7月某日の昼下がり。東京・渋谷区内で見かけたのは、なんともおしゃれな白い “クラシックカー” だった。その横には、真っ赤なTシャツに白のパンツ姿で、帽子をかぶった浅田美代子(64)の姿が。クラシックカーに乗り込み、慣れた手つきで運転する様子は、愛車との長年のつき合いを思わせる。

 浅田の愛車は、かつて英国などで製造されていた「バンデン・プラ・プリンセス」。通称「バンプラ」と呼ばれる、日本では珍しいブランドだが、じつは2018年に死去した樹木希林さんから、21年前に浅田が譲り受けていたものだ。

「えっ、私と車が撮られていたの? ちょうどパンを買いに行ったときかな。気がつかなかったなあ(笑)」

“目撃撮” を伝えると、浅田美代子本人が、こう話してくれた。

「1999年当時、私の母が入院していて、病院に通う必要がありました。だけど私の家には、大きな車しかなかったんです。

 以前から希林さんが乗っていたバンプラを見ていたので、『とてもかわいいし、小さくていいな』と思っていて。希林さんに『欲しい』と言ってみたら、『じゃあ、美代ちゃんに譲るよ』って、本当にくださったんです。

 じつは、あの車は外側の車体だけバンプラで、エンジンや車内は日産のマーチなんです。私がいただく前から、そのようにカスタマイズされていました。希林さんは、とても車好きでしたからね」

 車本体だけでなく、ナンバーもそのまま受け継いだ。

「もともと、偶然にも私に関連する数字だったんです。だから、『希林さんは最初から私に譲ってくださるつもりで、このバンプラに乗っていたのでは』なんて思っていましたね(笑)」

 以来21年間、浅田はこのバンプラに乗り続けている。この間の走行距離は、8万kmに達した。

「18歳で免許を取ってから、私も車が好きで、いろいろな車に乗ってきました。だけど、これほど長く乗っている車はないんです。ただ、バンパーひとつ壊れても、部品がないので、なかなか修理ができない。私の周囲は『もう手放したほうがいい』と言っています。

 でも、ふだん運転するのに、なんの支障もありません。エアコンだって普通に動きます。この車に、一生乗り続けるつもりですよ。希林さんが亡くなってから、よけいそういう思いになりました」

 浅田のデビュー作となった、1973年放送のドラマ『時間ですよ』(TBS系)で共演して以来、45年の長きにわたって親交を深めた2人。樹木さんが亡くなる最後の1カ月は、浅田が家族同様に付き添って、看病していたほどだ。

「希林さんの魂が、この車には今も生きていますからね。私が乗りつぶすまで、勝手に廃車にはできませんよ」

 2人の物語はまだ走り続けている。

(週刊FLASH 2020年8月11日号)