英語の上達には定型表現の重要性を認識する必要がある(写真:Ushico/PIXTA)

コンピュータ分析によると、英語の書き言葉・話し言葉の多くが、実は定型表現(決まり文句)で構成されていることが明らかになってきました。ネイティブの書いたり話したりした言葉のうち、5〜8割程度が定型表現で構成されているという推計もあります。学校でほとんど習うことがなかった定型表現の重要性について、『英語は決まり文句が8割 今日から役立つ「定型表現」学習法』より一部抜粋・編集してご紹介します。

文法ルールに従わない表現も多い

「英語学習」と聞くと、何をイメージしますか? 多くの方が英単語と文法の学習を思い浮かべるのではないでしょうか。

スマートフォン(スマホ)が普及した現在でも、電車の中で英単語帳や文法書を広げている学習者を見ることは珍しくありません。大学受験のために多くの英単語を覚えたり、「仮定法過去完了」や「分詞構文」などの文法事項と格闘した苦い記憶をお持ちの方も多いでしょう。英会話スクールでは会話が重視されるイメージがありますが、実際には単語や文法を口頭で練習しているだけというケースも珍しくないようです。

英語を身につけるうえで、文法と単語の知識が重要なのは言うまでもありません。文法とは複数のスロット(穴)が開いた文の骨組みであり、そのスロットに様々な単語を入れて肉付けすることで、無限に文を生成できます。

例えば、第2文型(SVC)は、主語にI / we / he、補語にhappy / sad / hungryなどの単語を入れることで、


など、無数の文を生み出せます。

「文法と単語を組み合わせることで、様々な文を生み出せる」という主張は間違ってはいませんが、実際の話し言葉や書き言葉では、文法ルールにのっとって一から文を組み立てるのではなく、2語以上のまとまりで特定の意味を持つ「定型表現 (formulaic sequences)」をつなぎ合わせることが多いと指摘されています。

例えば、ある人の年齢をききたい時に、どのような表現を使えば良いでしょうか? 文法的には、以下のいずれも可能です。

⑴How old are you?(あなたは何歳ですか?)             

⑵How long ago were you born?(どれくらい前にあなたは生まれましたか?)

⑶How many years ago were you born?(何年前にあなたは生まれましたか?)

⑷How many years is it since you were born?(あなたが生まれてから何年経っていますか?)

⑸How much time has elapsed since the moment of your birth?(あなたの誕生の瞬間からどれくらいの時が過ぎたのですか?)

(出所)『メンタル・コーパス―母語話者の頭の中には何があるのか』くろしお出版(pp. 163-164)より

⑴〜⑸の文はいずれも文法的に正しく、意味内容も同じです。そのため、「英語話者は文法と単語を自由に組み合わせて、様々な文を生み出している」という考えが正しいのであれば、いずれの文章も広く使われているはずです。しかし、実際に使用されるのは⑴のみで、⑵〜⑸の文を耳にすることはありません。なぜ、自然なのは⑴のみで、それ以外は決して使われないのでしょうか?

それは、英語の母語話者は、文法ルールを基に単語を1つ1つ並べて新規の文を生み出すのではなく、How old are you?(何歳ですか?)、The point is that ...(要するに〜だ)、It’s such a shame that ...(〜とはとても残念です)、Just because X does not mean Y. (XだからといってYとは限らない)などの定型表現をつなげたり、一部を入れ替えたりして、文を構築することが多いからです。

伝統的には、言語の根幹をなすのは文法と単語であり、定型表現は言語使用のごく一部を占めるにすぎないと考えられてきました。英語教育論争においても、「文法は教えた方が良いのか」「単語はどう教えるべきか」などが話題になることはありますが、「定型表現はどう教えるべきか」が論じられることはほとんどありません。

以前、中学校の英語教科書で、


といったファストフード店の会話が掲載され、物議をかもしたことがあります。Large or small? Large, please. For here or to go?は、いずれも一般的な定型表現ですが、主語や動詞がない不完全な文です。そのため、「中学校の教科書に主語や動詞がない文を掲載するとは何事か」といった批判が巻き起こりました。

文法こそが言語の根幹であり、定型表現は取るに足らないものであるという考えを端的に表していると言えるでしょう(もちろん、定型表現の中にも有益なものとそうでないものがあります。ファストフードの注文に必要な定型表現を中学生に教えることが適切であるかどうかは意見が分かれるところでしょう)。

ほとんど研究されてこなかった……

定型表現は、実践(=英語教育)においてだけでなく、理論(=言語学)においても軽視されてきました。言語には規則的な部分と規則から逸脱した部分がありますが、言語学者の多くは、規則的な部分に関心を持ってきました。例えば、文法や音声にまつわる事象を分析し、そこから一定の体系(ルール)を導き出すことに多くの労力がそそがれてきました。

定型表現の中には規則から逸脱したものが多くあります。例えば、by and largeは「全体的に」という意味ですが、前置詞byと形容詞largeという異なる品詞の2つの単語が接続詞andによって結びつけられているため、一般的な英文法のルールからは逸脱しています。

同様に、at largeは「逃走中の、全体として」という意味の定型表現ですが、前置詞atの後に形容詞largeが来ているため、文法的な成り立ちを説明するのは困難です。さらに、I could care less.は「いっこうに平気だ、まったくかまわない」という意味のインフォーマルな表現ですが、I couldn’t care less.と否定文にしても、同じ意味を表します。すなわち、否定文にすると反対の意味になるという一般的なルールが適用されません。

また、kick the bucketは直訳すると「バケツを蹴る」ですが、「死ぬ」という意味の定型表現です。この定型表現は、Jon Snow kicked the bucket in Season 5.(ジョン・スノウはシーズン5で死んだ)のように能動態でしか用いることができません(ジョン・スノウは『ゲーム・オブ・スローンズ』という小説およびテレビドラマの登場人物です)。

The bucket was kicked by Jon Snow in Season 5.と受け身にすると、「ジョンが死んだ」という比喩的な意味は失われ、「シーズン5でジョン・スノウによってバケツが蹴られた」という文字通りの意味になってしまいます。

同様に、shoot the breezeは「おしゃべりをする」という意味のイディオムですが、*The breeze was shot by Jack and Daniel.と受け身にはできません。さらに、beat around the bushは「遠回しに言う」という意味ですが、*beat around the bushesと複数形にしたり、*The bush was beaten around.と受け身にすることはありません。

このように、定型表現の多くは恣意的な制約を持っており、規則で説明できない現象が多くあります。そのため、規則性の探究を目指す言語学の主流の立場とは相いれず、定型表現が研究対象となることはほとんどありませんでした。

母語話者の言葉の多くが実は定型表現


文法と単語のどちらにも属さない定型表現は、雑多なものとして切り捨てられ、英語教育(=実践)においても、言語学(=理論)においても、長らく軽視されてきました。

しかし、技術が進歩し、大量のテキストをコンピュータで分析できるようになると、書き言葉・話し言葉の多くが、実は定型表現で構成されていることが明らかになってきました。母語話者の書いたり話したりした言葉のうち、5〜8割程度が定型表現で構成されているという推計もあります。

スマホの予測変換を使って文章を書いていると、予想外に適切な表現が提案されるので驚いてしまうことがあります。我々の用いる言葉の多くは定型表現で構成されるため、産出された語句の後にどのような語が続くかを高い精度で予測できるのです。

(中田 達也 : 立教大学英語教育研究所所長)