10月15日の日曜日。閉店を迎えたフォーエバー21原宿店の入り口では「1点買うと2点目無料」というキャンペーンが告知されていた(写真:記者撮影)

秋雨が降りしきり肌寒かった10月15日の日曜日。東京・原宿の明治通り沿いを、傘を差した多くの若者が行き交っていた。そんな中、米国発祥のファストファッションブランド「フォーエバー21」の国内1号店がひっそりと閉店した。

その日、原宿店ではセール商品を1点買うともう1点が無料になるキャンペーンが行われていた。ただ、「閉店セール」と大々的にアピールしているわけではなかった。店の入り口付近に「これまで大変多くのお客様にご来店いただきましたこと、スタッフ一同心から感謝申し上げます」と書かれた張り紙があっただけ。セール商品が陳列された1階にはそれなりの客入りがあったものの、閉店を知って訪れた人はわずかな様子だった。

閉店日に訪れた30代の女性は「今は安くてデザインのいい服がネットですぐに買える。わざわざフォーエバー21に買い物に行くことはなくなった」と淡々と語った。

原宿の客層と合っていなかった


2009年4月の原宿店オープン日は多くの報道陣と客でにぎわった(撮影:田所千代美)

フォーエバー21が原宿店を開業したのは2009年4月のこと。当時は「ロサンゼルス発の低価格ファッションが日本に上陸する」と、若い女性の間で大きな話題になった。

開店当日は約2000人が店舗前で長蛇の列を成し、テレビ局など各メディアが開店の様子を一斉に報道。初年度の売上高は約100億円に達した。

華やかだった開店から8年半。原宿の一等地にあったにもかかわらず、なぜ1号店は閉店に追い込まれたのか。理由の1つが、フォーエバー21の客層と原宿エリアの客層が合致しなかったことだ。同ブランドの日本進出に携わったR・B・Kリテールビジネス研究所の飯嶋薫代表取締役は、「米国でのフォーエバー21の平均顧客年齢は30代半ば。それと比べ、原宿の客層は若すぎた」と指摘する。

実際、原宿店から最も近い渋谷店に足を運ぶと、店内では20代後半〜30代の女性や、子育て世代、外国人客の多さが目についた。一方、「若者の街」として知られ、竹下通りなどが有名な原宿エリアの客層は10代の小中高校生がメインで、フォーエバー21の顧客層とは隔たりがあった。こうした状況に鑑みると売り上げは苦戦していたとみられる。

それだけではない。原宿店は、H&Mやラフォーレ原宿が並ぶ明治通り沿いの一等地に建つ。地下1階から地上4階まで計5フロア、500坪を超える大型店だった。ある業界関係者は「売上高が当初の勢いを失ってくるにつれ、高額な家賃の負担が厳しくなっていったのだろう」と話す。

日本市場での競争が激化


閉店した原宿店は、5フロアのうち男性向けは1フロアのみだった(記者撮影)

実は原宿店に先立って、今年1月にダイバーシティ東京 プラザのお台場店と、ららぽーとTOKYO-BAYの船橋店が同時に閉店した。

フォーエバー21はZARAやH&Mといったライバル勢に比べて、男性向けや子供向けの商品が少ない。5フロアを展開していた原宿店でもメンズは1フロアのみ。家族連れの客も多いららぽーとの店舗では、レディス商品を主力とするラインナップが裏目に出たとみられる。

日本のファストファッション市場ではファーストリテイリングが展開するユニクロが圧倒的優位にあり、同社の低価格ブランドであるGUが店舗網を拡大している。こうした競争環境下で、価格帯がバッティングしていたGAPの低価格ブランド「オールドネイビー」は今年1月末までに日本の店舗を全店閉鎖した。安さをウリにするフォーエバー21もオールドネイビー同様に苦しい戦いを強いられている。

前出の飯嶋氏は「人々のおカネのかけ方が変わり、ファッションが一番の関心事ではなくなってきた。現状は国内の人口に比べて圧倒的にファッションが供給過剰。機能性などこだわりを発信できるブランドは残っても、安さだけでの勝負は厳しくなる」と分析する。

フォーエバー21は創業者であるドン・チャン氏の一族経営が続き、株式上場もしていない。業績不振が続く地域については、主戦場の米国でなくてもトップダウンの経営判断により、早期に閉店が決定する可能性もある。

日本では現在、札幌や沖縄を含め17店が営業を続ける。オープン当時の国内の熱狂ぶりを振り返れば、第1号店の原宿店は、あっけない閉店を迎えた。商品戦略の見直しに加え、競合との差別化をさらに明確にしないかぎり、フォーエバー21の閉店は続くかもしれない。