純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

写真拡大

自己啓発書の需要

 今年度はゼミで自己啓発書の古典の輪読をしている。それにしても、いつから「自己啓発」というものが、これほどうさんくさくなってしまったのだろうか。古代、プラトンの時代から、近世のモンテーニュやデカルトなど、哲学はみな自己啓発だった。米国でも、そして日本でも、スマイルズ『自助論』(1859、中村正直『西国立志伝』1871)は、大ベストセラー。福沢諭吉の『学問のすすめ』(1872〜76)は、典型的な自己啓発書。

 ちかごろ、どこでも安易に大学まで、実学、実学、と言って、結局は、古い業界慣習の話ばかり。みな、いまどうすれば儲かるか、カネのことしか考えていない。江戸時代の寺子屋ですら『論語』などで教えた生き方については、もはや、自由、自由で、墜ちていくのも自己責任。とはいえ、連中になにか言っても、余計なお世話と聞く耳は持たず、それどころか逆ギレして絡んでくる。

 しかし、宗教支配の中世から絶対王政の近世、資本主義と産業革命の近代を経て、いまや大衆社会の現代さえ終わるというほどの、文明の大転換期に、いまの商売、いまの常識が通用するのだろうか。理系にしても、文系にしても、もっと根本的な革新の探究だけが、次の時代に道を開くのではないか。

 スマイルズの『自助論』や福沢諭吉の『学問のすすめ』など、自己啓発書は、まさに文明の大転換期に現われた。絶対王政の近世が混迷し、産業革命と資本主義の近代を模索する中、だれも教えてくれない道を、本を頼りに切り拓こうとした人々に読まれた。そして、それは、各国の広大な「フロンティア」に、鉄鋼王や鉄道王と呼ばれるような政商タイクーンたちを生み出した。

 だが、二十世紀になるころには早くも国内支配が固まってしまい、もはやなにもかも飽和状態。デール・カーネギー(1888〜1955)は、そんな時代に貧乏農場で生まれ、朝の三時に起きて家畜たちの世話をして高校に通った。教師になろうと、かろうじてミズーリ州立教育大学を出るも、就職に失敗。それで、自分で乗ったことも無いトラックの販売営業の仕事。ゴキブリだらけの安アパートに暮らし、ゴキブリだらけの安食堂で腹を満たす毎日。彼にあったのは、疲労と孤独と絶望だけ。

 24歳のとき、一念発起して、再び教師の道をめざし、どうにかマンハッタンYMCA(青年クリスチャン会)で話し方講座を開く。とはいえ、こんな講座を受講しても、なんの資格が得られるわけでもない。しかし、それだけに、わざわざそこに集った人々は、意欲に溢れていた。そして、やがてカーネギーは、彼らが求めているのは、話し方そのものではなく、うまく話せるようになることで、生活を改善したい、仕事で成功したい、という夢の実現だ、と気づく。

 カーネギーは、彼らのニーズに応えられそうな著名人の立身出世のエピソードを講義にちりばめ、彼の講座はしだいに人気となって、各地で講演会を開くほどになっていく。その34年の受講生の中に、27歳のレオン・シムキン(1907〜88)がいた。彼は、タバコスタンドのクロスワード本の小さな出版社、サイモン&シュースターの簿記係だった。シムキンは、講義の雑談部分に魅了され、その部分だけ集めて出版することをカーネギーに依頼。これが、彼の最初の本『人を動かす』(1936)。売れに売れ、彼はベストセラー講演者となり、また、シュースター社も、小型文庫本、ポケットブックシリーズを展開し、一大出版社となっていく。

 もっとも、この本は、言わば人間関係の話に特化したスマイルズ『自助論』の残滓補遺のようなもの。基本的には、あくまで著名な大成功者にあやかるという路線。実際、彼自身も、親戚でもなんでもないくせに、わざわざ鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが建てたニューヨーク市のカーネギーホールで講演会を開き、ついには自分の苗字(Carnagey)を鉄鋼王と同じ綴り(Carnegie)に改名している。


デール・カーネギーの時代

 しかし、彼が本で成功した、ということは、じつは時代がさらに先、現代の大衆社会に転換しつつあったことを示している。米国で言えば、1900年代には有色人種の約半数、総計でも1割が文盲だったが、1940年代には、総計で3%にまで抑え込む。つまり、初等教育が行き届き、もはや本が知識人だけのものではなくなりつつあった、ということを意味する。とはいえ、もちろん、彼の本のような自己啓発書などよりも、前提知識無しにも読めるミステリやSFのパルプフィクション、スーパーマンなどのようなマンガ雑誌、『ベターホーム・マガジン』のような写真入り家庭雑誌の方がはるかに売れていたが。

 また、別の、もっと深刻な意味で、カーネギーは、読者のニーズからすこしズレていた。発達しすぎた近代の資本主義と産業革命は、1929年の大恐慌で破綻に至る。この混乱のさなかで喜々として時代錯誤の立身出世を企てられたのは、ヴィトー・コルレオーネや甘粕正彦のような、裏の世界、無法の植民地で跋扈した連中だけだろう。

 一般の庶民は、経済の大恐慌(デプレッション)とともに、精神の鬱屈(デプレッション)に襲われた。街には、途方に暮れた地方出身者や不況失業者が溢れた。そんなところに、日本が真珠湾に奇襲をかけたものだから、米国は格好の当たり散らしの標的として、しまいには原爆まで持ち出す。ところが、貧乏日本に勝ったところで、戦利品は無く、それどころか、続けて朝鮮戦争、中南米危機、ヴェトナム戦争と、得るところの無い負け戦さに巻き込まれ、世界の大国となりながらも、つねに不安定な危うさに脅かされ続けることになる。

 それで、富裕層は、個人的に弁護士と精神科医をメンター(助言者)として抱えるのが大流行。しかし、庶民は、本に頼るしかなかった。このニーズに応えたのが、カーネギーの二冊目のベストセラー『道は開ける』。著名人成功者のエピソードを中心とした一冊目の『人を動かす』と違って、この本では、庶民の悩みに哲学者や心理学者の理論を援用しつつ、真剣に答えようとしている。


worrying と living

 『道は開ける』(1948)の原題は、『How to Stop Worrying & Start Living』、つまり、悩むのを止めて生き始める方法。しかし、worrying を「悩み」と訳していいのだろうか。

 日本語で「悩み」というと、あれか、これか、迷いを意味する。もともと「悩」という字は、立心偏にひよめき、つまり、子供の頭蓋骨が固まる前の隙間に毛が生えた会意で、思いが固まっていないようすを表している。これに対し、英語の「worry」は、もともと、格闘する、喉元に噛みつく、という意味。そして、英語では「be worried about」と「be worring about」との両方が使われるが、ニュアンスが異なる。前者が受動態で、悩まされる、であるのに対し、後者は、自分が拘泥する、そのことが心配でしかたない、というような意味になる。

 だから、worrying は、今日の精神科診断(『DSM-5』(2013))で言えば、「強迫性障害(OCD、Obsessive-Compulsive Disorder)」のこと。この本の中で論じられている実例を読むと、そこには大恐慌から第二次世界大戦に至る間の生活の危機的体験が大きく影響していると思われる。つまり、この本で worrying と呼ばれているのは、潔癖症(不潔恐怖)のような過剰な強迫観念によるOCDではなく、むしろいわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)のフラッシュバックらしい。

 くわえて、大恐慌も戦争を知らないベビーブーマーによって開かれていく通俗的な大衆社会の出現。その一方で、明日にも核ミサイルが襲いかかるかもしれない新たな冷戦の恐怖感。こんな戦後に、時代に置き去りにされて孤立した戦前生まれの中高年が大量にいて、その多くが適応障害(AD、adjustment disorder)にも苦しんでいたことがわかる。

 そして、原題にもあるとおり、彼が懸念しているのは、worrying が、living を阻害しているのではないか、ということ。worrying (強迫観念に振り回されること)に終始して living を怠ると、心配事も現実化してしまう。だから、第一部第一章で、過去は過去、未来は未来、だから、今日、生きることに最善を尽くせ、という、この本の全体の主旨が提示される。

 かといって、カーネギーは、その日暮らしを勧めるわけではない。彼は、言わば心配から思案を区別する。しかし、それは、ただ頭の中で思いを巡らすのではなく、むしろ行動そのもの。すなわち、事実を収集し、わからないことをふまえて最悪の事態とその発生の確率(平均値)を予想算定し、その負の期待値を最小にするために自分ができることを実行して、その最小化した損害は早々に受け入れる覚悟を決め、それ以上はもう心配しない。カーネギーは名前を挙げていないが、これは、この本の数年前に発表されたノイマン&モルゲンシュテルンの『ゲーム理論と経済行動』(1944)に出てくるミニマックス戦略(カーネギーの言い方だとストップ・ロス・オーダー)にほかならない。

 ここから、カーネギーは、この思案行動こそが living であり、毎日をきちんと living していれば、worrying などしているヒマは無い、と言う。つまり、living こそが、worrying を解消する方法、ということになる。いささか強引だが、これは、一種の認知行動療法の先取りとも思える。第一部第三章にあるように、カーネギーに言わせれば、worrying は、思いのほか莫大な健康コストがかかっているのであり、意味も無く worrying して、みずから命を削ることはない、とされる。


人は考えている者になる

 ここまでが彼の理論の概要で、worrying を止める、という否定的方法であったのに対し、第四部では、カーネギーは、積極的に、それなら、どうすれば平和や幸福が得られるか、を、七つの章で論じる。その最初の第十二章の「指針」では、その人はその人が考えている者になる、というテーゼが掲げられる。これは、自己啓発の先駆者、ジェームズ・アレンの『原因と結果の法則(人は考えているようになる)』(1903)で提起されたもので、カーネギーに先行するナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』(1937)でも強調されているもの。

 しかし、このテーゼは、スピリチュアルでオカルトめいた引き寄せ論と混同されるべきではない。不幸しか考えないひとは、不幸しか見えず、不幸を大事に思って、いよいよ心配を深め、出口を失う。これに対し、つねに理想を思う人は、その実現のチャンスを求めて、広く目を配っており、それがあったときには逃さず捉えて、現実化することができる。ある意味、あまりに当たり前な王道。

 ここから、二、復讐なんて面倒、三、人に期待するな、四、無いものねだりではなく、いま手にあるものを存分に使え、五、猿まねより自己発見、六、不幸さえも素材として生かせ、七、人を幸せにする幸せを知ろう、というような残りの六つの方法が出てくる。つまり、この第四部は、見出しだけ見ると、ばらばらの話の寄せ集めのように思えるが、じつは、第12章の「指針」を中心に、むしろ緊密なひとまとめになっている。

 ここでとくに興味深いのは、変ええないことは受け入れ、生かすことを考えよう、という第十七章。カーネギーは、レモンだって、レモネードの素材になる、と言う。過去にしても、未来にしても、客観的にもはやどうしようもないことを、むりにどうにかしようと執着し続けていると、つまり、その強迫観念に乗っ取られてしまっていると、今日を生きることの方が留守になってしまう。

 同じころ、ニューヨーク市のユニオン神学校(コロンビア大学提携、非宗派)でラインホルド・ニーバー(1892〜71)もまた、雑誌『キリスト教と危機』を発行し、カーネギーと同じように、多くの人々の戦後の精神的問題と向き合っていた。ここにおいて、彼は、ひとつの祈りを定型化する。これは、今日も世界中の精神治療のセッション(互助集会)、とくにアルコールや薬物などの依存症の人たちのキリスト教系自助グループなどでよく唱えられている。

 「神よ、変えることの出来ない事柄については、それをそのまま受け入れる平静さを、変えることの出来る事柄については、それを変える勇気を、そして、この二つの違いを見定める叡智を、私にお与えください。」

 カーネギーはむしろ心理学者アルフレッド・アドラー(1870〜1937)の名前を挙げているが、同じことは、古く仏教でも説かれており、その後の自己啓発本の名著、スティーブン・R・コヴィ(1932〜2012)『七つの習慣』(1989)でも基本原則となっている。過去の後悔でも、人に嫌われることでも、自分の手にあまることを自分で抱え込んだところで解決できるわけがなく、かといってまた、その問題から逃げたところで逃げるところなどなく、ただ平静に受け入れ、自分のできることに専念する勇気こそが求められる。


同調圧力との対決

 続く第五部『悩みを完全に克服する方法』、第六部『批判を気にしない方法』は、対になっていて、神と世間の二つの基準が論じられる。ただ、ニーバーの周辺でも論争ばかりだったように、カーネギーは、もめてばかりの既存の宗派や教説には見切りをつけたうえで、あらためて神を考える。彼は、身近な疑問から生活の苦しみまで、自分の手にあまることの引き受け手として神を立て、自分が最善を尽くす以上のことを神に委ね、祈る、祈って終わりにすることを提案する。

 一方、第六部では、世間の批判を問題にする。先述のように、米国は二十世紀になって識字率が劇的に向上し、1940年に約4000万部だった新聞の総発行部数が1950年には5000万部を超えて増え続け、1962年には6000万部に達する。雑誌も同様に爆発的に増大。これにともなって、紙面での批評や論争も劇的に増大。なかにはまともなものもあったろうが、大半は有名人に難癖をつけて自尊心を満たそうとするだけのマウンティングのための誹謗中傷。大衆化したいまのネットの状況と大差無い。

 これに対し、カーネギーは、嫉妬は賛辞、と言う。もともと絡むために絡んでいるのだから、まともに反論したところで納得するわけもなく、ただ、笑え、と勧める。そもそも、注目すべき有名人の言行と違って、どうでもいい絡む側の批判など、まともな連中は最初から読み飛ばしている。にもかかわらず、こんなふうに問題とされているではないか、などと無名人の批判を取り上げて騒ぎ立てるのは、自分自身で批判する度胸さえも無い、さらに卑怯で矮小な連中。それより、的を射ている話なら、自分で素直に反省して、次に生かせばいいだけのこと。

 カーネギーの前、フランクフルト学派として米国に亡命したエーリヒ・フロム(1900〜80)もまた、『自由からの逃走』(1941)として、ドイツ国民が空白の自由の孤独と責任を自分で担い切れず、ナチスの権威へ委ねてしまった心理的メカニズムを分析している。また、カーネギーの後、シカゴ大学の社会学者、デイヴィット・リースマン(1909〜2002)もまた、『孤独な群衆』(1950)や『群衆の顔』(1952)で、伝統指向、内部指向、他者指向という社会性格の発展概念を打ち出している。それによれば、社会は伝統に同調する服従にまどろんでいたが、独自の権威を持つ「親」が新しい価値観を打ち立て、その声を内化した羅針盤に従う新世代が新時代を切り拓く。しかし、その他大勢は、変動の方向を捉えきれず、レーダー型として周囲への同調を模索する、と言う。

 実際のところ、中世から近代に至るヨーロッパの大きな歴史では、リースマンの言うとおりだが、米国の場合、まともに伝統が成り立つ間もなく、鉄鋼王や鉄道王のような内部指向のタイクーンが登場する一方、庶民は、新たな移民コロニーで周囲の人々の顔色を伺う生活を強いられた。まして、それが二つの大戦と大恐慌でシャッフルされ、再分断されたため、いよいよ新しい街の新しい職場や地域で、外側からも強い同調圧力(peer pressure)にさらされた。

 つまり、カーネギーがこの本で問題にした worrying は、内側から本人が強迫観念に執着しているというだけでなく、外側、周囲の人々から文字通り執念深く強迫されたものでもあった。ここではもはや、スマイルズが『自助論』で掲げたような、羅針盤型が自由に羅針盤型でいられたフロンティア開拓時代の英雄たちが活躍できる余地は無かった。日本語のことわざと同様、まさに、出る杭は打たれる、で、それも、その圧力は、匿名性と暴力性が新聞と雑誌の印刷機で大量に増幅されていた。

 だからこそ、カーネギーは、徒手空拳で、その同調圧力、羨望の嫉妬と戦ったりせず、ただ笑って受け流し、むしろ再び神なるものを思い出して、その内なる正義の羅針盤にこそ従うように促している。すでに第四部で論じたように、復讐や反撃、それどころか他人に期待することさえも、自分の人生のムダ、とカーネギーは言う。それより、人は人、自分は自分。自分の手持ちのもの、それがたとえ不遇や後悔であっても、素材として生かし、神に向き合って、ただ正しいことをすればよい、と言う。そしてさらに、それが正しいことであればあるほど、いよいよまた羨望の嫉妬を買うことも承知しておけ、とまで、彼は言う。


ストレスの軽減

 第七部では、休息が論じられる。カーネギーは、worrying の元凶として、心身の「疲労」を問題し、休息による疲労からの回復こそが、worrying の解決、予防に有効だ、と言う。worrying が、戦前のPTSDや戦後のADによる強迫性障害のことであるとすれば、それを発症させる「疲労」とは、今日的に言えば、ストレスにほかならない。

 今日、頻繁に用いられるストレスという概念は、じつは意外に新しい。オーストリアのハンス・セリエ(1907〜82)がカナダに移って戦時中に動物実験で研究したもので、刺激に対して適応しようとして破綻する現象を言う。これが人間についてもさかんに言われるようになるのは、50年代に入ってからのことであり、カーネギーが、この研究を知っていたかどうかわからないが、同じ概念、それも、さらにその後の心身症(心理的要因による身体の器質や機能の障害)を先取りしている。

 さらに興味深いのは、先述のように、カーネギーが認知行動療法的な解決を提案していること。精神的な疲労、ストレスの具体的な原因として、彼は、不安や緊張だけでなく、評価されない不満、感情の乱れ、さらには退屈なども挙げている。そして、その解消のために「休息」を言うが、しかし、彼の言う「休息」とは回復のことであり、そのために彼はむしろ働く休息を求める。

 忘れようとするのは、ムダ。というのも、忘れようとすれば、かえって忘れたいことに神経が集中して、よけいそのことが強迫観念になってしまう。いっそだれかに語って、心のつかえをすべて吐き出してしまった方が楽になれるだろう。また、カーネギーは、身体のリラックスも重要だと言う。ヨガ行者のように、筋肉や呼吸、さらには表情まで、ゆるっとしていれば、おのずから心もゆるっとする。

 そして、そもそもストレスを溜めない、作らない予防方法をカーネギーは提案する。第一に、しなければならないことは、すぐやって、かたづけてしまう。第二に、重要なことから優先してやっつける。第三に、決断できることは、その場で決断する。第四に、人に任せることは任せる。ようするに、未決の物事を自分で抱え込まない、ということ。机の上をかたづけるように、できるだけ心の中をいつもさっぱりしておく。これらの方法は、後のコヴィの『七つの習慣』(1989)でも、さらにシステマティックに採り上げられている。

 そして、情熱をもって仕事に取り組む。先にも論じられたように、目の前の今日すべき仕事で頭や体をフル回転させていることで、強迫観念が心に入り込むスキを与えない。さらに、カーネギーは、ぐっすり眠れない、などというのも、気にすることはない、むしろそんなときにこそ仕事、と言う。もっとも、これは文筆業など、夜中でも自分ひとりで仕事ができる人の話で、翌日、きめられた時刻に出勤して、万全の体調で仕事に臨まなければならないふつうの人々にとっては、ムリがあるだろう。


カーネギーをいま読む意味

 『道は開ける』は、このように、戦後の冷戦構造や大衆社会に直面して当惑する戦中世代に向けて書かれた。彼らの心は、大恐慌から世界大戦、そして、冷戦の恐怖に捕われており、伝統的な秩序ある価値観が崩壊して、モラル無しに身勝手を謳歌する戦後世代の新しい社会に溶け込めず、自由とは名ばかりのその新時代の世論の同調圧力にもがき苦しんでいた。それに彼は癒しと平安を与えようとした。

 よく読むとわかるように、邦題で『道は開ける』と言いながら、じつは、全体で worrying を止める方法に終始しており、living が何か、までは、書かれていない。しかし、living をスタートするためには、まず、その足に絡みついている worrying のカセを解く必要がある。

 問題の構造としては、現代も似ている。戦中世代がPTSDによって戦前戦後の恐怖に精神的に強迫され続けたのとは方向が逆ではあるが、いまの我々もまた、戦後コロナ前の繁栄の期待に心を支配され続けている。コロナさえ収束すれば、あの賑わいと活気に溢れた「現代」の大衆社会が復活する、とかってに信じている。しかし、それももまた、一種の強迫観念であり、同じ worrying だ。

 客観的に眺めれば明らかなとおり、日本だけでなく、かつての「先進国」はみな少子高齢化で衰退しつつあり、数が頼みの「現代」の大衆社会の根底が崩れてきている。かつての新聞やテレビのように数を力としてきた人気主義の文化は、多層的なネットの中で水のように薄まり、民主主義の政治も、安っぽい世論操作で、むしろ危うい対立構造を煽るだけのものとなってきてしまった。これとともに、いくら地球より重い人権を唱っても、経済的にも、政治的にも、文化的にも、個人は無力感に打ちひしがれ、社会に背を向けていく。

 過去の繁栄に心を捕われ、悶々として「復興」を待っているだけの worrying は、living ではない。だが、困ったことに、カーネギーが断ち切ろうとした恐怖の強迫観念や適応障害と違って、「現代」の繁栄の思い出は、麻薬のように甘美で、我々に社会まるごと夢を見させる。しかし、それは、足を失った者が、また生えてくることを期待して待ち続けるようなもの。失った以上、義足でも車椅子でもチャレンジして、また新たな方法で歩き出すことこそ、思案すべきことなのに。

 だから、問題は、カーネギーのときより厄介だ。過去中毒の酩酊連中が同調圧力で、歩き出す新たな足に絡みつく。せっかく「復興」させようとしているのに、水を差すな、協調しろ、空気を読め、と。しかし、それは、亡霊だ。彼らの心は、もう死んでいる。議論してもムダ。彼らには聞く耳は無い。心の中は、思い出の化石だらけ。だから、夢を醒ますな、と、逆恨みするだけ。

 ニーチェは、神が死んだ、と言う。それは、どこかのだれかが自分に意味を与えてくれることなど期待するな、ということ。たとえば、登山。そこらの里山に登ったところで、えらくもないし、かっこよくもない。だから、人は、ただ疲れるだけ、愚かだ、と言うかもしれない。しかし、自分で地図を見て目標を定め、迷わず、ペースも乱さず、頂上に着いて、眺める景色は美しい。その美しさは、苦労して登らない人には、言ってもどうせわからない。

 現代は、カネだ、賞だと、人に与えられる意味に毒され過ぎているのかもしれない。絵でも、音楽でも、自分で画いて、歌って、おしまい。もともと他人に売る気なんて無いし、売れるとも思っていないのだから、売れる売れないなんて、はなから問題にもならない。むしろムリに売れようとすれば、人を楽しませようとして、自分ではまったく楽しくない奴隷のような苦行になってしまう。

 仕事や家族も同じ。他人の人生を追ってばかりいても、けして自分の人生にはならない。かといって、自分の人生を見せびらかすようなものにしようとすれば、中身が無くなる。たしかに、他人からすれば、人の人生なんて、よくある里山のようなつまらないもの。でも、気にすることは無い。人に意味を求めず、自分自身で、自分自身に意味を与えること、自分自身に意味を見つけること、そして、その意味を実現すること。

 だから、カーネギーが言うように、笑って歩きだそう。過去には帰れない。昔は取り戻せない。昨日は昨日、今日は今日。そして、その先にはかならず明日がある。僕の後に道は無い。僕の前に僕が道を開く。