70年代にはすでにプロ野球を見ていたのだが、生で見た記憶も、テレビで見た記憶もない。閑古鳥が鳴いていた“昭和のパリーグ”の安打製造機だった。

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長嶋茂雄と同級生、王貞治は高校の4年後輩、野村克也に1年遅れてプロ入り。172cm71kgは、今ではスポーツ選手の体格ではない。

しかしプロ入り時点ではすでにハイレベルの打撃術を持っており、1年目から打撃10傑入り、新人王。以後、15年にわたって規定打数に達し、打撃10傑に10回入っている。

全盛期は60年から63年。4年間の打率は.331。2度の首位打者のレベルが高いことも特筆できよう。

抜群の選球眼の持ち主であり、IsoDは.088に達する。好球必打ができる最もいやらしい打者だったのだ。

バットを長く持ってフルスイングをするが、三振はきわめて少なかった。小柄だが長打力もあった。流し打ちをほとんどしなかった。今の打者でいえば小笠原道大が近いのではないか。

終身打率.296は、今の感覚では抜群とは言えないが、当時のパリーグの平均打率は.240台。圧倒的な投手優位だった(昨年から統一球時代に入り、リーグ平均打率は.250に落ちたが、それまでは.260前後だった)。榎本は常にリーグ水準を大きく上回っていた。今の基準なら.320近い打率に相当しよう。

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1969年時点で.300133だったのが、残り2年で3割を割ったのが惜しまれる。

現役時代から人と交わらず内向的で、引退後、本人が野球界との付き合いを一切絶った。「奇行」の話題も数多かった。

それが影響しているのか、首位打者を2回も獲得し、2314安打も打ちながら殿堂入りしていない。

野球人はグラウンドで勝負するものである。榎本がそれ以外の要因で殿堂に選ばれなかったとすれば、大いに遺憾だ。殿堂入り投票権を持つ記者の見識が疑われるところだ。こういう打者を評価してこそ「野球を見る、伝える」プロではないのか。

真面目に打撃を学ぼうとする若手選手には手本となる存在だったし、何より王貞治の求道的な打撃精進は、少し前を行く榎本喜八の存在あればこそではなかったか。

現役時代を知らない人にとって、榎本は「幻の名打者」だったが、引退後の榎本に丹念な取材を重ねて書かれた『打撃の神髄 榎本喜八伝』によって、我々は榎本喜八の人となり、打撃術のすごさに触れることが出来る。記念碑的な本である。



本人に意欲がなかったわけではない。誰か引き立てる人がいれば、打撃コーチ、指導者として素晴らしい実績を残した可能性もあったと思う。

亡くなったのは3月14日。2週間遅れの訃報である。“不公平が当たり前”のNPBのひずみを体現するような打者だった。今から殿堂入りさせてももう遅い!