「人々を“大改造”するNetflixの番組「クィア・アイ」で、ゲイの5人組が教えてくれたこと」の写真・リンク付きの記事はこちら

さまざまな人を“大変身”させる視聴者参加型のドキュメンタリー番組 「クィア・アイ(Queer Eye)」の新シーズンが、6月15日にNetflixで公開された。そのストーリーは、2つの巡礼から始まる。物理的な巡礼と、精神的(スピリチュアル)な意味での巡礼だ。

番組のキャストであるゲイの5人組は、まず最初にジョージア州にある小さな町ゲイ(本当の地名だ)へと旅に出る。そして、メンバーのひとりであるボビー・バークが、若いころに教会から追放されたことを打ち明ける。「教会で(ゲイであるという)噂が広まると、全員がぼくに背を向けたんだ」

最初のエピソードでは、シリーズで初めて女性が大変身の対象に選ばれている。息子のセクシュアリティーについて悩んだ経験がある敬虔なクリスチャン、ママ・タミーだ。

彼女はボビーに思慮深い助言を授けた。本物のクリスチャンであれば、「敵意を抱いていたら、福音は説けないわ」と。ここで誰もが涙ぐむことになる(この番組に涙はつきものだ)。しかし、本当に「これは!」と思わされる瞬間はまだ訪れない。彼女から愛は伝道されたが、果たしてそれは問題の解決につながるのだろうか──。

前身の番組から大きく進化

この大変身ドキュメンタリーが今年2月にNetflixで復活したとき、最も目立つ変更点はタイトルだった。2003年にTVネットワーク「Bravo」で始まって5シーズン続いたオリジナル番組は、「Queer Eye」というタイトルのあとに「for the straight guy(異性愛者の男性のための)」と続いており、この部分が外されたのだ[編註:邦題は「クイア・アイ♂♀ ゲイ5のダサ男改造計画」だった]。

それから時代は変わった。いまでは同性カップルが法的に結婚できる。そして、LGBTQは少しずつメインストリームの存在へと近づいており、15年前よりはるかに一般の人々の話題にのぼるようになった。

わたしたちの社会的アイデンティティーは、以前とは比べものにならないほど流動的になっている。「リバーデイル」「ル・ポールのドラァグ・レース」「Pose」「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック」などの番組が、それをよく表している。

ジェンダーやセクシュアリティーに関する話題の間口の広さは、当然のことながらオリジナルと比べると大きく進化した。タイトルから「異性愛者の男性のための」というフレーズが抜け落ち、ただの「クィア・アイ」となった新番組では、多面的な会話が繰り広げられるようになっている。

ストーリーから得られる教訓がキャストと出演者の双方へと広がっただけでなく、あらゆるジェンダーが対象になったのだ。新シーズンでは「ファブ5」のメンバーも、出演者たちと同じくらい学びを得ている。

自分の楽園を見つける物語

素晴らしきライフスタイルの伝道師である「ファブ5」のメンバーは、全員が再び新シーズンで顔を揃えた。ボビー(インテリアデザイン担当)、アントニー・ポロウスキ(フード担当)、リアリティ番組「Real World」出身のカラモ・ブラウン(カルチャー担当)、ジョナサン・ヴァン・ネス(身だしなみ担当)、そしてタン・フランス(ファッション担当)の5人だ。

彼らはジョージア州の小さな町に住む人々の生活に“救済”をもたらそうとする。番組の出演者は、親しい誰かによって「変身」を依頼された人たちだ。

変身に挑戦する男女は多くの場合、「自分らしい生活」を実現しきれないまま静かに暮らしていた人々である。かたくなに、あえて心地よい「社会の片隅」に閉じこもる人々。そんな人たちは不器用で不安を抱え、消極的で、内向的であることが多い。無為な日々を過ごさざるを得なくなり、社会的に疎外されている愛すべき人々なのだ。

エピソード2では、あるパートナーが、「ウィリアムは現状に甘んじていると思う」という言葉で、チームによる大改造を求める。そうした人々は、自分はどんな人間で、どうなりたいかのかに気づいていない。だが、実は輝きたい、もっとよくなりたいと思っている。そして適切な助けさえあれば、それが可能であることも理解している。

ファブ5の導きによって彼らは、自分の“楽園”を見つけるには本物の努力が必要なのだと理解する。そしておそらくはアメリカという国と同じように、「リセット」するときが来たということも。

新シーズンでは、人々を大きな飛躍に導くという5人組の強い決意のもとに、さまざまな人が“大改造”されていく。

例えば、とにかく自信過剰だが人生に行き詰まっているイラン系のゲーマー。彼は「親友のマットがぼくを番組に推薦したんだけど、なぜだかわからない。自分は完璧だと思ってるんだ」と言う。そして、遠くへと引っ越すことが決まっている独身の中年男性。長く付き合ってきたガールフレンドに完璧なプロポーズをしたいと考える映画マニアなどだ。

寛大さは主体性の体現へと繋がる

エピソード5は、このシーズンで最も野心的な内容である。胸を切除する手術を受けて体を男性的な姿に変え、セクシュアリティーに忠実に生き始めたトランスジェンダーのスカイラーを取り上げている。このエピソードは、クィアの苦悩に関する一般の人々の期待を、いい意味で裏切る内容だ。

カラモはエピソードの冒頭で、「ゲイやレズビアン、バイセクシャルの多くは、体を変えるというトランスジェンダーの経験についてよく知らないんだ」と認めている。「ぼくらは仲間として応援しているけれど、経験していることすべてを知っているわけじゃない」

「クィア・アイ」の新シーズンはさらなる高みを追い求め、知られざる領域にある親しみやすさを探し求めている。しかし、共感や強固な愛情、健全な好奇心をもってしても、必ずしも素晴らしい結末が訪れるわけではない(エピソード1の宗教的な対立は完全には解決しない。ボビーはいまもキリスト教とは距離を置いているが、いい部分も「たくさんある」と認めている)。

計算された感動的なシーンの表層的なところが、最初は気になるかもしれない。それもこの番組がもつ、誰をも受け入れようとする心の広さだ。だからこそ、こうした持続的な成果がもたらされる──。孤独や拒絶、不信、自信喪失のストーリーが、セルフ・オーサーシップ(アイデンティティを自らつくり出している感覚)の輝ける体現者の物語になっていくのだ。

これらの大変身を通じて、ファブ5のメンバーたちは「完璧な人間」をつくろうとしているわけではない。しかし、「美しさ」を求めていることは確かだろう。わたしたちはみな、外見も内面も美しくなる権利がある。それがメッセージなのだ。

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