サッカーの歴史上「最も美しいハゲ選手」TOP8

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男性にはかならずつきまとってくる問題の一つが頭髪の喪失である。人によって差があるにせよ、その自然な変化に抗おうとする者も多い。

しかしその一方、その新しい容姿で輝かしいプレーをし、これがトレードマークのようになったという選手も。

『Sportmob』から、勇気を貰えそうなそんな8名の選手たちを紹介していく、

ブラッド・フリーデル

ブラッド・フリーデルはアメリカ代表のGKであり、ワールドカップでも3大会に出場した名選手。スキンヘッドの姿が非常に印象的だった。

プレミアリーグでもリヴァプール、ブラックバーン、アストン・ヴィラ、そしてトッテナム・ホットスパーでプレーし、310試合でプレーした。そして2015年に現役引退し、2017年からはニューイングランド・レヴォリューションの監督を務めていた。

アメリカサッカーの歴史上に極めて輝かしい記録を残したレジェンドであり、素晴らしい反射神経を武器に一歩抜きん出た存在となっていた。

フランク・ルブーフ

現在はコメンテーターや俳優として活躍しているルブーフ氏であるが、かつてはフランス代表のセンターバックとして長く活躍した。同国史上最高のスキンヘッド選手であろう。

チェルシー、ラヴァル、ストラスブール、マルセイユなどのチームに所属し、代表では1998年のW杯とEURO2000で優勝を経験。数多くの栄冠に輝いた。

またゴールを奪えるDFであることでも知られ、セットプレーやペナルティキックでチームを勝利に導くプレーも多かった。チェルシーではジャンルカ・ヴィアッリやロベルト・ディ・マッテオらとともに輝きを放ち、印象的な活躍をしている。

ファビアン・バルテズ

ルブーフと同じくフランス代表のメンバーとして数多くの栄冠に輝いた守護神ファビアン・バルテズも、史上最高のスキンヘッド選手の1人であろう。1998年W杯とEURO2000のトロフィーを掲げることに成功し、ピーター・シルトンと並んでW杯での無失点記録も持つ。

さらにクラブレベルでもマルセイユやマンチェスター・ユナイテッドで活躍を見せており、様々なタイトルをコレクション。その活躍から「ディヴァイン・ボールドワン」、ハゲ神という異名をとった。

フランス代表ではローラン・ブランが彼の頭にキスをする場面が有名だった。バルテズは歴史上最も人気があったスキンヘッドフットボーラーの1人だ。

エステバン・カンビアッソ

若くしてスキンヘッドになることを選択した偉大なボランチ、エステバン・カンビアッソ。アルゼンチンの選手として最も多くのタイトルを獲得した選手の1人でもある。

イタリア・セリエAでプレーしている間、彼はスクデットを5回掲げた。そしてチャンピオンズリーグでも優勝を果たし、そのメダルを胸に輝かせた。

晩年になってもレスター・シティで見事なプレーをし、後にリーグ優勝を果たすことになるチームの基盤を作り上げた。彼の功績はまったく色褪せることはなく、世界最高レベルのスキンヘッダーだった。

アリエン・ロッベン

オランダの一時代を作り上げ、世界のウイングプレーヤーに求められるものを変えた選手。アリエン・ロッベンが生み出したものはその数字だけでは語れないものがある。

圧倒的なカットインシュートの能力を生かして多くのゴールを生み出した彼は、PSVアイントホーフェン、チェルシー、レアル・マドリー、そしてバイエルンでプレーして引退。今季プロキャリアを始めたクラブのフローニンゲンで現役復帰した。

ただそのキャリアはピッチ上での輝きととともに怪我との戦いでもあった。その中で常人には想像できないような苦労を重ねたことを感じさせる。

ヤープ・スタム

もうひとりオランダから選ぶとすれば、それは間違いなくヤープ・スタムになるだろう。その巨体と激しいプレーから「ハードハゲ野郎」という愛称までついたほど、相手にとっては嫌な選手であった。

マンチェスター・ユナイテッドからラツィオに移籍したあと、あのアレックス・ファーガソン氏が「スタムを放出したのは間違いだった」と公言するなど、その輝きは圧倒的なものだった。

1999年にマンチェスター・ユナイテッドで伝説的な「トレブル(三冠)」を達成し、それから全盛期のセリエAでラツィオ、ミランに所属。アヤックスで引退したあとは指導者として様々なクラブを率いている。

ジネディーヌ・ジダン

現代サッカーの中で最も輝かしいスキンヘッドプレーヤーは誰だったか。おそらくほとんどの人がジネディーヌ・ジダンであると答えるだろう。

名門カンヌの下部組織で育ち、ボルドー、ユヴェントス、そしてレアル・マドリーでプレーした。そこであまりにも広いビジョン、繊細すぎるテクニック、誰にも思いつかないアイデアを見せ、数多くのサッカーファンを虜にした。

引退試合となった2006年W杯の決勝戦では、そのトレードマークだった頭でマルコ・マテラッツィの胸を破壊。伝説の選手は最後の瞬間にも大きな印象を残し、指導者に転身した。現在は知っての通りレアル・マドリーの監督を務めている。

ボビー・チャールトン

彼のスタイルはとても有名だ。イギリスではもっとも有名な選手の1人であり、マンチェスター・ユナイテッドでウェイン・ルーニーに破られるまで最高得点数の記録を何十年も保持し続けていた。

「ミュンヘンの悲劇」を生き延び、多くの選手が死去したマンチェスター・ユナイテッドの象徴となり、その復活劇の立役者となった。まさに伝説的な存在である。

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両足で素晴らしいシュートを放つことができ、偉大な思想家でもあった。イングランド代表を1966年W杯優勝に導き、1968年にはマンチェスター・ユナイテッドを初の欧州王者にした。