3月27日、坂口良子(享年57歳)が、横行結腸ガンと併発した肺炎により帰らぬ人となった。若くして急逝した美人女優は、耐えることの多い「日陰人生」でも常に明るくふるまってきたようである。

 あまりにも急な展開だった。3月12日に「週刊女性」が坂口の重病説を伝えると、家族や関係者は否定してみせたが、それからたった2週間で──。

 昨年8月には、10年以上も“事実婚”を続けてきたプロゴルファーの尾崎健夫(59)と、晴れて再婚を果たしたばかりだった。

「実は11年の夏頃には、すでに大腸ガンが見つかっていて、これまでずっと治療をしてきたのです。それでも2人は覚悟のうえで籍を入れました」(芸能記者)

 結果的にはスクープされた形となってしまったが、坂口は病気のことを隠し続けていたという。

 坂口が出演した最後のテレビドラマとなった「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)の関係者がこう明かす。

「病気の暗いイメージがつくと仕事が来なくなると思って隠していたんです。お酒とタバコが大好きで、5〜6年前にはしゃがれ声で現場に来ることがあり、石井ふく子プロデューサーから『体を考えなさい』と注意されたこともあったのですが、『やめられないのよ』と明るく返していました。11年に放送された最後の『渡鬼』の現場では、あまりにも痩せ細っていたので、さすがに周囲からも『体調は大丈夫?』と心配されました。それでも『体調は悪いけど出させてほしい』と懇願して出演した」

 彼女は命を削ってまで、仕事をすることにこだわった。それは、女優魂というようなキレイ事だけではなかったようだ。

「そもそも坂口さんは、芸能人としては質素だった。将来はかつて購入した家の家賃収入で生活していこうとするほどの堅実派だったんです。ところが、94年に前夫と離婚してからは、ギャラが安かろうがえり好みせずに仕事をこなすようになった」(前出・芸能記者)

 坂口の前夫は、「地上げの神様」と称された不動産業者だったが、バブルの崩壊で転落。知らぬ間に彼女は連帯保証人にされていたという。その額はなんと40億円。自身の預金もいつの間にか下ろされていたことを生前のインタビューで語っていた。

 それでも坂口はめげずに、必死で働いて借金を返し続けたというのである。

「すでに借金もなくなった晩年は、娘の坂口杏里(22)を売り込むためにバラエティ番組で共演していた。杏里だけでは売れないことを理解していて、少しでも力になろうと、自分の運転で仕事場に来ていました。現場では、周囲に愚痴をこぼすことは一切なく、周りを明るい雰囲気にしてくれましたね」(テレビ関係者)

 そんな彼女を支えていたのは、先にも触れた夫・尾崎である。99年に交際が発覚した2人だが、娘の多感な時期も重なり、なかなか一緒にはなれなかった。

 しかし時間はかかったが、「おじさん」としか呼ばなかった杏里が昨年夏の披露宴で初めて尾崎のことを「お父さん」と呼んだ。

 かけがえのない7カ月間を過ごし、坂口は旅立ったのである。合掌。