東大生はなぜ「一応、東大です」と言いがちなのか?(Getty:John S Lander/写真)

なぜ学歴を聞かれたとき、東大生や卒業生は「一応、東大です」と言うのか? 東大出身であることを謙遜する彼らの本音を、『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』の著者であり、自身も東大出身者である池田渓氏が明らかにする。

なにかの拍子に出身大学を尋ねられた東大生や東大卒業生が、その返答としてしばしば使うのが「一応、東大です」という定型句だ。

あまりにもよく使われるため、書籍のタイトルにもなっている。著者もこれまでに何度となく口にしてきた。みなさんも、まわりにいる東大出身者が口にするのを耳にしたことがあるかもしれない。この言葉を口にする東大卒業生の心中には、次の2つの感情がある。本記事では、その感情について解説しよう。

東大生も「ピンからキリ」までいる

一つ目は、「自分はあなたが思い描いているほど優秀な人間ではありませんので、どうか買いかぶらないでください」という心からの謙遜の気持ちだ。

東大生というものは実にピンキリ。今なお多くの大学受験生が志望校を決める際の判断材料としているのが偏差値だが、その偏差値ヒエラルキーの頂点に位置する東大の場合、一部の医学部や海外の大学をのぞいて「さらに上」というものがない。

つまり、下は合格ラインだが、上は青天井。相当な無理と幸運で辛うじて東大に滑り込んだ者から東大生の平均をはるかに超える天才じみた者までが、いっしょくたになって「東大生」と呼ばれている。

ピンキリの「ピン」にあたる東大生は、集中力と頭の回転が桁外れで、勉強でも仕事でも常人の半分の時間で完璧にこなしてしまう。彼らは、どんな講義でも一度聴けば理解してしまうし、あらゆる試験を難なくパスする。社会に出てからは、どのような場所にいても求められた以上の成果を出す。高い教養があり、たいていは人格的にも優れている。スポーツで例えるなら、野球の大谷翔平、フィギュアスケートの羽生結弦、女子レスリングの吉田沙保里に相当する人たちだ。

感覚的には東大生全体の1割かそれ以下という少数派なのだが、困ったことに世間が抱く「頭脳明晰で優秀な東大生」というイメージの元になっているのは、まさにこのタイプ。そんな、雲の上にいるスーパー東大生たちと同一視されてしまったら、「ただの凡庸な東大生(もしくは、東大卒業生)である自分」の評価はそこから減点される一方になる……ような気がして不安でならない。

だから、できるだけ謙虚にいようとするのだ。彼らの絶対的な才能を間近でみてきているから、自分がその評価に見合わないことなど身をもって理解している。

もう一つが、「東大卒ということにことさら注目せず、等身大の私を評価してください」という気持ちだ。

望もうが望むまいが、「東大卒」という学歴は人との関わりのなかのあらゆるシーンで、東大卒業生の最大のレッテルとして機能する。いくら「学歴などその人についてのごくごく小さな要素でしかない」と言われようとも、日本の社会のなかで「東大卒」の看板は今なお大きく、その人が持つほかの特徴の大半をたやすく覆い隠してしまう。

仕事やプライベートでどれだけ活動の実績を積もうとも、どれだけ関係を深めようとも、まわりから貼られた「東大を出ている人」というレッテルとそれに伴うイメージを覆すことは容易ではない。筆者が東大卒業生に行ったインタビューでも、「東大卒のレッテルによって苦労をした」と話す人は多かった。

「この人、東大卒なんですよ!」と紹介される苦痛

筆者は仕事の合間に街のスポーツサークルに通って運動を楽しんでいるが、新しい人が入ってくるたびに「この人は東大卒なんですよ!」と紹介されている。

すると、新人さんからは「すごく賢いんですね」「そういえば変わった感じがしますね」「(冗談半分に)東大王ですか?」などと言われるが、これには「いえ、そんな……」という返しくらいしかできない。毎度のようなこのわずらわしさは、「東大卒あるある」である。

ほかのメンバーなら、所属している会社名、仕事の内容、サークルの試合でのプレースタイル、家族、性格といった特徴でもって紹介されるのに、東大を出て10年以上がたって今なお、著者の世間からの最大の評価は「東大卒であること」なのだ。


いつまでたっても東大卒であることが自分の最大の功績と見なされるのなら、18歳かそこらのときに倍率3倍程度の東大入試をパスしたその瞬間が人生のピークで、それ以降に目立った活躍をしていないみたいではないか。そう思うと、けっこうつらいものがある。

東大卒のレッテルを上書きするほどの成果を仕事や趣味の活動であげ、その実績がまわりにも認知されて初めて、「東大の呪縛」から逃れることができるのであるが、それは並大抵のことではない。とくに最近では、東大生をタレントとして起用するクイズ番組やトーク番組がテレビで全国放送されていることで、このレッテルはより強力になったようにも感じる。

人には「なんだお前は。東大を出ておきながら、嫌みか」と言われるかもしれない。しかし、これらは嫌みでもなんでもなく、多くの東大生・東大卒業生の素直な本音だ。

「自意識過剰だ」と言われるかもしれない。たしかに。しかし、意識しまいとして、かえって意識をしてしまう。そんな自分に嫌気が差す――たかが出身大学を問われているだけなのに、このようなわずらわしさを感じている東大生や東大卒業生は多いのだ。