財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブの理事長船橋洋一氏(右)とアメリカ・ワシントンのCSIS(戦略問題研究所)に勤める越野結花氏

シンクタンク・パワーと政策起業力のフロンティアと日本の課題を、シンクタンクや大学、NPOの政策コミュニティーの現場で活躍している第一線の政策起業家たちと議論する本連載。総論をまとめた第1回「霞が関に依存しないシンクタンクが必要な理由」(2019年6月10日配信)に続く第2回は、アメリカ・ワシントンのCSIS(戦略問題研究所)に勤めるシンクタンカー、越野結花氏との対談前編をお届けする。

船橋 洋一(以下、船橋):越野さんがお勤めのワシントンのCSISは、外交分野では世界ナンバーワンと言われるシンクタンクです。20代とまだ若い越野さんが、どのような志を持って、どのような経緯でCSISに入所されるに至ったのか。その辺りからお話しいただけますか。

越野 結花(以下、越野):私はアメリカのロサンゼルスで生まれて、幼少期を同時多発テロ前後のアメリカで過ごしました。帰国後は、海外研修の多い中高一貫校で学びました。そんな経験から、最初は国際政治、とくに、日本の対外発信に強い関心を持つようになりました。

学生時代に書いた記事が週間最多アクセス

大学時代はアメリカのスタンフォード大学に研修に行ったり、交換留学生としてカリフォルニア大学バークレー校で学んだりする中で、今後、世界のリーダーとなる人材が集まっている場所での日本人の存在感とか、日本人学生の少なさに危機感を覚えました。そして、世界で影響力を持つ英米系のメディアに関心を持つようになりました。


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帰国後、『エコノミスト』や『ウォール・ストリート・ジャーナル』で、東京支局のインターンとして取材し記事を書き始めました。インターンとしての最初の仕事はウォールストリー卜誌のプロジェクトで、日本の在日米軍基地負担を取材しました。ちょうど、2016年の大統領選の時期で、ドナルド・トランプ氏が在日米軍基地撤退を口にしていたからです。それはアメリカでも関心の高いテーマで、週間最多アクセスを獲得してしまいました。

船橋:すごいですね。

越野:インターンとして3カ月間、日本の政治経済やビジネスの情報を発信する中で、自分自身が政策や新しいアイデア、コンテンツを作り出す側で仕事をすることに関心が移っていきました。ならば、世界政治の中心であるワシントンでの実務経験があって、アカデミアの経験もある先生から直接学びたいと考え、自分への出資のつもりで、ジョージタウン大学外交政策学院アジア研究科の修士課程MASIA(Master of Arts in Asian Studies)に進学しました。実務の視点からアカデミックなトレーニングを受けることのできるプロフェッショナルスクールです。


学生時代のインターン経験を語る越野結花氏

ジョージタウン大はインターンを奨励していました。9月に入学してすぐに、マイケル・グリーン先生(CSISアジア上級副所長・日本部長、ジョージ・W・ブッシュ政権時代に大統領特別補佐官や国家安全保障会議アジア上級部長などを歴任)にCSISの日本部門を紹介され、そこで半年働きました。先生はアメリカのアジア外交や日本の安全保障政策の第一人者です。そのほか、在学中にバラク・オバマ政権時代国務次官補を務めたカート・キャンベル氏が設立したコンサルティング会社のアジア・グループにもインターンに行きました。

大学院ではアメリカのアジア戦略やサイバー戦略、中国の軍事戦略などを勉強し、卒業後はアバセントという防衛・航空・宇宙産業に特化した戦略コンサルティング会社で働いていましたが、進学の動機でもあった、政策の現場近くで働きたいという気持ちは強く持ち続けていました。そんな中で、インターンに行っていたCSISからオファーをいただき、現在のフルタイムの仕事に就きました。

エレベーターにキッシンジャーが

船橋:そうすると、ジョージタウンの大学院時代のインターンの経験がものすごく大きかったということですか? 

越野:そうです。もちろんフルタイムとは違いますが、研究所の中に入って、実際にグリーン先生の仕事をすぐそばで見ることができたのは、非常に貴重な経験でした。例えば、北朝鮮がミサイルを発射すると、取材を受けたり公聴会に呼ばれたりします。インターンの仕事は、北朝鮮のミサイル発射の時系列や、メディアの報道の傾向を調べることでした。

グリーン先生がこれからまさに発言しようとすることの、最初のインプットを調べるのですから、やりがいもありました。何より、歴史を作ってきた戦略家が、眼前の問題にどのようにアプローチしているのかを、肌感覚で経験できたのが面白かったです。

船橋:CSISでの半年間のインターンで、最も印象に残ったこと、政策研究を志すうえで役に立ったことを1つだけ挙げるとしたら、何ですか?

越野:1つだけというのはなかなか難しいのですが、印象に残っていることは、日々世界中の著名な研究者や政府高官が出入りをしていて、緊張感やスピード感溢れる空間であったことです。例えば、ヘンリー・キッシンジャー(元アメリカ国務長官。ベトナム戦争の和平交渉で1973年にノーベル平和賞受賞)先生のような歴史的な人物とエレベーターに乗り合わせたとか、ズビグネフ・ブレジンスキー(政治学者リンドン・ジョンソン大統領顧問、ジミー・カーター大統領補佐官などを歴任)先生がホリデー・パーティーでダンスをされているのを目にしたこともありました。

かねてから書籍や論文を通じて憧れを抱いてきた本物の戦略家に出会い、直接意見交換をできる機会があるのは、世界トップのシンクタンクで働くことの特権です。なにより、毎週数百ページの論文を読み、計1万ワード論述する大学院の課題と同時並行でインターン(週に約16時間程度)を行う過酷な生活の中で、外交戦略家になりたいという自らの目標や夢を見失わずに研究に打ち込むための、大きな励みにもなりました。CSISには過去に訪れた各国の首脳の写真も飾ってあります。そういう環境はどんなに寝不足でも、つねにエネルギーが湧いてくる場所でした。

役に立ったことでいうと、政策や外交交渉のアジェンダが作られていく過程をつぶさに見ることができたことです。CSISの中でも日本部はかなり大きなセクションで、クローズドなミーティングも頻繁に行われている場所です。そういうミーティングは公にはなりませんが、有識者のみならず、日本政府の官僚や自衛隊の制服組の方、財界人などもいらっしゃって、日米の対話や、3カ国4カ国の、いわゆる「1.5トラック」の協議が行われています。

そこでは、今後課題になることは何かというところからベースのアイデアを出し合って、少しずつ結論が固められていきます。そういう最先端の協議の過程をつぶさに見ることができたことは、本当に役に立ちましたし、名刺交換を通じてその後東京やワシントンで開かれる勉強会に呼んでもらえたり、1対1の意見交換の場を設けてもらえたりもし、専門性を極めるチャンスにもなりました。

船橋:シンクタンクの世界ではよく使う言葉ですが、「1.5トラック」とはどういうものかを説明していただけますか。

越野:はい。国際間協議で「トラック1」は公式な政府間協議のことを言い、「トラック2」は民間の有識者同士の意見交換の場です。その中間が「トラック1.5」で、CSISのような大規模なシンクタンクなどがホストとなって、両国の政府高官や有識者を招いて非公式な討論を行う場という認識です。

アメリカのシンクタンクは「回転ドア」

船橋:アメリカのシンクタンクは「リヴォルヴィングドア(回転ドア)」だと言われますが、それにはどんな意味合いがあるのでしょう。CSISの場合、どんな「回転ドア」になっているんですか?

越野:それぞれのシンクタンクによって形はさまざまですが、CSISの場合、例えば、私の上司のグリーン先生は先ほども申し上げましたが、ブッシュ政権から出た後、CSISのポストとジョージタウン大学の教授も兼務されています。韓国部のヴィクター・チャ氏も同じです。大学では学術的研究を、シンクタンクでは実務の視点も交えた中長期的な戦略を描く政策研究・提言を行っています。

もう1つのパターンとしては、アメリカ企業に政策的視点からビジネスのアドバイスをするストラテジック・アドバイザリー・ファーム(戦略顧問事務所)やロビイングファームを兼任している方も多いと思います。シンクタンクの研究員の多くは、前政権で政府の中枢にいた人たちですから、政権内にいたときに培ったネットワークを活かして高度な情報を集めて、助言しています。

船橋:つまり、政権交代のたびに政府とシンクタンクや民間のコンサルティングやロビイングファームを行ったり来たりしている人が大勢いるということですね。ワシントンで有力なファームは、例えばどこですか。

越野:これにもいろいろな形があるのですが、例えば、オルブライト・ストーンブリッジ・グループや……。

船橋:ビル・クリントン政権の国務長官ですね。

越野:はい。それから、やはりクリントン政権で国防長官だったコーエングループとかですね。

船橋:ウィリアム・コーエンですね。ただ、そういうファームはシンクタンクとは違うんですね。 

越野:違います。ストラテジック・アドバイザリー・ファームはコンサルティング会社で、さまざまな情報を収集し、その分析をクライアントに提供しています。とても面白い仕組みになっていて、レポートのベースは若手のアナリストが作成しますが、上に行けば行くほどアクセスできる情報も増えていきますから、元官僚や閣僚級の人たちがどんどん色付けして、最終的なレポートができあがります。私が大学院の夏休みにインターンを行っていたアジア・グループも、ストラテジック・アドバイザリー・ファームでした。

船橋:そうすると、顧客はアメリカ企業が中心だということですね。

越野:はい。

北朝鮮のミサイル基地再稼働を発信

船橋:では、シンクタンクのほうはどうですか。シンクタンクの顧客というか、ユーザーは誰なのですか。 

越野:そうですね、公益のために研究を行う非営利団体ですので、基本的にはアメリカの政府や議会、メディアなどですが、CSISくらいの規模のシンクタンクになると、国際的にも需要があります。例えば、国連総会があったり、アメリカ大統領との首脳会談があったりして、各国の首脳がワシントンを訪れたときに、何か新しい政策を発表する場所としての機能も果たしています。これも、インターン時代に印象に残った経験の1つです。

いつ政府の閣僚がやって来ても、国外の首脳級の人が訪ねてきても、コーヒー・サービスの提供から、イベント運営(ロジスティクス)まで完璧にこなせるよう、各部門のインターンからフルタイムのスタッフまで皆訓練されていますから、200、300人ほどが入れる部屋はすぐにいっぱいにできます。

船橋:発信の場を提供する、オーディエンスも招けると、そういうことですね。シンクタンクの1つの機能として。

越野:はい。例えば、日本部で言えば2013年に安倍晋三総理が「Japan is Back (日本は戻ってきました)」のスピーチを行ったのもCSISです。今年の1月には、岩屋毅防衛大臣がCSISで日本の防衛大綱を初めて英語で発表しています。また、レックス・ティラーソン・アメリカ元国務長官が「自由で開かれたインド太平洋戦略」を発表したのも、CSISです。つまり、シンクタンクには、各国政府が発信の場として活用しているというイメージもあります。

船橋:なるほど。では、CSISではどんなテーマを研究しているのですか。最近のプロダクトなど具体的なお話を伺えますか。

越野:アジアプログラム全体としては、主にインド太平洋地域におけるアメリカの戦略や、日米およびパートナー国の役割を検討した中長期的な戦略を研究・提言しています。最近ですと、地域における日・米・豪・印の戦略的枠組みの役割や、中国の海洋シルクロードがもたらす戦略的・経済的な課題、グレーゾーンにおける抑止の理論と実践などについての報告書を公に発表しています。

私が最近携わっているプロジェクトには、「Strategic Japan(ストラテジック・ジャパン)」というものがあります。このプロジェクトでは、毎年4名ほど日本の有識者を招致し、日本の政策研究をワシントンの政策・戦略をめぐる議論に反映することを目指しています。

昨年はFree and Open Indo-Pacific(自由で開かれたインド太平洋)をテーマにし、地域における安全保障や価値観の役割、インフラの投資戦略などについて、論文を執筆いただきました。ワシントンの忙しいポリシーメイカーたちに効果的に発信するため、内容をラジオ番組のようにまとめた20分間の「ポッドキャスト」を製作して発信もしました。その延長として、私自身はFOIPの中でもデジタル空間(サイバー空間)に着目し、編著の1章を担当することになりました。先日は研究のため、初めて対外出張に行かせてもらったりもしました。

近年力を入れている「日本」の発信は?

そして、日本部では、ほかにも非伝統的な新しい研究・発信を行っています。最近CSISが力を入れているのは、衛星写真の分析です。例えば、「Asia Maritime Transparency Initiative(アジア海洋透明性イニシアチブ)」というプロジェクトがあります。南シナ海を航行する船舶の船籍を特定したり、中国が進める人工島の建設の様子を追ったりして、分析をウェブサイトで公開しています。

船橋:南沙諸島の話ですね。岩礁を埋め立てちゃった。

越野:視覚的な説得力があるので、ニュースになるものは積極的にメディアに提供して、CNNなどに取り上げられたり、日本でも通信社が発信したりしています。ホワイトハウスから情報提供の依頼を受けることもあります。韓国部は北朝鮮の衛星写真を分析していて、先日はミサイル基地のオペレーションを再開したことを発信しました。ハノイの米朝首脳会談の直前です。意図的だったかどうかはわかりませんが、重要な政治日程の前に研究を発表することで、会談に影響を与えうる力にもなるのではないかと思います。

船橋:衛星写真を24時間365日ずっと録画して、それを解析、分析するとなると、たいへんなコストがかかると思いますが、例えば、このアジア海洋透明性イニシアチブの場合、資金はどのように手当てしているのですか。 

越野:具体的なことはわかりません。ただ、シンクタンクでは、価値が認められる研究には、出資という意味で、さまざまな方面から資金が付きますし、それがどんどん拡大していく場合もあります。これは、シンクタンクの政策起業力とつながる話だと思います。

(後編に続く)