ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談。映画『ハイ・ライズ』について語り合います。

J・G・バラードらしい内面的な映像



藤田 『ハイ・ライズ』は、スピルバーグ監督『太陽の帝国』、クローネンバーグ監督『クラッシュ』の原作者であるイギリスのカルト的なSF作家、J・G・バラードの作品を原作とした映画です。
 J・G・バラードは、SFは、外宇宙ではなく、内宇宙(インナースペース=無意識)を探求すべきだと提唱した人です。ニューウェイブSFの旗手として、日本のSFにも大きな影響を与えました。その「テクノロジー三部作」の一作が本作の原作の『ハイ・ライズ』で、テクノロジーによってある意味、風景や環境がシュール・リアリズムのように変化していくと、その中にいる人間の内面もグロテスクに変化していく、ということを描いていますね。ぼくは、今回の映画は、バラード原作映画の中で、最もバラードらしい映画だと思いました。

飯田 『ハイ・ライズ』はSFではないけどね。
 40階建て高層マンション内での階級(?)闘争、革命、暴動を描いた作品。トムヒ演じる主人公は25階に住んでて上流階級民のほうなんだけど不思議な立ち位置でいる。巻きこまれ型というか。低階層の首謀者とも、最上階にいる建築家(この3人が中心人物。というか原作での視点人物)ともつかず離れずでなぜか気に入られている。

藤田 監督のベン・ウィートリーは、ブラックコメディをこれまで得意にしてきた監督で、近作も皮肉なユーモアに満ちていましたね。そしてプロデューサーが、『戦場のメリークリスマス』や『ラストエンペラー』をやった、ジェレミー・トーマス。個人的にはここに驚いた。
『ハイ・ライズ』とは、「上昇志向」とでも訳せばいいのかな。ある新築タワーマンションそれ自体が、社会の階層の隠喩になっていて、ほぼその中を「社会」として進むんですよね。

飯田 不自然に逃げ場がない、みんなマンションの外に逃げないんだけど、これはむりやり読み込めば、今のヨーロッパっぽいとも言える。難民が押し寄せているけど逃げられない。いやまあ、イギリスはブレグジット(EU離脱)しちゃったわけだけど。
 原作が書かれたのが1975年で、駐車場のクルマを見るかぎりでは現代じゃなくて当時が舞台なのかな?

藤田 ブラウン管のTVなどから判断して、舞台は当時なのでは? 携帯電話やインターネット、監視カメラなどもなさそうですし。

飯田 やっぱりそうか。今回の映画は、眠たい感じも含めてバラードだなと。今どきなかなかない、退廃の美。70年代後半〜80年代のインダストリアルノイズを聞きたくなる感じ。キャバレー・ヴォルテールとかスロッビング・グリッスルとか、ジェノサイド・オルガンとか。

藤田 バラードが執拗に書くのは、空港、駐車場、高速道路、ショッピングモール…… そういう、人工的なテクノロジーで作られた環境で、その中で人間がどうなるのかシミュレートしているようなところがある。大抵、精神がおかしくなって、異常性愛に走るか、暴動を起こすんだけどw 管理社会批判みたいなところもありますね。

日本でやったら団地映画になる!?


飯田 監督は72年生まれだけど、70年代生まれって70年代に憧憬があるのかな。不完全な管理社会が壊れていくのが好きというか。イギリス感がある。他の国で似たような企画でつくろうとしてもああはならないかな。
 日本でもタワマンが廃墟になっていくとか階級闘争起こる話とかやってほしいけど、こう美しくは撮れないだろうね。もっとガチャガチャした話になりそう。あるいは「寂れていく建物よ」みたいなお涙ちょうだいか。日本だときっと団地になるわけでしょう。団地に住むひとがいなくなって廃墟化しているのとある意味似ている。巨大建造物に人が住む。でもいつか廃れる。そういう悲哀。重松清の作品に似てるよw

藤田 日本じゃあ、こうはならないでしょうねぇ……
 団地ものとしては、大友克洋の『童夢』と衝動は似ている。ただ、『ハイ・ライズ』のほうが、ぶっ壊すまでの手順がしっかりしている。

飯田 高層物に対する感覚が日本人と違う。犯罪の温床とか、監獄のイメージがどこかある。閉じた世界。日本だとわりといいものか、抽象的なシンボルみたいな気がする。あと怪獣に破壊される場所かw

藤田 日本だと、本作が出している「監獄」のイメージはないかもしれませんね。低所得者向けの古い団地なんかだと、犯罪の温床みたいなイメージはなくもないかもだけれど、閉鎖された一つの階層社会のメタファーにはなりそうもない。
 ちなみに、バラードには、世界が「監獄」だというような世界観があって、それは自伝的な作品『太陽の帝国』で描いたように、第二次世界大戦で日本軍に捕まって収容所に入れられていたことが関係しているかもしれませんね。

飯田 人種の多様性はないじゃない。そこがある種ミソで、マンション内闘争もあるけど、外には本当はこういうところに住めない人たちとの落差ともあるはずなんだけど、完結した「観念としての高層マンション」だから見えない。なのに映像としてマンションの「外の世界」もあることが示されると小説よりは違和感が出ちゃう。そこも含めての異様さなんだけど。『ハイ・ライズ』はきわめて英国的な、階層意識と窮屈さと意地の悪さ、美意識の高さが渾然一体になっている。

藤田 絵面からして、「外の世界も、この中と似たような感じ」みたいに示唆している部分もありました。
 人工的な空間が精神に及ぼす影響を体感させられる映像、特別な構図が多くてそこは面白かったですね。

高層マンションの屋上で馬を乗り回す女



飯田 ダークオサレ映画。ただ、デートムービーには向いていない。暴動が起きたあとフリーセックス状態になって乱交したりするので……そこは60年代〜70年代っぽいかな。普通いまならあんな描き方はしないだろうw だから、国柄もあるけど、時代もある。今なら郊外じゃなくてもっと都心部にこういうの建てるし住むと思う。

藤田 ヒッピー的なものが作中には随分出てきましたね。原作の時代からすればそうなんだけど、現代にあのような、革命や暴動、その後のある種のユートピア/ディストピア的なアナーキー空間を描いた意義はどこにあるんだろう。やっぱり、ヨーロッパで頻発している暴動や社会運動と関係しているのかな。

飯田 さっきはむりやり読めば今のヨーロッパのように見えなくもないと言ったけど、普通に観れば、時間が止まっているような感覚がある。狙ったんだろうけど。2016年の映画って感じがしなかった。そういう意味ではこの先いつの時代でも観られる作品なのかも。
 筋は複雑じゃなくて、みどころは奇人変人ですかね。建築家の奥さんがマンションの最上階の庭園で馬を乗り回していたり、頭がおかしい。

藤田 建築家の奥さんは、古い貴族のような生活にノスタルジィを持っていて、権力を持っていることを見せびらかさないといけないという欲望に囚われていますね。登場人物全員、何がしかの精神の歪みがある。それが、どんどん増幅していく。主人公は精神科医で、観察者なんだけど、無事ではいられない。その存在は、建築家と対になっている。建築家は、自分の設計が失敗したことを知っている。「テクノロジー」は進歩しても、心の中は原始的で、その「無意識」が増幅するとどうなるかという点では、「内宇宙の探求」の映画でもあります。
 一人の内宇宙というよりは、複数の人間の内宇宙=無意識が、環境の中で相互作用するとどうなるか、という寓話ですね。

飯田 引っ越せばよくね? という誰でも考える突っ込みを全力スルーしている潔さが、この空間の異様さを生み出している。暴動が起こってるのにショックは受けても余裕ぶっこいてる建築家のじいさんとかね。変なんだよ。もっと警戒しろっていう。普通、人間ならそうするでしょっていうラインがすっぽり抜けてる。そこがおもしろい。

藤田 「引っ越せばよくね?」ってのは、なんかカルト集団の中での地位ばかりを気にしている人間のメンタリティっぽくて、そこもよかったですよ。
 管理社会だけじゃなくて、主人公も含めた、登場人物の内面が淡々と壊れていくのが、ぼくは面白かった。
 しかも、なんかあらゆるものがぶっ壊れてマッドマックスみたいになった世界を、理想として描いている、そこに憧れているような節もあり。そのような衝動を生み出すのが環境なのか、そういうものに憧れる衝動も織り込んで設計しろって話なのか、なかなか両義的ですよね。解放感があるようでもあり、みんな狂っちゃったっていう話でもあり。

飯田 たくさんの欲望が蠢いているだけというか、みんな人間ぽくない。主人公はマンションの「最高の備品」扱い、パーツにすぎないと言われている。チャップリンか、という。みんな魂がないような感じだし、死や罪を恐れるところがない。

新築マンションご購入の参考に


藤田 「人間」をどのような存在として考えるかって、二種類あるんですよ。「全員頭がおかしい」前提の人。フロイトとか、それに影響を受けたバラードはそうですね。一方、人間は理性があって、話せばわかるし、ちゃんとできる、っていう前提の人。
 前者だと、「人間はそもそも狂っている」という前提で、どうやって社会を運営したりするのかと考えるし、後者だと、「人間はそもそもちゃんとしている」なので、「どうしておかしくなったのか」と考える傾向がありますね。
 この映画は、前者の人間観ですね。……こういう人間観だからこそ、人間の理性や知性や善意を信用できないので、テクノロジーで管理しようっていう発想になるので、悪循環なんですが、その悪循環の出口のなさのせいで暴動やエロスに向かって突撃してしまう衝動こそバラードだし、本作のブラックユーモアの究極のポイントですよね。

飯田 人間が何を考えているのかわからないふうに描いているのが『ハイ・ライズ』。たんに「パリピ死ねや」だったらもっと単純でスカッとする話になるはず。でもバラードはそうならない。世界はどうしようもなく階層社会だし、パリピは生きているだけで反感を買っていつ襲われてもおかしくない。でも暴動を起こしたからといってその先に何かあるわけでもない。廃墟しかない。でも廃墟にさえ人間は適応して生きていく。そういう映画。

藤田 パリピも、パーティをする動機が、「優越した存在であることを見せ付ける」だったりしますからね。動機は全くわからないようには書いていない。富裕層は富裕層で倦怠しているし、同時に病んでいて、気晴らしにとんでもないことをしだしてしまう。低層階が停電で苦しんでいるのにパーティしちゃってるとかね。革命家も、パラノイアに囚われていて、実態が見えているわけでもないし。思い込みと偶然が連鎖して、対立が激化して衝突する感じのしょうもなさは、ブラックユーモアだなと思いましたよ。
 暴動や乱交が起きる状況そのものを、集団の無意識が、暇つぶしとして求めたようにすら見えますね。建築家は「変化」を求めて設計したと言っていましたが、それは失敗したのではなく、成功したのかもしれない。そう考えると、この状況になるように人を「デザイン」するのに成功したという恐ろしい話のようにも見えますw

飯田 トムヒの裸体が拝めるというのが女性ファンには最大の売りどころらしいけど、こんな魂のない人形みたいな描かれ方で嬉しかったのだろうかw

藤田 ぼくのオススメは、オシャレ映画だと勘違いさせて、女性を連れて行って、乱交シーンを見せたあとに、「これが世界標準だよ」と騙すという、映画の使い方ですねw
 あとは、新築マンションを買おうか迷っている人たちに「参考になるよ」って言って、騙して行かせたいw ワンランク上の、上質な暮らしのモデルがあるよ、って言って騙して劇場に行かせたくなるw そういう映画でした。