テレビ局社会部・政治部記者からキャスターへ。小西にはニュースのリズムがたたき込まれている(撮影:稲垣純也)

ジャンルが何であれ、見た者が沈黙せざるをえないほど非凡な輝きを放つ女たちがいる。「キラキラ女子」や「スーパー両立母」のような、化粧をした女性観はもういらない。水面下で必死に水掻きを続ける努力や、周囲が感嘆しあきれる集中力。一見華麗な女たちのバックストーリーを、河崎環が描き出す連載の第4回。

記者出身ながら、大抜擢でニュースキャスターへと転身した異色のキャリアの持ち主。日本テレビ報道局政治部解説委員・小西美穂49歳、マスコミのど真ん中を歩いてきた。テレビに出るときの華奢なハイヒールなんかじゃなく、グリップの効いた登山靴で良路(オンロード)も悪路(オフロード)も踏みしめながら。(敬称略)

ニュースのリズムを持つ女(ひと)

日本テレビが平日午後に放送するニュース番組『news every.』の放送30分前。汐留の日テレタワー5階報道フロアの一角にあるデスクで、16時台を担当するキャスター小西美穂は女性スタッフ数人と、小西が担当するニュース解説コーナー『ナゼナニっ?』のニュース原稿を練り上げていた。高い天井からは頭上に無数のモニターが配され、スタッフのデスクがずらりと並ぶ広いフロアには、緊張感がまだらに存在する。集中力が高まりピリッとした空気の流れる一角が「放送直前のチーム」だ。


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電話やメールを駆使し、リアルタイムで社内の記者に事実確認をしながら、進行表やニュース原稿と頭を付き合わせ、1秒を惜しんでギリギリまで文言を調整する。その日は角界が揉めていた。ニュースで取り上げるにも、一般の感覚では理解しにくい部分をどうかみ砕いて視聴者へ解説するか。

「小西さーん、さっきのところ、ニュアンス変えたほうがいいって!」

「えっホンマ? そしたらここ切って、そっちとくっつけようか。ほんで、ここんとこであたしがコメント。大丈夫? 気にならない?」

「うーん、ここ大事ですよね……」

「じゃ、後半に持っていこうか。間ぁ取ってくれる? 尺次第やね、これ」

ファクト(事実)が飛ぶ。言葉が返る。事実関係を確認し、解釈を検討し、論理の運びを詰め、丹念にニュース原稿が編まれていく。明瞭な関西弁でチャキチャキと刻むように話をする、ニュースのリズム感を持つ小西でさえ、口も頭もトップスピードのフル回転だ。

小西は大きな文字で打ち出されたニュース原稿を声にして確認し、ザッザッと赤や緑のマーカーで手を入れていく。目の前で切られ、のり付けされ、反物のように長く伸びて行く修正原稿を確認する真剣な横顔は、テレビで見慣れたとおりのシャープさ。放送用にメイクアップし、今日もこれからカメラの前に立つ直前の彼女の横顔は思ったとおりにくっきりと美しく、だが大きな動作で原稿にマルやバツを書き入れていくその背中は思ったよりずっと華奢なことに、微かな驚きがある。

視聴者へ日々ニュースを届ける人気実力派キャスターはちらりと時計を見上げ、「はい、じゃあやろう」と席を立った。

「◯◯さん、お子さん、熱が下がったばかりでしょ。私のコーナー見終えたら、遠慮なく退社してね」。実は『news every.』はデスクやディレクターにワーキングマザーが多く登用され、民放ニュース番組の中でも高い人気と視聴率を誇る同番組を支えている。1秒を争うニュースの現場で、時折笑いも交えながら番組制作に知力体力を注ぎ込む女性たちのデスクの足元には、脱いだハイヒールとカジュアルなキャンバス地のリュックがいくつも転がっていた。

筆者のほうに向き直った小西は「ついてきてください!」と言い、放送用衣装のハイヒール姿にもかかわらずスタジオへ向かって走り出した。手にした書類トレーには、ペンや進行表と一緒に紙コップ2杯のお湯とトローチ。「しゃべる仕事でしょ、放送中にのどがいがらっぽくなると困りますから、いつもこれ持っていくんです」。そして軽く息を弾ませ、照明がまばゆくセットを照らすスタジオへ歩み入りながら、こう続けた。「私ね、1日でこの時間がいちばん元気なんですよ。キャストはみんなそう、放送時間にピークを持ってくるんです」。


左から日本テレビ報道局政治部解説委員・小西美穂、日本テレビアナウンサー・藤井貴彦、同・中島芽生。放送直前まで集中力を高めて臨む(筆者撮影)

放送直前まで、キャスター席で辞書を出して日本語をチェックする。生放送中に画面の順序が飛ぶアクシデントがあっても咄嗟の機転を利かせる。「このコメント、9秒でお願いします」と見せられたカンペの文章を、次にカメラが帰ってくるまでカウントダウンする誰かの声が響く中、瞬時に改変し9秒内に美しく収める。集中力とアドレナリンの芸術(アート)。生放送のニュース番組に携わる彼らはある意味、報道アスリートなのだ。

キャリアは「アクシデント続き」だった

担当時間帯の放送が終了すると、小西はスタジオをぐるりと見回しスタッフ全員の名前を担当別に読み上げては「またよろしくお願いします」と一言添えて礼を言った。「『news every.』の慣習なんですよ。私が去年番組に来たときには、すでにこうでした」。


小西のキャリアは平坦でも平穏でもなかった(筆者撮影)

小西のキャリアは、本人曰く「アクシデント続き」だ。記者出身ながら、大抜擢でキャスターへと転身した異色のキャリアの持ち主。新卒入社した読売テレビ社会部時代はトイレで仮眠を取るような夜討ち朝駆けのサツ回り、ロンドン特派員時代には長男が生まれたばかりのベッカムに病院前でマイクを差し出して長男ロメオの名前を聞き出し、選ばれた数少ない報道陣として乗ったブレア英首相(当時)専用機の中からイラク戦争開戦決定の瞬間を報じ、イラク戦争が終わって間もない中をジープで走り抜けた。

そして出向した日本テレビ報道局政治部では、東京の右も左も「平河町(自民党本部の旧所在地)」もわからないところから始まった政界取材。だが2006年、36歳の小西に『NEWS リアルタイム』のサブキャスターとして白羽の矢が立つ。さらに「女版・田原総一朗」との期待を背負って報道番組を仕切るようになり、BS日テレ『深層NEWS』では錚々たる各界著名人を相手にメインキャスターを3年半務め、現在の『news every.』へ至る。だがつねにキラキラと画面の中にいたわけではなく、「アリ地獄」の中でもがく日々もあった。

原点はラクロス

決して平坦でも平穏でもなかったキャリアを通して、小西が大切にしてきたものとは何か。「間合いだけは磨いてきたつもりです。間が悪いのがいちばん恥ずかしい」。兵庫出身の小西は話術に長けた関西人らしい表現を使う。

「長い間、話してくれない人から話をもぎ取ってくるのが仕事だった」取材記者出身の小西にとって、現在のキャスター業とは「最前線で泥水をすするような思いをして一次情報を取ってきてくれた取材部から、文字起こしや編集、大勢の人を通して回ってきたバトンを最後の最後に渡されて、視聴者に届ける仕事」。だからこそ、これまでの鍛錬を生かしてどんな難解なニュースもかみ砕き、わかりやすく削ぎ落とし、視聴者の呼吸に合うような間合いで話す。「取材のプロたちが1つの真相を連携して料理し、うまく届ける。視聴者に対して決して手は抜きません」。


取材のプロたちが1つの真相を連携して料理し、視聴者へ届ける最前線に、小西は立つ(筆者撮影)

『news every.』の出演者たちに、そのプロ意識は共通しているという。同じチームとして、視聴者へニュースを届ける最後の場と自覚する者同士が助け合い、ベストコンディションで出る。

「『今日は喉がおかしいんです』『元気ないんです』では済まされませんからね。いちばん集中力が高まった状態じゃないと。喉の調子が悪いと言ったら、鈴江奈々アナは『夜お休みのときに試してみてください』とシルク製のマスクをくれて。藤井貴彦アナも、重いものをランチに食べないようにしてるそうです。(人前に)出る役は顔を晒して責任も伴うし、それなりに批判や非難も受けることはあるけど、誰が楽で誰がそうじゃないなんてのは、取材者と出演者の両方を経験してきたからこそ、ないと感じます」

原点は、関西学院大学時代に主将を務め、打ち込んだラクロス。日本に入ってきたばかりの種目に面白そうと飛びつき、ルールや装備を自分で文献や人物に当たり、調べながら創部した。

「まだ誰も知らない、見たことのないものを見たり、これからの流れを作ったり、会えないはずの人に会って真相を聞いたりすることに喜びを感じるタイプなんです。記者根性はその頃から培われていたんですね。キャスターをやれと言われたときも、そんなのあたしできませんとさすがに思ったけれど、誰もやったことがないことをやる面白さで引き受けました。挑戦下手かもしれないけれど、やらんと前に進まへんでしょ」

思えばラクロスでも、ディフェンスがつなぎ運んできたボールを最前線でゴールに打ち入れるポイントゲッターだった。

サバイバルの旅路

小西は9月に、2冊目となる著書『小西美穂の七転び八起き』(日経BP社)を出したばかり。その中では、20代から30代にかけて報道の世界を走り回った小西の奮闘と、40代で突如アリ地獄のような精神状態に足を滑らせ、這い上がろうともがいた日々が率直に語られている。


「キツかった」体験を率直に話す出版記念イベントには、多くのファンが詰め掛けた(撮影:稲垣純也)

「大阪から出てきて、『読売テレビから来たけど、日テレでキャスターやってる』っていう不思議な立ち位置にいたわけですよね。ところが41歳で配置換えがあって番組を降り、別番組で企画取材キャスターという、つまりは『何かいいネタが取れたらどうぞ』という閑職へ。40歳の誕生日は、キャスターとして大勢の人に囲まれて、白金のレストランで華やかなバースデーパーティー。ところが41歳の誕生日は、1人ひっそりと行きつけの定食屋さんのカウンターで、サンマ定食を食べていました」

もちろん、企画取材キャスターとは小西らしい取材力をじっくりと生かせるポジションであり、配慮もあったのだろう。だが小西は「私は最前線大好き人間だから、これは行き止まりなんかな、って」と41歳独身の自分に焦燥感を持ち「幸せな家族連れが目に留まるようになって、八重洲ブックセンターに自己啓発本を探しに通いました。買うだけで安心するんですよ。関西人として、大丸東京店も落ち着きましたね。夜の7時や8時は子供連れ、家族連れがいないから、安心して徘徊できたんです(笑)」。

組織人としての生き方、個人としての生き方の双方でふと足をとめた小西。そして43歳のときにオファーがやって来たのはBS日テレの『深層NEWS』だった。小西の記者出身キャスターとしての魅力が活きる討論形式の報道番組だったが、小西本人は苦闘した。毎日番組反省会で厳しい言葉をもらい、自分の力量の遥か上を求められる。

組織人としての重責を担う日々に、やがて小西はプレッシャーから眠れなくなり、「人間の体ってあまりに寝られないことが続くと、あちこちにどっとしわ寄せがくるんです。出社途中にポロポロ涙が出てきたり、オンエアが近づくと顔が真っ赤っかになったり、体も精神もボロボロ、服に興味を失って3〜4日同じ服着て。明けない夜はない、必ず朝はくるよ、なんてみんな慰めて言うでしょう。そんなら朝がいつ来るか教えてよ、って!」。

「発散ノート」と「改善ノート」

そんな小西を救ったのは2種類のノートだった。「発散ノート」では怒りも妬みも僻みも、思ったとおりのことを汚い言葉で一気に吐き出して書く。もう1つの「改善ノート」では、あらゆる人との会話、テレビやラジオで気づいたことなどを、自分の参考書を作るようにして書き留めていった。

記者魂をここでも発揮するかのように角度を変えて自分磨きをし、小西は曰く「激しい婚活」を経て11歳年下の男性と結婚する。苦しんだ『深層NEWS』も、アリ地獄から少しずつ這い上がるようにして、結果的には3年半にわたって続いた。「発散ノートはもう人には見せられないようなことがたくさん。書き終わったら破いて捨てていました。夫にも見られたらダメなこと書いてますから、結婚するときも家じゅう大捜索して処分しましたよ(笑)」。


手帳にも、その時の感情や心が動いた言葉、取材や書籍化のアイデアなど何でも記録する。とにかく「メモ魔」。書き留めることで1つずつ血肉にしてきた(小西さん提供)

「43歳でそつなくあの仕事をこなしていたら、こんな本、出していないです。あの時期がなかったら、今のあたしはない、そう思います」。この書籍の基になった日経ウーマンオンラインの連載では、今でも更新のたびに毎回働く女性から熱い共感の声が届く。

現在、49歳。「これから挑戦してみたいこと? うーん、がっかりさせるかもしれないけど、ないです。自分のことばっかりガムシャラにやってきて、心のどこかで、毎日取材を通して大勢と接して社会の役に立っているような気分になってたんですよね。でも、本来業務のニュースでは私個人の経験とか失敗とかは伝わりにくい。ええカッコせずに何歳でこんなことあった、キツかった、でも具体的にこうしたら救われたって、後に続いている女子に伝えて背中押せたらええな、そういうことができるということがすごくうれしいな、と思えるところにようやく来れたのかなぁ」。

女の人生には、ガムシャラも、キラキラも、ドツボもあっていい。「アラフィフですからね。(視力が悪くなってきて)スタジオのカンペとか、もう見えへん。私のは大きな字で書いてや、って言ってるんです」。唯一無二のキャリアを歩む人気実力派ニュースキャスターは関西弁でそう言って、アッハッハッと弾けるように笑った。