沖縄本土復帰50年…右側通行の日本 “沖縄” に初上陸した日 [driver1973年3月5日号]

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今年2022年に本土復帰50年を迎える沖縄。1945(昭和20)年3月の米軍上陸(日本の行政権停止)から27年に及んだアメリカ統治。その終わりを告げたのは、1972(昭和47)年の5月15日。今では想像がつかないかもしれないが、返還前の沖縄の通貨はドルで、本土との行き来にはパスポートが必須。そしてクルマは右側通行だった。

ドライバー本誌取材版が新生・沖縄に訪れたのは返還の翌年。開発記号350、日産のブランニューモデルとして1973年1月に発売された「バイオレット」の一試乗記として同年の3月5日号で展開。『ばらえてぃ試乗』と題し、沖縄での “ドラマチック試乗” のほか、都平健二氏による富士スピードウェイでの “ダイナミック試乗”、南アルプス(井川林道)での “アタック試乗”、そしてミス・フェアレディと行く “ムード試乗” と4つの異なるシーンで新型車の魅力に迫っている。

※以下試乗記は当時の表現を残しつつ再構成しています

driver 1973年3月5日号
バイオレット ばらえてぃ試乗

「すみれ草」というかわいい名のバイオレットには、どんな場所がいちばん似合うだろう? 「南の島の沖縄がいい」、「サーキットもいいぞ」、「林道に限るって」、「ぜったい港ヨコハマだね」―かくしてDRのヤング連は、勝手に4種類のバイオレットを持ち出し、“バラエティ試乗”としゃれ込んだのでありマス。さて、さて。

ドラマチック試乗
右側通行の日本 “沖縄” に初上陸
― 4ドア1600GL ― 70.0万円

27年ぶりに戻ってきた沖縄。古い伝統と、きらめく青い海にとり囲まれた島、沖縄。戦争の生々しい傷あとをとどめながらも、再び返ってきた沖縄は、いままた、新しい時代へ向かってスタートをきったばかりだ。その活気みなぎる沖縄を、新しい予感のクルマ “バイオレット4ドア1600GL” で訪ねてみた―
異国情緒の那覇のまち日本の最南端にある沖縄県。県の中心地那覇は人口約30万の国際都市だ。ここには沖縄を象徴するすべてが雑居している。メインストリートの国際通りには、きらびやかな商店が並び、人があふれ、クルマがひしめいている。まさに “沖縄の銀座” といったイメージだ。

那覇市の北側を貫いて嘉手納へ通じる旧1号は、復帰後国道58号と改称されたが、この大通りに左ハンドルの国産車が走り、軍用車が走っているから、異様な印象を受ける。日本なのに日本でない。ヘンな光景なのだ。

それは、米軍の軍用車や黒人の運転するアメ車がたくさん走っているせいもあるが、クルマは右側通行だし、目をあげれば横文字の看板がずらりとあって、異国情緒にどっぷりとひたってしまうのだ。

バイオレットで那覇市をスタートしたが、やはり左側通行に慣れているせいか、右側通行はちょいととまどってしまった。直進しているぶんには問題ないが、追越しをかけたり、左折するのがこれまでの日常と反対だからぐあいがよくない。

若者たちに取り囲まれてボクたちの乗ったバイオレットは、本土仕様で右ハンドル。これだと追越しがやりづらいが、左ハンドルよりも運転は楽だ。

しかし、どうしたわけか追越しをかけるクルマが見当たらない。せかせかと走るクルマもないのだ。これはたぶんに、アメリカナイズされたドライブマナーなのかもしれない。

それに気持ちいいのが、やたらとクラクションを鳴らさないことだ。前走車がスタートに失敗しても、後続車がのんびりと待っている風景には、なにかほっとさせられる。もちろん “信号グランプリ” なんてやっているクルマもない。復帰前に、もしそんなクルマがあったら、米軍のMPがすっ飛んで来て “御用” となったそうだ。