ドアマン一筋40年!4万人の顧客を覚える伝説のドアマンに密着

写真拡大

ノンフィクション作家であり、ルポライターでもある野地 秩嘉さんは、食や美術、海外文化の評論および人物ルポルタージュなどで知られる。
そんな彼が、今回密着したのがホテルのドアマン。しかもただのドアマンではなく、その筋40年を超え、4万人の顧客を覚える伝説のドアマンだ。独自の鋭い観察眼で捉え、ホテルサービスの本質を説く!

ホテルサービスの良しあしはドアマンに現れる

ホテルのサービスはコンシェルジェを見ればわかる、という人がいる。

「なるほど」と納得したのは少し前までのこと。いまでは、その意見は古い。確かに、コンシェルジェは昔は役に立った。しかし、いまどきのコンシェルジェは何を尋ねても、すぐにPCで検索する。それくらいなら、自分のスマホを使った方が早い。コンシェルジェはスマホに駆逐されつつあるのが現実だ。

では、ホテルサービスの良しあしはどこに現れるのか。

私はドアマンだと思う。車を預けたり、館内のレストランやスパの予約を取ろうとした時、優秀なドアマンは代行してくれる。彼らは常連客がフロントまで足を運ばなくても済むように、気を遣ってくれるのだ。

しかし、そういった気の利くドアマンがいるホテルは決して多くはない。首都圏ではホテルオークラ東京あるいは横浜のホテルニューグランドくらいではないか。

ニューヨークの高級ホテルにいた名物ドアマン

ドアマンが名物だったことで知られるのがニューヨークのセントラルパークサウスにある高級ホテル「ザ・プラザ」だろう。以前のことになるが、そこにはドアマン一筋60年という名物男、ジョー・フレイニーがいた。

ザ・プラザを定宿にしていた世界の王族やセレブたちは「私の車はジョーに預かってほしい」とリクエストし、ジョーとつきあいがあることを自慢にするほどだった。そして、ジョーに頼めばヤンキースの試合チケットでも、ブロードウェイの芝居の入場券でも、予約の取りにくいレストランの席でも、まるで魔術のように手に入れてくれたのである。

コンシェルジェよりもはるかに町のことをよく知っていた。おかげでたくさんの顧客を持ったジョー・フレイニーはチップを貯めてフロリダに別荘とクルーザーを買った。ドアマンはコンシェルジェよりも金が入ってくる仕事と言える。

ドアマンの鏡!日本のジョー・フレイニー

もし、日本で「この人だ」というドアマンを見たいのならば横浜のニューグランドへ行くことだ。いまでもまだそこにはスキンヘッドのドアマン、田中良雄がいる。田中はホテルのエントランスに立って40数年。ドアマン一筋である。日本の現役ドアマンで彼ほど長く仕事をしている男はいない。なんといっても、彼は4万人の顧客、4千800台のタクシー運転手の顔と名前を憶えている。日本のジョー・フレイニーと呼んでもいいけれど、チップをもらわないから、別荘もクルーザーも持っていない。

彼のいいところは一度でも挨拶して名乗ったら、二度目からは名前を呼んでくれることだ。そして、親しくなったらホテル内のレストランの予約も取ってくれるし、横浜についての情報も教えてくれる。「中華街でおいしい餃子が出てくるのはどの店か」と尋ねると、「あそこへ行け」と的確に伝えてくれる。ただし、彼が日ごろ使っている店は高級店ではない。B級グルメに特化した水先案内人である。

ホテルサービスの本質とは何か?

ホテルサービスの本質とは

さて、彼のすばらしい点は顧客の名前を憶えていること、横浜の情報をよく知っていることだけではない。それ以上に、彼は「ホテルサービスの本質とは何か」がよくわかっている。

ホテルサービスの本質とは何だろうか。

それは、不機嫌な客から決して逃げないことだ。ホテルに来るのは機嫌のいい客だけではない。ビジネスマンがよく利用するホテルへ行ってみるとわかるが、フロントに来る客の9割は疲れている。客に怒られ、上司に怒鳴られ、奥さんからいじめられ、くたくたに疲れた身体でホテルに泊まりに来る。たとえ高級ホテルであろうが、ホテルの施設を利用したいのでなく、ただただ疲れを癒しにやってくる。

どんな客にもおもてなしの心で出来る限りのサービスを

田中はそういった不機嫌な客たちの気持ちをよく理解している。

客がむっとした顔をしていても、にこにこしながら荷物を受け取り、心から「お疲れでしょう。スパでゆっくりしてください」と声をかけながらフロントに案内することができる。ストレスで酒を飲み、酔っ払った泊客に対しても、じゃけんに扱うことはない。「しょうがないなあ」と言いながら介抱して、部屋へ案内する。

酔った客、面倒くさそうな客に対して、「満室です。他を当たってください」というホテルマンは少なくない。しかし、ホテルの本質は客を泊めることだ。客が困っていたら、役に立ちたいと思うのがホテルマンではないか。田中は逃げない。楽な客よりも、手のかかる客に対して心からサービスする。不機嫌な客、言葉のわからない外国人、ホテルに泊まるのに慣れていない人に対して親切を尽くす。男のなかの男である。

私はお年寄りや子ども、あまり金持ちに見えない人に冷たく対応する高級ホテルの従業員が嫌いだ。

一流か一流でないかはガイドブックや評論家が決めることではない。権威におもねることなく、不機嫌な客から逃げることなく、それでいて弱者にやさしいのが一流のホテルであり、一流のサービスだと思う。

■プロフィール
野地 秩嘉( のじつねよし) 1957年、東京生まれ。ノンフィクション作家。『サービスの達人たち』『サービスの天才たち』『キャンティ物語』『ビートルズを呼んだ男』など、食やサービスをテーマにした著作を多数執筆。