はつの悔しさ「あさが来た」110話

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朝ドラ「あさが来た」(NHK 月〜土 朝8時〜)2月9日(火)放送。第19週「みかんの季節」第110話より。原案:古川智映子 脚本:大森美香 演出:中野亮平


110話はこんな話


和歌山に遊びに来たあさ(波瑠)ははつ(宮崎あおい/崎の大は立)と、新次郎(玉木宏)は惣兵衛(柄本佑)と、それぞれの子供の進路について語り合う。

複雑な気持ち


「あの子をこのままみかんの山に埋もれさせてしまうのは・・・」
菊(萬田久子)の台詞は、当人は真剣なのに可笑しいパターン。みかんの山に埋もれている藍之助を想像すると可愛い感じもする。
菊は、藍之助を商売の道に向かわせて、山王寺屋のアイデンティティを取り戻したいのだろう。
何年経ってもいまだに髪型や着物の着こなしが洒落ている菊は、和歌山の生活を未だに受け容れていなそうな気配がぷんぷん。
惣兵衛は完全に和歌山生活を謳歌しているが、藍之助の商いへの憧れを反対してはいない。
はつだけが、藍之助の商いへの憧憬に対して頑なに反発する。
「悔しい」とはっきり言葉にするはつに、あさは、自分のことはなんでも受け容れるのに、子供のことは受け容れられないものだと興味深く受け止めるが、はつがこだわっているのは、実は藍之助のことではなく、自分の子があさの生き方に憧れていることだってことだ。

「うちは、うちは、一家みんなで山で働いて、美味しいおみかんつくって
その道があんたの道に負けてるなんて よう思われへんのどす」

この台詞は重い。「悔しい」と合わせてすごく重い。
菊も執念深いが、はつも相当だ。なんだかんだ言いながら、ずっとこだわっているのだ、あさとの格差を。
もしかして、はつ自身は、旦那さまと同じに新しい人生に邁進したいのかもしれない。でも、そうさせてくれないのが藍之助だ。
忘れようとしているのに、藍之助があさのような人生を選びたがるのを見るにつけ、悔しさがもたげてくるのもわからなくない。
人生の問題を簡単に解決させず、何年経っても、何度も何度も、最初の苦悩に戻ってしまうはつの物語は、「時をかける少女」か、カミュの「シーシュポスの神話」(岩を山にあげては落とされ上げては落とされ擦る不条理な物語)か!
はつがみかんの山を運んでは転がり落とされている絵が浮かんでしまうのだった。
(木俣冬)

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