当時はまだ創業間もなかったCompaq(コンパック)が生み出したコンピュータ「Compaq Portable」は、世界で初めてIBM PCを完全に互換したマシンで、スタートアップのCompaqが一躍、コンピュータ産業のメインストリームに躍り出るきっかけとなった歴史的なコンピュータです。さらに、その名の通り持ち運び可能な形態で、「ノートPCの原型はCompaq Portableにある」と言われることがあるコンピュータです。そんなCompaq Portableが巨人IBMの知的財産権を侵害することなくリバースエンジニアリングによって作られた当時の状況について、共同創業者にして長らくCompaqのCEOを務めたロッド・キャニオン氏が語っています。

The Incredible True Story Behind AMC’s Halt And Catch Fire - How Compaq Cloned IBM And Created An Empire | Internet History Podcast

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1981年当時、のちにCompaqを設立することになるキャニオン氏は、Texas Instrumentsの中間管理職を務めていました。独立して持ち運び可能なポータブルコンピュータを作ろうと画策していたキャニオン氏でしたが、出資をベンチャーキャピタリストのベン・ローゼン氏に断られたとのこと。そんなときに、キャニオン氏と同僚だったジム・ハリス氏、ビル・マート氏はレストランで話し合ううちに、Compaq誕生のきっかけとなる重要なアイデアが生まれたそうです。

Internet History Podcastのブライアン・マクラフ氏のインタビューに対して、キャニオン氏は以下のようにコメントしています。



「1982年1月8日の朝、私たちはポータブルコンピュータについて話し合っていました。すでに構想自体は世間で取り上げられていたポータブルPCを、どうすれば差別化して価値あるものにできるのか?当時のコンピュータと言えば、独自のソフトウェアを動かすマシンでした。300個の新しいソフトウェアが生まれれば、独自のマシンが300個誕生するという具合に。

3人で話し合った朝、『すでにあるソフトウェアを動かせるコンピュータがあればどうだろうか』というヒラメキが生まれました。こうすれば既存のソフトウェアをまるごと取り込めます。当時、最も多くのソフトウェアを動かせるマシンはといえば、最初に製品化されていた『IBM PC(モデル5150)』でした」



IBM PCは非常に人気があったため、ほとんどの開発者がIBM PCで作動するプログラムを書いていたとのこと。しかし、キャニオン氏は単にIBM PCの模倣品を作りたかったわけではないと述べています。

「IBMはすべてをサンドボックス化して技術的にプロテクトをかけることはありませんでした。しかし、私たちはIBMのコンピュータを複製したいわけではなかったのです。他人が書いたプログラムへアクセスしたいだけだったのです」

「IBM PCとほとんど同じ性能を持ち、同じソフトウェアを動かせるが、圧倒的に安い価格のコンピューターを作る」という目的が明確化されて、キャニオン氏ら3人はTexas Instrumentsを辞めてCompaqを設立しました。ベンチャーキャピタルKleiner Perkinsのジョン・ドーア氏らから資金提供を得たキャニオン氏は、Texas Instrumentsの怒りを買わないように細心の注意を払いつつ、若いプログラマーやエンジニアを引き抜いたそうです。

IBM PC互換機を作るというCompaqにとって最大の難点は、BIOSリバースエンジニアリングすることでした。当時、IBM PCのBIOSのソースコードはユーザーマニュアルで公開されていました。しかし、IBMの著作権を侵害することをおそれて誰も書き換えようとは考えていなかったとのこと。実際に、IBMのBIOSをコピーしたことで訴えられて倒産した企業がいくつかあったそうです。このIBMの著作権の壁を、Compaqは以下の様にして乗り越えています。

「私たちは(IBMの著作権を侵害することなく)IBM PCのBIOSと同様のソフトウェアを作る方法があることは知っていました。その行為は合法だと信じていました。おそらくこうだろう、という想定で動いていたわけではありません。私たちは知的財産権に通じた最高の弁護士を雇い、彼らの厳格な指導に従って、慎重にリバースエンジニアリングを行ったのです」

キャニオン氏が語る「方法」とは、「クリーンルーム設計」と呼ばれる手法です。これは、ソフトウェアをリバースエンジニアリングする技術者と、ソフトウェアを再設計(再実装)する技術者を完全に隔離した状態で、リバースエンジニアリングによって得られた機能・仕様を基に、元のソースコードを見たことがない別の技術者が実装するというもの。出来上がったコードが偶然にもリバースエンジニアリングされた元のコードとまったく同一である場合を除き独立の著作物として認められ、元の著作権の行使を受けないという利点があります。

「弁護士は私たちに、『コードを実装する技術者は、IBM PCのBIOSコードを利用することはもちろん、ちらっと見ることさえ許されない』と厳しく告げました。一人の技術者がコードを読み解いて機能・仕様を決定します。この作業は、まるで象形文字を解読するかのようなものでした。この技術者が仕様を完成させると、部屋の窓から仕様書をコードを実装する技術者に手渡して部屋から退出しました」

こうして厳格なクリーンルーム設計の下で当時のIBMの規模に比べると取るに足らない存在だったCompaqは、わずか9カ月という短期間でタスクを達成しました。1982年11月に、世界初の「完全な」IBM PC互換機として「Compaq Portable」が発売されると、爆発的な人気を博し、あるユーザーに「IBMが作るIBM PC互換機以上に互換性が高い」と言わしめたとのこと。



Compaq Portableの高い互換性について、キャニオン氏は以下のように話しています。

「IBM PCで動くすべてのソフトウェアを動かせるマシンを作る、という一つの目標に向かってがむしゃらに突っ走りました。他社のIBM PC互換機ではソフトウェアが動かないことがあると知ったときはショックでした。けれど、他社がなぜ互換性をもたせられなかったかは理解できました。完全な互換性を実現するのはとても骨の折れる仕事で長い時間がかかったのです。みながIBM PC互換機という市場に競うかのように参入しました。どのメーカーも、最初の互換機メーカーになりたかったのです。けれど、私たちにも一つだけ『最初』の称号を得られる場所が残されていました。それは、完全な互換性を持つ初めてのマシンという称号でした」

Compaq Portableはその名の通り持ち運び可能なコンピュータという大きな利点がありました。Texas Instrumentsから独立しようと考えていたキャニオン氏はポータブルコンピュータ構想を訴えてローゼン氏に投資を断られましたが、この構想はCompaq初の製品であるCompaq Portableで形になったというわけです。

Compaq Portableの人気の勢いはすさまじいもので、初年度に5万3000台が販売され111万ドル(当時のレートで2億6000万円)の売上げを記録。IBMもポータブルコンピュータ「IBM Portable Personal Computer」で追随しましたが、Compaq Portableには及ばなかったとのこと。最終的に、Compaq PortableはIBM Portable Personal Computerの10倍の販売台数を記録することになりました。

・おまけ

コンピュータ大国のアメリカでは、コンピュータ開発の歴史をテーマにしたドラマが多数作られています。巨人IBMの訴訟を回避しつつスタートアップのCompaqがIBM PC互換機を作り出して一躍時代の主役に躍り出るサクセスストーリーについても「HALT AND CATCH FIRE」としてフィクションでドラマ化されています。

HALT AND CATCH FIRE | A Look at the Series Special | HD - YouTube