プラチナを有名にしたものに、カルティエが生み出した様々なジュエリーがあるかと思います。(イメージ写真提供:123RF)

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■カルティエとプラチナ、芸術的な流れへ
 
 プラチナを有名にしたものに、カルティエが生み出した様々なジュエリーがあるかと思います。以前にも触れたジャン・コクトーがカルティエのジュエリーを好んだということでもわかるように、プラチナを含めてジュエリーは大変芸術性の高いものかと思います。
 
 ルイ=フランソワ・カルティエは、19世紀半ばに師匠から工房を引き継ぎ、自分の技術を確立していきます。そのころ、パリは芸術の中心地として、多くの芸術家が集まり、刺激し合って様々な作品が生み出されていました。カルティエもそうした芸術家たちから刺激をたくさん受けたのではないでしょうか。
 
 そして、このカルティエを取り巻く芸術的な環境の中で、19世紀の終わりころにかけては、アール・ヌーヴォーという芸術の様式が大きな動きをおこしていました。みなさんご存知のものでは、アントニ・ガウディの建築物(あの有名なサグラダ・ファミリアなど)、また、日本でも長野県の諏訪湖畔にある北澤美術館などで見ることのできるエミール・ガレの昆虫などをあしらったガラス工芸品などがそれに当たります。曲線美に特徴があるといわれているようです。
 
■アールヌーヴォーからアールデコ、その中での位置
 
 ちょうどそのころ生きたカルティエは、アールヌーヴォー的なものに飽き足らず次なる芸術な潮流を背景に新しいデザインにチャレンジしていたと思われます。20世紀に入り、一層発展した工業社会を背景に、アールヌーヴォーとは異なった直線的なニュアンスをもつアールデコ様式が発展してきます。カルティエ一族は、そうした動きと連動していたと思われます。そうした中で、いわゆるガーランドスタイルというプラチナも含めたジュエリーの形式も発展させました。
 
 19世紀までの芸術論から、20世紀の工業社会を背景とした新しい芸術、そうしたもののパラダイムシフトと軌を一にして、カルティエは大衆に向けて芸術的ジュエリーという価値観を発信していったように思えます。フォードがモータリゼーションを切り開いていったように、また、マイクロソフトがソフトウェアの時代を切り開いていったように、芸術でもビジネスでも先進的なものはそうしたパラダイムシフトにかかわっているように思えます。
 
 脇役ではあるかもしれませんが、そのカルティエの芸術的ジュエリー確立の中に、プラチナは確実にその重要な地位を占めているように思えてなりません。
 
■終わりに
 
 今では、プラチナは、投資商品としても広く認知され、金を補完するものとして、地道ながらもしっかりとした位置を確立してきたかと思います。そして、やはり金の装飾品と並び、装飾品としても人気を確かなものにしてきました。
 
 こうした位置を占めるようになってきたのも、カルティエをはじめ、多くの人々がプラチナへの思い入れから様々な取り組みを行ったことにあると思われます。その価値と存在は少しずつ磨かれ、今に至っているといえると思います。
 
 今回は、19世紀から20世紀にかけての芸術的流れと、カルティエ、プラチナの関係について触れてみました。(情報提供:SBIゴールド)(イメージ写真提供:123RF)