『チーム・パシュート』の4人も、日本列島を大興奮の渦に巻き込んだ。
 「3人一組で滑るこの競技は、チームプレーを重視する日本人向きと言われていましたが、金メダルとは凄すぎます」(前出・スポーツ紙記者)

 正しくは、『女子団体追い抜き』というのだが、まず高木美帆(1994年5月22日生・23歳)は、1500メートルの銀、1000メートルの銅に続いて、“メダル3色”を揃える快挙を成し遂げた。
 「“神の子”と言った人もいましたが、小学生の頃から地元(北海道)では知らない人は誰もいないくらい図抜けた存在で、幕別町立札内中学3年で、2010年のバンクーバー五輪に出場しました」(前出・スケート関係者)

 まさに、国内には敵なしの天才少女だった高木だが、その才能はスケートだけにとどまらなかった。
 「国内・外で大会があり、1年のうち3分の1ほどは学校を休まざるを得ませんでしたが、成績はいつもトップクラス。サッカーやヒップホップダンスも得意だったそうです」(前出・テレビ局関係者)

 しかし、そんな天才も、ソチ五輪(2014年)の代表選考に落ちてからは意識が変わったという。
 「とにかく、スケートのみに集中するようになった。落ちたことが、よほど悔やしかったのでしょう」(前出・スポーツ紙記者)

 そのせいなのか、今大会では笑顔を見せるシーンは少なかった。
 「各競技の本番前日はマスコミの取材にも対応せず、ピリピリした空気が流れていました」(テレビ局スタッフ)

 もっとも、そんな高木にも“スキ”はあったようだ。
 「練習の休憩中、レーシングスーツ(競技用ユニホーム)の上半身を脱いでインナーシャツ姿になったんです。しかも、シャツをめくっておなかを拭いたので、汗だくのバディが丸見えになった。カメラマンたちが一斉にシャッターを切っていました」(芸能ライター・小松立志氏)

 また、女の子らしい、こんな側面もあるという。
 「高校生の時、男子選手から“太いね”と言われたことに傷つき、以来、甘い物は極力控えているようです。それから、トレーニングの影響で太ももやお尻が太く、大きくなって、かわいいズボンが入らないと気にしています。足を閉じるのも大変だそうで、引退後は“細くなりたい”と話しています。日本体育大出身ですが、都会より田舎がいいという純朴なところもあります」(夕刊紙記者)

 姉の高木菜那(1992年7月2日生・25歳)も負けてはいなかった。
 「新種目のマススタートでも金メダルを獲得。夏季五輪も含め、日本女子選手としては初の“同一大会・複数金メダル獲得”という偉業を果たしました。高木姉妹だけでメダル5個という凄さでした」(スポーツキャスター)

 これまで、“美帆のお姉ちゃん”と言われることが多かった菜那だったが、負けん気と度胸は人一倍強かった。
 「高校2年生の時、遠征で東京へ向かう飛行機の中で、アントニオ猪木を発見。チームメートが尻込みする中、羽田空港で“写真撮って下さい”と申し出て記念撮影したというエピソードがあります。髪を染めたり、ピアスをしたりする“チーム1のオシャレさん”です」(同)

 菊池彩花(1987年6月28日生・30歳)は、最年長としてチームの精神的支柱となった。
 「スケート一家で5人姉妹の次女。長野・佐久長聖高校時代の3年間は、トレーニングも兼ねて、往復80㎞の道のりを自転車通学した“努力の人”。その一方で三十路らしい“色気”を感じさせてくれる女性でもありました」(ワイドショースタッフ)

 決勝で高木姉妹とともに見事な滑りを見せたのは、佐藤綾乃(1996年12月10日生・21歳)。
 「メンバー最年少の佐藤は、群馬・高崎市の高崎健康福祉大人間発達学部子ども教育学科3年生で、幼稚園の先生を目指して勉強中です」(スケート担当記者)
 今どきの女子大生らしく、趣味はネイルアートとショッピングだとか。

 ともあれ、今回の平昌五輪に限らず、次の北京五輪へ向けこれからも女子選手たちの活躍は続きそうだ。