウンで上司から「いつまでに何をする」といった命令を受けるため目標設定も明確であり、その命令に従うことが優秀であるとみなされました。

モチベーション2.0は、マズローの欲求階層説でいえば「社会的欲求」や「承認欲求」が強く伴うモチベーションといえます。しかし、環境や生活が発展してきたなかで、モチベーション2.0では現代社会には合いにくくなっている領域も多く見られます。

■これまでの「モチベーション」は時代遅れ

「ノルマを達成して金銭を得たい」「上司の指示に従って評価されたい」など、モチベーション2.0の多くは外発的モチベーションです。これらは成果がわかりやすい一方で、与えられた仕事や課題「以上」のことはしにくくなります。

さらに、成果がはっきりせず評価が難しいイノベーションや創造性は生まれにくくなります。利他的行為も直接的に自分の成果とすぐには認められないため、モチベーションが下がるでしょう。

さらに、モチベーション2.0が強すぎると、目先の成果を追い求めるあまりに不正をはたらいたり、ノルマ達成のためにライバルを蹴落としたり、仲間と協力しなくなったりするおそれが出てきます。利己的モチベーションがとても強くなってしまうのです。

そのような問題が浮き彫りになるなかで、モチベーション2.0の限界を超えるための新たなものとして「モチベーション3.0」が提案されました。外発的モチベーション主流のモチベーション2.0に対して、モチベーション3.0では内発的モチベーションが主流であり、(1)自主性(2)成長(3)目的という3つの特徴を持っています。(図表1)

出所=『モチベーション脳』

■創造性やイノベーションを求めていく「3.0」

「自主性」とは、与えられている課題の解決方法を他人まかせにするのではなく、主体的に自分の意志で決めることです。他者からの制約を受けずに行動しますが、自分勝手に行動するのではなく、他者と円満に相互依存もできる状態が大切です。自分の意志と責任で行っているので他人のせいにはできませんし、自分で決めたことはやり遂げたいという気持ちが高まるので粘り強さにもつながります。自律的なモチベーションは気持ちの面だけでなく、実際の理解力や成績も上がるそうです。

「成長」とは、掲げた目標を達成するために経験を積み、熟達したいというモチベーションです。成長のモチベーションで重要なのは、「掲げた目標が、現時点の自分では簡単には成し遂げられないものであること」と「目標が、鍛錬によって必ず成し遂げられると信じること」です。これらがなければ、喜びや達成感という報酬を期待できないため、成長のモチベーションは生まれにくくなるといえます。

「目的」は、モチベーションの目的そのものなので、ある意味でモチベーション1.0や2.0でも備わっているといえます。しかし、モチベーション3.0のいう「モチベーション」は、モチベーション2.0のような利己的なものではなく、社会貢献や組織全体の成長も含む利他的な目的を指しています。

以上が示すように、ダニエル・ピンクはこれからの社会において「自主性」「成長」「目的」を軸に、創造性やイノベーションを求めていくことが大切だと提唱したのです。

■グーグルの核心的技術を生んだあるルール

さまざまな「モチベーション理論」をひとつにまとめたものを図表2に示します。実際には、こんなに明確に分類できませんし、異なるモチベーション理論を統一的に説明するのは困難です。研究者によって解釈の仕方も異なるのですが、ここではわかりやすく簡略化しました。

出所=『モチベーション脳』

図で示すように、「自己実現」や「自己超越」に目を向け、内発的・利他的モチベーションに基づきながら行動していくことがこれからの時代では大切です。実際にモチベーション3.0を活用した取り組みは、さまざまな企業でもなされています。

たとえば、モチベーション3.0の「自主性」を高めるため、グーグルが導入している事例に「20パーセント・ルール」があります。これは、「労働時間のうち少なくとも20パーセントを、すぐに見返りを得られる見込みはなくても、将来大きなチャンスになるようなプロジェクトの取り組みに使う」というルールです。

実際、グーグルの多くの革新的技術、グーグルニュース(2002年)やGメール(2004年)などはこの20パーセント・ルールから生まれたといわれています。

■なぜ無償でウィキペディアを執筆・編集するのか

モチベーション3.0の「目的」では、自分だけの欲求を満たす利己的なものではなく、社会や組織全体の成長などといった利他的なものを指します。一例として、ウィキペディアがあります。ウィキペディアは自分以外の事柄について自由に執筆・編集可能なオンライン百科事典ですが、執筆者に報酬はありません。

プログラミング言語のPython(パイソン)も同様です。Pythonのリリースはすべてオープンソースであり、1991年のリリース以来、誰もが無料で使用、開発できるようになっています。開発したツールはインターネット上にライブラリとして提供されており、開発者が報酬を受け取ることは基本的にはありません。

無報酬でも無料で新しいコードを手に入れたり、自分のコードが正しいかをプロに確かめてもらったりできるため、個人としても社会としてもお金以上のメリットがあります。結果として次々と開発が進み、日々ものすごいスピードであらゆるシステムが改良、改善されています。

■子供たちに「学ぶ喜び」を教える挑戦

モチベーション3.0を高める要因に「創造性」があります。創造性と聞くと自分には一生縁がないような、天から与えられた特別な才能をイメージするかもしれませんが、本来は誰もが持っている機能のひとつです。

大黒達也『モチベーション脳』(NHK出版新書)

これまで曖昧な概念であった創造性が、さまざまな科学的研究により明らかになるにつれ、創造性の育成の重要性が世界中で認識されてきました。近年では世界各国で、初等教育のプログラムのひとつとしても創造性教育が導入されるようになりました。創造性教育の一環として、教師が問題すら提示しないまま、子供たち自身で問題を見つけだすような事例もあります。

こういったプログラムは、教師が生徒に知識を伝える既存のシステムや、平均から自分の学力がどれだけ差があるかを測る偏差値教育とはまったく違うものです。

教育の違いは、モチベーションにも大きく影響します。創造性教育によって「学ぶ喜び」を知ることで、社会に出ても自発的に学びつづけることができます。「テストの点数が上がる」といった予測しやすい外発的報酬と異なり、喜びのような内発的報酬は予測困難で不確実であるため試行錯誤が必要です。効率的ではありませんが、自分で答えを見つけ出そうとする過程が創造性につながります。

■外発的モチベーションは創造性を抑制する

一方で、偏差値を上げるために勉強するという行為は、外発的なモチベーションを誘発しやすいといえます。なるべく教科書に沿って効率よく勉強し、高い点数を取って評価されるという明確な目標があるからです。社会に出ても同じように業績が平均より高くなるための努力をするのも、ある意味で偏差値教育の延長といえます。こういった外発的モチベーションは創造性を抑制してしまうことが知られています。

このように、教育の仕方によって、モチベーションのタイプが変わります。これからの時代で重要な「モチベーション3.0」を達成するには、偏差値教育が大部分を占めていた教育システムから、創造性教育をさらに取り入れてバランスをとっていかなければなりません。

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大黒 達也(だいこく・たつや)
脳科学者
1986年生まれ。博士(医学)。東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構特任助教,広島大学 脳・こころ・感性科学研究センター客員准教授。ケンブリッジ大学CNEセンター客員研究員。オックスフォード大学、マックス・プランク研究所勤務などを経て現職。専門は音楽の脳神経科学と計算論。著書に『モチベーション脳』(NHK出版新書)がある。
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(脳科学者 大黒 達也)