その手腕に期待(提供:PGA)

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日本プロゴルフ協会(JPGA)の会長が9年ぶりに交代した。4期8年続いた倉本昌弘会長に代わって新会長に選出されたのは吉村金八氏(69)。100票中61票を獲得する圧勝だった。倉本体制時代は4人だった副会長を2人に減らした真意も含め、これからの抱負をじっくり語ってもらった。
吉村氏には今回、会長選を戦う上で大きなハンディがあった。当選すれば長期政権が可能な10歳年下の59歳・田中泰二郎氏に対し、69歳の吉村氏は協会の定年規定により、次期続投は不可能。与えられた時間は1期2年しかなく「ショートリリーフで協会の立て直しは無理」との厳しい見方もあった。
それでも理事たちが吉村氏を選択した裏には、倉本政権最後の年に、上層部への解任動議にまで発展した混乱へのアレルギーがある。これは前政権の末期に噴出したIT事業者の選定をめぐるトラブルが原因だった。(以下、PGAの役職はいずれも当時のもの)
PGA側のシステム開発にまつわる動きは複雑だ。簡単にいうと、A社の提案で動き出したシステム開発を、B社に発注。90%完成した段階でIT事業担当理事の井上建夫副会長が確認しようとした。実際に確認したのは、井上夫人のYさんが社長を務め、息子Xさんが勤務していたC社。同社の技術者D氏がセキュリティ上の問題を発見し、このシステムをストップさせた。
B社との契約は解除したが、すでに半金の1000万円は支払い済み。瑕疵相当分として約100万円が返金された。その後、C社にシステムの再構築を依頼したが、これがうまくいかなかった。成果物が行方不明になった上に、会社も破綻してしまった。
最終的に、システムは出来上がらず、未回収だった1300万円がPGAの事業損失となってしまうことも確定した。倉本会長と井上副会長が行ったその一部補てんを明かす事態にもなった。
上層部に対する反発も高まり、倉本会長、井上副会長、根本修一事務局長の解任を審議する臨時総会の開催請求が2度に渡って出された。2度とも総会は開かれないことが理事会で決定されたが、内閣府の公益認定等委員会から報告書の提出を求められる事態にもなったことでも責任を問われた。
IT業者を身内に振ったという事実もさることながら、その決定プロセスが理事たちにほとんど知らされていなかったことが問題視された。この混乱が選挙にも大きく影響することになる。
状況を深刻にとらえる関係者も少なくなかった。この難局を乗り切るには吉村氏、というムードが醸成されていった。田中氏には若さの強みがあるものの理事の経験はなく、代議員の経験も変則的な半年のみ。一方の吉村氏はすでに2期4年に渡る理事の経験があり、上層部の責任追及の急先鋒でもあった。
倉本体制を真っ向批判した吉村氏に対し、倉本会長も撤回を求めて応酬。緊迫した場面もあったという。そうした経緯もあり、結束の強い九州プロゴルフ研修会の会長を務める人望の厚さから、倉本会長の解任動議の際に後任のPGA会長に推す声が強まっていた。
吉村自身も「後釜として推されたときに腹をくくった。まず解任動議が出るような協会を正常な状態に戻すことが最優先」と組織の立て直しを前面に押し出していた。この主張に賛同し、協会の立て直しを優先させるならば田中氏よりも経験豊富な吉村氏、というムードが追い風となったのは間違いない。
そうした期待に応える行動は、就任と同時に起こされた。倉本政権時代に4人いた副会長を2人削減。新副会長は芹澤信雄(62)氏と明神正嗣(62)氏に決まった。
その理由を、吉村会長はこう明かした。「副会長を2人にして一見減ったように見えますが、実際に(関わる人)は増えます。各委員会を1人ずつの委員長が見るようにして、会長、副会長を加えた7〜8人程度に増やすためです。やはり少人数でやるのはよくない。意見も4人とか5人とかでは出ないんですよ」。
1期2年という短期決戦でどこまで協会を立て直せるのか。この課題に関しても、吉村会長は開かれた協会上層部を目指し、合議制で物事を決めていく方針を明かした。
「僕は調整型の人間。IT業者の選定に関しても、外部理事にも精通した方がおられるので、いろいろ調査したうえで、もんでもんでやった方がいい。代議員の方にもお手伝いいただくことをすでにお願いしています」。
老朽化したHPの再構築も急務だが、ほかにも問題は山積みだ。吉村氏が当選した裏には、倉本体制が推進した「プロテストの一本化」に対する反発もあった。
元々トーナメントプレーヤーの組織として発足したJPGAだが、1985年に「インストラクター資格認定制度」を導入後、はティーチングプロ(TCP)が増えた。1999年にツアー部門が独立し、JGTOに移ったこともあり、その数は逆転。現在は5781人の会員のうち3250人がTCP資格のみを保持している会員だ。
 
そうした流れの中でプロテストの入り口をティーチングプロB級受験ひとつに絞り、その中から実技の優秀なものがトーナメントレーヤー(TP)へと進むシステムへと移行しようとしていた。しかし、吉村新会長はこの制度変更にも異を唱える。
「倉本会長もいろいろ考えてのことだったんでしょうけど、日本プロゴルフ協会は元々ツアープロの団体。TCPを取ってからTPを取るというのは敷居が高い。若い子はいきなりTCPは受けませんよ。お金を持ってない人がお金のかかるところに行くわけですから。それでやむを得ずJGTOのQTを受けるようなことになっている。やはりPGAも、若い人をTPで育てることが必要だと思う。いま(新制度の)実施を2年伸ばしている段階なので、いろんな人と相談したうえで、このことも決めていきたい」と、見直しも視野に入れていることも明言している。
また、1926年から歴史を刻む日本最古のプロゴルフトーナメントであり、PGAのフラッグシップ大会でもある日本プロゴルフ選手権のスポンサーが空位である問題も深刻だ。一時は、冠スポンサーがついていたが、これがなくなって今年で5年目。男子ツアーの不人気の波をかぶっているとはいえ、協会の財政にも深刻なダメージを与え続けている。
「どうやったら日本プロゴルフ協会が大きくなって、認知してもらえるか。誰から見ても『すごいよな、あの日本プロゴルフ協会は』と言ってもらえるようなものになれるか。いかにその価値を高めていけるか、ということだと思います。スポンサーばかりに頼るんじゃなくて、みんなで集まればいい考えも浮かんでくるはず」と、吉村新会長は力説した。
「一人で走ろうとせず、一人で背負わずに、みんなで話し合いながら決めていく」と言ってから、最後にこう、締めくくった。
「もちろん責任は、私が取ります」。
(取材・構成/日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)
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