同世代でもあり、津田恒実の死は大きなショックだった。津田の8年前に死んだ南海の久保寺雄二とともに、「元気な人間でも、こうやって死ぬんだ」という自明のことを思い知らされた。遺族、ファンの衝撃は大きかったに違いない。
しかし、それとこれとは別の話だ。 
 
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津田はこれまで殿堂入りの主たる基準とされてきた勝ち星で、他の選手に大きく及ばない。タイトル獲得数でも、セーブ数(これまでセーブ数で選ばれた選手はいないが)でも、突出した成績は上げていない。要するに、津田恒実が野球殿堂入りした根拠は、「壮途半ばで死んだから」ということでしかない。 
 
有名なルー・ゲーリッグも病を得て引退し翌年死亡した。しかし彼が殿堂入りしているのは「若くして死んだから」ではない。それまでに三冠王一度を含む偉大な成績を上げていたからだ。MLBには死球を頭部に受けて29歳で死んだレイ・チャプマンという遊撃手がいた。彼の死によって打者はヘルメットを着用するようになった。彼の死はMLBの歴史に深く刻まれているが、殿堂入りはしていない。 
 
津田恒実の名が殿堂入り候補に挙がったのは、1999年ころからだ。このころは全く届かない数字だった。2005年にはその名が消えるが、2009年再び現れ111票、2010年153票、2011年212票と数字が伸び、今年有効投票数の75%を1票上回る237票で殿堂入りした。 
 
プレイヤー表彰の期限は引退後20年。1991年に引退した津田は今回が最後の機会ではあった。しかし、プレイヤー表彰にこだわる根拠が全く分からない。 
 
現役中、あるいは若くして死んだ選手は、津田や前述の久保寺以外にもいる。ダイエーのセットアッパーの藤井将雄、中日の加藤斌、最近では一昨年のオリックスの外野手小瀬浩之が記憶に新しい。また戦争によって死亡した野球選手も枚挙にいとまがない。彼らが選ばれず、津田恒実が選ばれた根拠は何なのか。生前の成績が少しだけ良かったからなのか? 
 
また、津田同様クローザー、ストッパーとして活躍した投手は数多い。津田より先輩で、津田よりも多くのセーブ数を挙げている投手には、江夏豊(193)、大野豊(138)、斎藤明夫(133)、鹿取義孝(131)、山本和行(130)、牛島和彦(126)、郭源治(116)、角盈男(99)、鈴木孝政(96)、金城基泰(92)がいる。殿堂入りした選手はいない。他の選手が選ばれなかったのは「途中で死ななかったから」なのか? 
 
「津田は生きていれば、多くのセーブ記録を挙げたはずだ」という意見もあろうが、それはすべての夭逝した選手に言えることだ。可能性まで選考基準に入れてしまえば、収拾がつかなくなる。 
 
あえて言うが、津田恒実は、記者諸氏の「情緒」「ムード」で選ばれたのだと思う。新聞記者はそういうメンタリティで仕事をしてよいのか? 
 
今朝の新聞各紙はもろ手を挙げて津田の殿堂入りを祝福しているが、それは「死者を悼む気持ちには誰も刃向えない」という鉄板の良識があるからだ。しかし、おかしいものはおかしい。 
 
大げさなことを言うが、かつて新聞は、読者をあおって誤った戦争へと導いた「前科」があった。そのころと体質は変わっていない。相変わらず「一般人が喜びそうな」ニュースを作り上げるのが大好きだ。 
津田恒実を殿堂入りさせるのなら、他の夭逝した選手たちも考慮すべきだ。また、選手枠ではなく、特別枠で顕彰すべきだ。 
 
一言でいえば「不公平」だ。生きていようが、不幸にして死のうが、野球選手たちは懸命に野球をしている。彼らを評価する基準は、数字であれ、プレーの印象度であれ、野球界への貢献度であれ、一定であるべきだ。 
 
新聞記者諸氏は「美談」を作り上げたことで、野球殿堂の権威を貶めている。