最終的にはノーベル平和賞まであると思ってます!

またも喜ばしいニュースが飛び込んできました。かねがね内々で検討されていると伝えられてきた、羽生結弦氏への国民栄誉賞の授与が、1日ついに政府決定されたのです。フィギュアスケート選手としては初となる栄誉、個人としては最年少となる23歳での受賞、さすが羽生氏だなと改めてその存在の大きさを感じます。いつもお酒を飲みにくるお侍さまが実は八代将軍・吉宗公だった、くらいの感じで「推しはこんなにすごい人だったんだ…」と改めて震えます。




世間には国民栄誉賞とは政府による人気取りの賞だという声もあります。そういった側面があるだろうことは僕も否定しません。国民栄誉賞表彰規程にある「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」という基準も、どのようにでも解釈・運用できそうなものです。あげようと思えば、誰にでもあげられる。

しかし、人気取りを意識すれば、やがては「国民栄誉賞授与で人気取り」という手法自体が無意味になってしまうもの。音楽賞が特定の界隈に独占されたら、その賞自体に白けてしまうように、世間が疑念を持つ授与となれば賞の価値そのものが失われるという本末転倒が起こります。人気取りと揶揄されるかもしれない可能性を十二分に念頭に置きつつ、それでもなおこの人物の活躍や功績を讃えずにはいられない。そんな強い納得感を「国民的」に抱かせる人物でなければ、この賞は与えられないものなのです。

それは単に強ければいいというものでもなく、単に功績があればいいというものではありません。同時代にはたくさんの偉大な人物、秀でた功績を残す人物がいます。毎年誰かが受賞するという仕組みでもありません。日本人として冬季五輪初となる連覇、フィギュアスケート男子では66年ぶりとなる五輪連覇、世界最高記録の樹立、それは個別の事象として間違いなく素晴らしい。素晴らしいことは間違いないけれど、それがどれくらい素晴らしいのか、ほかの人よりもどう素晴らしいのかを示すことはできないし、裏付けをとることもできません。「こうなればもらえる」という筋立てはないのです。

誰にあげてもいいけれど、誰にもあげなくてもいい賞。

どうしたらもらえるか、誰にあげたらいいか、決まっていない賞。

そんな賞だからこそ、この受賞は本当に偉業だと感じます。

奇跡的だなと思います。

多くの受賞者が生涯に渡る功績、キャリアすべての功績を讃えられて受賞に至るなかで、羽生氏は五輪の回数で言えばわずか2回で、「この功績を讃えずにはいられない」と感じさせるまでの存在になった。フィギュアスケートという、スポーツのなかでも現役生活の時間が短い部類の競技にありながら、いまだ現役にある選手がその境地にまで至ったということは極めて稀な事例であろうと僕は思います。

フィギュアスケートのファンを除いた世間に広く羽生氏のことが知られるようになったのはソチ五輪前後のことでしょう。いわゆる「ソチ落ち」の時期です。ファンにしてみればもっと前から知っていたという声はあるでしょうが、世間、あるいは国民というものは得てしてそんなもの。世界の頂点に立ってようやく気づくくらいが普通です。

たとえば平昌五輪のメダリストなどを考えてみても、メダルを獲ったことをきっかけに出会った相手というのがいるはずです。木美帆さんや小平奈緒さん、高梨沙羅さんはおなじみだったかもしれないけれど、木菜那さんや藤澤五月さんはどうだったかというと、さすがに「国民的」というところまでではなかったでしょう。羽生氏もソチ五輪の金を経て、「国民的」に知られる存在へとステップアップしたはずです。

それからのわずか4年あまり、「国民的」に注視されるようになってからのわずか4年あまりで、羽生氏は栄誉を讃えずにはいられないような存在として広く認められた。社会に明るい希望を与えた人物として受け止められた。この期間の短さは逆説的に、いかに羽生氏が過ごしたこの4年が濃密で、素晴らしい功績にあふれ、人々に元気や勇気を与えるものであったかを示していると僕は思います。金メダリストにふさわしく、なおその価値を高めていくような4年間であったのだ、と。

大相撲やプロ野球という人気・伝統・歴史のある国民的競技とは違う、フィギュアスケートという日本においてはワン・オブ・ゼムでしかない競技を背負い、フィギュアスケートで成し遂げた功績自体が世間では突出して高く評価されるわけではないというスタート地点から、日本におけるフィギュアスケート競技そのものの価値を押し上げながら、この境地に至った。プロ野球で世界一の結果を残せば、それはかなり「国民的栄誉」に近づくでしょうが、フィギュアスケートという傍流からそれを成し遂げた。遥か後ろのスタート地点から、駆け抜けるようにして。

もちろん時代の流れというものはありました。浅田真央さんのように時代の寵児となってこの競技を広く世間に知らしめた人々がいました。荒川静香さんが成し遂げたトリノ五輪での偉大な金がありました。そういったこの競技を取り巻く人々の努力や業績が、川の流れのようにしてスピードを上げて羽生氏を運んでくれました。

図らずも遭遇した震災というものが、そこから立ち上がる希望の象徴のひとつとして、羽生結弦という存在を知らしめたという部分もあるでしょう。痛みを耐え、乗り越えていく姿にまさしく「社会に明るい希望を与える」ものがあったとも思います。個人の活躍だけではなく、過去と、故郷と、すべてがあっての、奇跡的な今なのかなと思います。今この時代に生まれた羽生結弦だったから、ここまで駆け抜けられたのだろうなと。

……と、ここまで書いてから羽生氏の受賞コメントを見ました。僕はそこで大きな衝撃を受けました。羽生氏は僕が思っていたよりも、さらに深いところで自分が受賞するに至った「流れ」というものを考えていたのです。羽生氏は、フィギュアスケート界の偉人たちへの感謝や、震災というものを背負っての受賞であることはもちろん、さらに「平昌五輪において、多くの方々の素晴らしい活躍があったからこそ」という視点も持っていたのです。

そうか、あの祭典が社会に与えた希望というものがあって、それを讃えたいという気持ちが国民にあって、けれどイベント自体を讃えるという枠組みはなくて、誰かに代表として託さなければいけない、「その代表者として羽生結弦が選ばれたのだ」という慎ましい気持ちを抱いているのか。言われてみれば確かにそうだけれど、そんな視点はまるで持っていなかった!たくさんの人々の業績があってこそ、冬季五輪のフィギュアスケート選手が、国民的に讃えられることになったのだという視点は!スケート界、被災された方々、平昌の祭典を生み出した人たち、そして自分を育ててくれたすべての方々の「想い」が詰まったこの身が、「みんなを代表して」受賞したのだという視点は!

↓あああああああ深い、そして美しい!何と見事な御言葉!すべての方々の「想い」が詰まったこの身が、代表して受賞したのだというこの意識!

大変名誉ある賞をいただき、身に余る光栄です。

私がスケートを続けていられることも、日本のフィギュアスケートがこれほど脚光を浴び続けていることも、フィギュアスケート界の偉人の方々がこれまで切り開いてくださったからこそだと感じております。そして、冬季競技として、今回の平昌五輪において、多くの方々の素晴らしい活躍があったからこそとも感じております。

また、被災された方々からのたくさんの激励や想い、今まで一人の人間として育ててくださった全ての方々の想いがこの身に詰まっていることを改めて実感し、その想いが受賞されたのだと思っております。

皆さまの期待を背負い、まだ続く道を一つ一つ丁寧に感じながら、修練を怠ることなく、日々前に進んでいきます。この賞が被災地やスケート界にとって明るい光になることを願っております。

育ててくださった方々、いつも応援してくださっている皆さまに心からの感謝を申し上げます。本当にありがとうございます。



他人のコメントに難癖をつけさせたらインターネットにその人ありと言われた僕が、自分の了見の狭さに気づかされた…!

何があっても褒めるだけでいられる、この安心感!

立派です、本当に、貴方は!


僕はこの国民栄誉賞授与の噂が出るにあたり、ふたつの立場を取り得ると思っていました。ひとつはもちろん普通に受け取ることですが、もうひとつは辞退するという道もあるだろうと。たとえばイチロー選手がそうだったと言われていますが、自分はまだ現役であり、これからキャリアをさらに積んでいく途中であるから、「あがり」のような賞をいただく時期ではない、そういう道です。

僕はそのふたつの道を見比べながら、それでも、羽生氏はきっと受けるだろうなと思いました。

受賞コメントを見れば、すべての方々の「想い」が受賞されるわけなのですから、もとより代表である羽生氏が辞退できるはずもありませんが、その「想い」を感じればこそ積極的にもらいにいく意義もあるだろうと。思い出すのはソチ五輪で金メダルを獲ったあとの言葉。羽生氏は震災によって傷ついた故郷に想いを馳せながら、「金メダリストになれたからこそ、復興のためにできることがある。ここからがスタート」と語りました。羽生氏に「復興への希望」を託すためのメダルではもちろんないわけですし、羽生氏の人生はそれのみではもちろんないわけですが、彼は「メダルのチカラ」というものをよく理解し、それを使うことを躊躇しない人だなと思いました。

自分が成し遂げたいと願うものがあったとき、金メダルを持っている自分と、持っていない自分とでできることに差があるのなら、本当の願いのために躊躇わずに金メダルを使える、そういう人なのだと。自分が褒められたことが嬉しいという気持ちがすべてではなく、褒められたこと、讃えられたこと、功績を残した「証」が、次なる願いへと自分を運んでくれることを彼はよく知っている。だから高額な副賞は望まないけれど「証」はありがたくいただく。みんなの代表としての、堂々とした道だなと思います。

だから、国民栄誉賞という大きな賞もまた、羽生氏を次の願いへと運ぶチカラのひとつとなるでしょう。

たとえば、もし羽生氏が、自分がフィギュアスケートで得たチカラ、国民栄誉賞で得たチカラを使って、フィギュアスケートという競技の垣根を超えた活動をしたいと願ったら、得てきた「証」がきっと助けとなります。この人は金メダルを獲ったすごい人なんだ、日本で国民的に讃えられる人なんだ、誰にでも伝わりやすいチカラとなって、世界のたくさんの人と出会い、チカラを借り、活動する道筋をつけるでしょう。何を望んでも門前払いされて終わることはナイ、最低でもそのくらいには。

活動をし、功績を残し、その「証」を得る。「証」は信頼となり、次の活動へとつながり、さらなる功績へとつながっていくこの好循環。この好循環の果てには、ものすごく大きなことが待っているんじゃないか、羽生氏ならその循環を駆け抜けてしまうのではないか、ほかの選手にはなかなか期待できないことですが、羽生氏ならあるかもしれないなと僕は思ってしまうのです。

年齢にして23年、わずか2回の五輪、「国民的」な期間で言えば4年。

そんな短い期間でここまできた羽生氏です。

この先の選手生活、人生が60年以上あるとしたら、どこまで飛んで行っても不思議はありません。

たとえば、彼の美しいスケートが誰かを癒し、閉ざされた国境を開くようなことだって、絶対ナイという風には思えない。歌のチカラが世界を変えたりするのと同じように、スケートのチカラで国や世界を変えてしまうことだって、羽生結弦ならば絶対にナイとは思えないのです。羽生氏がどんな人生を歩んでいくのかは本人の自由ですが、ひとつの可能性としてはあると思うのです。フィギュアスケートという芸術を通じて、世界の貧困・差別・憎しみ合いを浄化し、ノーベル平和賞受賞にたどりつくような未来さえも。

羽生氏が駆け抜ける道の先に何があるのか。

これからも楽しみに見守りたいと思います。

何が起きてもおかしくはない、無限の可能性を抱きしめながら。

国民のひとりとして、心からお祝いします!おめでとう!





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