何不自由ない生活なのに、なぜか満たされない。

湾岸エリアのタワマンで、優しい夫とかわいらしい娘に囲まれ、専業主婦として生きる女。

ーあのときキャリアを捨てたのは、間違いだった?

“ママ”として生きることを決意したはずの“元・バリキャリ女”は、迷い、何を選択する?

◆これまでのあらすじ

湾岸のタワマンで育児に専念する、元バリキャリ女子の未希。復職の意欲はあるが、子どもの預け先が見つからず、悩みは尽きない。

そんな中、一生専業主婦宣言をしていたママ友・まりあが復職すると言い出して…?

▶前回:タワマンの一室を占領して、怪しい密会をする女。そこで行われていた、ある秘め事とは




「息子が入院して、病院の人たちと関わる中で思ったの。働きやすさで美容クリニックに就職したことが本当によかったのかなって」

昼下がりの『エッグスンシングス』で、まりあは復職する理由を語った。もうすでに意志はハッキリと固まっているようだ。

「それを看護学校時代の友達に相談したら、近くの保育所付きの病院を紹介してもらうことになったんだ」

「そっか…。おめでとう!」

かつて「復職は考えていない」と言っていたまりあ。彼女の決断に驚きはあったが、不思議と華子へ感じるような嫉妬やモヤモヤはなかった。

「あと、この先何があっても、子どもを抱えて生きていける力が欲しいっていうのもあってね」

「何があっても…?」

「ちょっと考えることがあって」

これまでも多くは語らなかったが、まりあのワンオペぶりや夫への不満は、いつも言葉の端々から滲み出ていた。今日も夫に子守を拒否され、シッターに預けてここへ来たのだと言う。

「自立しなきゃって思うんだよね、私も」

まりあの瞳は“その先”をどこか見越しているような意志さえ感じる。そんな彼女に、未希が刺激されたのは言うまでもなかった。

…そんなときだった。未希のもとに、ある一通の手紙が届いたのは。


届いた手紙に書かれていた、その内容とは…?


招待状


―働くことが優先なら、キャリアを活かしたいとかワガママ言ってられないよね。

まりあの復職により、未希がこれまでためらっていた託児所付きのパートも悪くはないと考え始めていた頃。

郵便ポストを覗くと、未希宛に手紙が届いているのを発見した。送り主は未希の前職の会社である。

―えっ、なにこれ?

退職後の手続き関係の通知か何かだろう。そんな軽い気持ちで封筒を開けると、中から一通の招待状が出てきた。

「里村楊次郎賞、受賞記念祝賀会へのお誘い…?なんで、私に届いたんだろ?」

里村楊次郎とは、芸術に疎い未希でもその名を知っている写真家である。そしてその名を冠した賞は、写真界の芥川賞とも呼べる若手カメラマンの最高峰の賞だ。

手紙によると、未希がかつて女性活躍リーダーとして企業広告に出た際、撮影してくれたカメラマンが今回その賞を受賞したらしい。

どうやら例の仕事が賞賛され、キャリアアップに繋がったということで、モデルの方にお礼が言いたいとカメラマン側から要望があったのだそうだ。




先日のランチ会での子守がうまくいき、味をしめた慎吾は「自分が咲月を見るから」とその会への出席を喜んでくれている。

しかし未希の方は、あまり気乗りしていなかった。

―会社の人も来るんだよね。会いたくないなあ。

それに未希は、例のパーティにおける広報部の担当が、梶谷の婚約者である日比瑞樹であるということが引っかかっていたのだ。

瑞樹とは未希へのOB訪問をきっかけに、入社してからも良く交流していた。だから、彼女に会いたい気持ちは十分にある。

しかし梶谷と婚約をしているのであれば、話は別だ。正直なところ、彼と近しい人間には極力かかわらないでいたい。

一方で、先日偶然会った会社の後輩・那奈や恵理子が、「日比さんも、会社を辞めると言っている」と言っていたことがどうも気になっている。

―もしかしたら彼女は、大きな悩みを抱えているのかも。

入社前から、仕事への情熱を前向きに語っていた瑞樹。そんな瑞樹が、結婚だけを理由に辞めると言い出すとは考えられなかった。

結局未希は、かつての自分に重なる予感を抱き、出席に丸をつけて招待状を返送したのだった。


そのパーティーで、未希はある意外な人物と遭遇し…?


「先輩、お久しぶりです」

帝国ホテルで催されたそのパーティーで久々に会った瑞樹は、相変わらず美しかった。

さすが、大学時代に並み居る女子アナ志望の学生たちを押しのけ、ミスコンでグランプリを受賞しただけあるな、と未希は思う。

幸いにもパーティーに来ていた会社の人間は瑞樹だけだったので、2人は祝賀会そっちのけで思い出話と近況報告に花を咲かせる。

中でも瑞樹は、未希の結婚生活について前のめりで聞いてきた。

「いいなあ。結婚ってステキですね」

「瑞樹さんも、実は結婚が決まってるんでしょう?」

未希は本人からの報告を待っていたが、瑞樹はその件について言い出してこないため、思わず口に出してしまった。

「ええと。ま、そうなんです…」

すると瑞樹は、頬を紅潮させて告白した。未希にとって彼女の相手が梶谷であることは不満だが、その幸せそうな顔に何も口をはさめない。

「仕事は続けるんだよね?」

「それが…。やめようと思うんです」

「なんで?主任にもなって、女性活躍推進委員にも選ばれてるって聞いたよ」

未希の質問に、瑞樹は答えにくそうに口を開いた。

「結局、私に与えられた役職は賑やかしなんです。主任になって認められたと思ったのに、企画も提案も男性役員の一存でしか決まらないし…」

瑞樹は会場に掲げられている未希のポスターを眺める。

「私、昔から容姿のことばかり言われてきたので、それが関係なさそうなこの仕事を選んだんです。でも“女性ならでは”とか“女性だからこそ”の枠でしか認められないことに絶望してしまって」

「そうね…」

瑞樹の話に、未希は心から共感した。そして、その言葉の奥にさらなる苦しみがあるのではないかと察する。

「先輩が会社を辞めたのって、やっぱり何か深いワケがあったんですか」

瑞樹は、遠くを見つめる未希の視線に何か気づいたようだった。…いや、もっと昔から、それに気づいていたのかもしれない。

「ずっと気になっていたんです。先輩、妊娠で辞めるような人じゃないと思っていたから。それで、自分も先輩に近い立場に立ったことで、何か分かるような気がしてきて」

彼女の真剣なまなざしに、未希はもう逃れられないと感じた。

「実はね…。私、会社で不正をしていたの」

「不正…?」

未希がその先に続く言葉を話そうと、口を開いたその時だった。

「未希さん」

遠くから誰かが自分の名前を呼ぶ声がした。

振り向くとそこには、落ち着いた留袖に身を包み、お酌に回るためのビール瓶を手にしている華子の姿があったのだ。




実はこのパーティの主役であるカメラマンは、華子の夫であったらしい。どうやら本名とは別名義で活動している時に撮った作品で、賞を受賞したらしかった。

「本日はお越しいただき、ありがとうございます」

甲斐甲斐しく頭を下げる華子に、未希は先日のトラブルとは別の気まずさをおぼえた。

「ポスター見て驚きました。大きな企業で活躍されていらしたんですね」

「はい。華子さん、あの…。この前は言いすぎてごめんなさい」

「私こそ。失礼いたしました」

その振る舞いは洗練された“夫を支える奥さん”といった雰囲気だ。きっと華子は、こういう場を何度も経験しているのだろう。

「奥さん、早く来て!出版社の社長さん来てるよ」

年配の男性に呼ばれた華子は、会釈をすると足早に未希のもとを去っていった。

その甲斐甲斐しい後ろ姿に、未希は華子の“妻としての葛藤”を見たような気がしたのだった。

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未希が会社を辞めた真相が、ついに明かされる…。