発達障害の当事者とその親が感じることとは?(撮影:尾形文繁)

発達障害やグレーゾーンの子の子育てで悩む人が多いなか、当事者たちの成功体験、失敗体験を聞く機会は少ないのが実情です。
ADD(注意欠陥障害)がありながらも芸能界で活躍するモデル栗原類さんの母で、その経験を著書『ブレない子育て』にまとめた栗原泉さん。そして、自身の親の呪縛から自立を果たした借金玉さん(著書に『発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術』がある)。2人に、親と子、それぞれの立場から、発達障害の子どもが親に求めることについて、語り合ってもらいました。

「なぜ」を教えず叱る日本、「問題解決」するアメリカ

借金玉:先日テレビの撮影の現場にお伺いしたとき、栗原類さんと少しだけごあいさつしました。そのとき、とても折り目正しくあいさつされている姿や、振る舞いにとても驚かされました。とても23歳の発達障害者とは思えない。僕があのような礼儀作法を身に付けられたのは、ようやく30歳を過ぎてからです。

栗原泉:あの子は社会で働きはじめたのも早かったですからね。「周りの人を気遣うこと」「目上の人はもちろんキャリアのある周囲の人たちに敬意を払うこと」「一緒に仕事していただけることに感謝すること」。その一つひとつが「なぜ」大事なのか、小さい頃から繰り返し説明して理解させてきました。

理由を示さず頭ごなしに「礼儀正しくしなさい」と言っても伝わらないけど「敬意を持ちなさい」と目的を伝えれば理解できるんです。発達障害の子の子育ては、伝え方も重要です。

借金玉:僕は自分の本の中で、「会社に入ったらまずその部族の掟をキャッチしろ」と書いているんですが、その起点になっているのは自分の家族という部族の掟がわからなかったからなんです。しかも、親が言う「正しさ」の意味を理解できず、「自分が悪いんだ」と思って病んでしまった。結果、そのまま社会に出た20代は非常に苦労しました。栗原さんのように、親が「正しさの理由」を一つひとつ説明してくれたら理解できたと思うんですが。

栗原:類はアメリカの学校を出たので、日本とアメリカの学校教育の違いも大きいと思います。向こうは、人との距離の取り方を小さい頃から教える文化がありますから。たとえば、学校の授業に誰かが遅刻してきたら、日本では先生も生徒もその子を責めたり叱ったりしますが、アメリカは「遅れてきてそのぶん授業が受けられなかったのは、その子の責任で、ほかの子に何も影響はないわけだから他人が口出しすべき問題ではない」という指導を徹底しているんですね。

みんな仲が良いことを前提にしていること自体おかしい

借金玉:みんなと同じことをやらないとずるいとか、人として失格とか、そういう文化が日本の学校教育にはありますからね。周りと足並みをそろえるのが苦手な発達障害者にとっては特にきついと思います。僕は小学校・中学校とほぼ不登校でしたが、学校のそういう文化が自分に全く合っていなかったという部分が大きいです。馴染めなかったですね。


栗原泉さん(撮影:尾形文繁)

栗原:価値観や考え方が違う人間が30、40人もいるクラスで、みんな仲が良いことを前提にしていること自体おかしいんですよね。40人中数人でも嫌な思いをしている子どもがいる状況で行う教育は、その時点で失敗していると思います。みんな仲良くないことを前提にするところからはじめたほうがいい。

借金玉:アメリカは多民族国家で、多様性を重視しているためか、先生が必要以上に感情的な介入をしないのもいいと思います。

栗原:子ども同士が殴り合いのけんかしたときも、日本では本人同士に謝らせて、親同士も頭を下げますよね。でもアメリカでは親に謝らせないんです。謝ってしまうとそこで終了してしまうので。冷静に事態を把握しないと、次に同じようなことが起きないための問題解決になりませんからね。当事者同士が謝り合っても受け入れられるとは限らないので、先生がそれぞれ問題解決に向けた対応をしてくれるわけです。

借金玉:日本の学校の先生はボスですからね。とりあえず叱るという「儀式」に持っていく。

栗原:それで双方に謝らせて「ハイ、おしまい」というやり方ですよね。何がけんかの原因で、どうすればけんかにならずにすんだのか、先生が理解させてお互いに受け入れさせる文化や環境づくりがされていないのです。

発達障害の子がいちばん苦しむ、“一貫性のない親”

借金玉:僕は、自分の親や学校が間違った教育をしなければこんなにつらい思いをせずにすんだのに……という思いがあるので、栗原さんに育てられた類さんがうらやましいです。子どものことを考えて、間違っていると思ったら、一般常識に対しても「ノー」と言ったり、類さんのことを抑え込もうとしてくる周囲を押し返したりもしている。

たとえ周囲に理解されなくても、自分が子どもにとって必要だと思ったことを貫く、信念と強さがありますよね。発達障害の子どもの立場から言わせてもらうと、それがいちばんありがたいですから。

栗原:私の場合、自分自身の両親が反面教師になっているんです。子どもの頃はいくつも習い事をして塾にも通いましたけど、親は月謝を払うだけで私には無関心。進級状況や成績表を見てダメ出しするだけでしたから。勉強はできたので中学受験もする気満々だったのに、親の勝手な判断で受験させてもらえずハシゴを外されて。思いつきやそのときの気持ちで物を言う“お気持ちモンスター”みたいな親だったので、その都度、混乱しました。社会常識もまったく教えてもらえず、どう行動したらいいのかわかりませんでした。

借金玉:状況は僕も似ているかもしれません。僕の父親は、社会によく適応していて、発達障害とは無縁の人だったんです。だから僕には、とにかく「普通」であることを求めてきた。父親からすると、僕の考えていることがまったくわからなくて怖かったんだと思います。でもそれは僕も同じでした。怒られても暴力を振るわれても、「なぜそれをされるか」がわからないんです。だから、ボタンを押すとランダムにいろんなタイプの「ダメ出し」が出てくる恐怖がつねにありました。何が大変だったって、親に「一貫性」がないことがいちばん大変でしたね。


栗原:発達障害者にとって、「一貫性」や「整合性」がないのはいちばんつらいですよね。それがあれば、なんとか前に進めるけれども、なければどうしていいのかわからなくなるので。

私は、親からは社会常識を何も教えてもらえませんでしたが、唯一与えられたのは本でした。頭ごなしに「読め、読め」と言われてお金をもらって文学の本を買って読んだりしましたけど、出てくるのは人格破壊者や社会不適応者ばかり。物語としては面白かったけれど、将来どうやって生きていけばいいのかは、ますますわからなくなりました。

それなのに親からは、「勉強しろ、いい大学へ行け」と言われて、「勉強する気を失わせたのはあなたたちじゃないの?」と思っていましたね。本を読めというなら、子どもが読んだ本について親も話して共有しなければ教育ではないと思うんです。子どもの生きる指針にならなければ、何の意味もないので。

借金玉:僕も家に文学全集がありました! 三島由紀夫を読んでも僕の親が望むような正しい生き方は学べないですけどね(笑)。あるとき、実は僕以外誰もちゃんと読んでないことに気づきました。

親からは「まじめにやれ。正しくあれ。勉強しろ」と言われ続けましたけど、正しいってどういうことなのか、なぜ勉強しなければいけないのか、誰も教えてくれなかった。結局、地元の北海道を飛び出して自分で進むべき道を探しました。

結果的に本が好きになって文章を書く仕事につながったことは感謝すべきですかね。

子どもが何を求めているのか、見極めた進路選択を

借金玉:そういう意味で学校選びは大事ですよね。僕は早稲田大学に入って、だいぶ居心地がよくなりました。あの大学は日本人は多くても多民族社会で、年齢も経験も宗教も派閥もバラバラでしたから。教授や先生も、監督やボスではなく知恵を与えてくれる存在だったのがありがたかったです。

栗原:類が通っていた高校も単位制で、自由度の高い学校だったので、すごく楽しそうでしたよ。一応クラスはあるんですが、自分が好きな授業や行事を選んで単位を取ることができたので。

借金玉:僕もそういう学校に行きたかったです。高校はさっさと辞めて自分で勉強すればよかったと今となっては後悔しています。精神科通いをもう少し減らせたかもしれない。

最近、「学校に行けない、辛い」という中高校生からよく相談を受けるんですが、「行かなくていいよ」と答えています。発達障害の二次障害であるうつを発症してしまう前に、「学校に行くのが普通」という世間の一般常識を全部外して、自分が何を求めているのか考えた上で環境を最適化したほうがいいです。ただ、一方で「その代わり学習は自力で何とかする必要がある」と言わねばならないのが辛いところですが。

栗原:発達障害であればなおさら、子どもが何を求めているのかを親が見極めて導いてあげなければいけないのに、そうできていないケースが圧倒的に多いように思います。子どもが自分自身で考えるのは大変ですからね。

借金玉:子どもは何もわからないので、どんな能力を身に付ければどんな働き方の可能性があるのか教えてほしいんですよね。僕は長男で、「公務員になるしか生きる道はない」という家庭で育ったので、北海道でずっと絶望していました。あのまま公務員か教師にでもなっていたら、おそらく生きていけなかったと思います。実際初めて勤めたお堅い職場は勤まらなかったですしね。


栗原:私は、社会に出たら絶対に働かなきゃいけないことはわかっていたけれど、会社員にも公務員にもなりたくなくて。社会に出る直前に、フリーランスという働き方があることに気がついたからまだよかったですけど。

たとえ親が自分と違っていても、なぜそういう価値観や考え方をするのか言葉で説明してくれれば理解できるんですよね。

でも何の説明もなく、自分が言うことがすべてで正しいと思わせたい親が多すぎる。そういうふうに縛り付けておきながら、子どもが大人になって不幸になっても、「それはお前の責任だ」と言われたらたまったもんじゃないですよ。親のエゴを外して、その子どもの個性に合う教育はどういうものなのか、そこから考えていけば、発達障害があるなしに関係なく、適切な方向へ導いてあげられると思います。

(構成:樺山美夏)