8月15日の夜に行なわれた、リオデジャネイロ五輪陸上の男子棒高跳決勝。地元ブラジル選手の活躍に沸く中で、あと1カ月で36歳になる澤野大地が3人並ぶ7位タイに食い込み、日本男子棒高跳にとって64年ぶりの入賞を果たした。

 雨が降り出す中で始まったこの日の試合は、アクシデントが連発する難しい戦いになった。最初の5m50に数人の選手が挑んだところで雨が激しくなり競技は中断。

 雨が止んでから再開した試合で、澤野は5m50を一発でクリアして優位に立ったが、その高さの競技が続いている途中で、支柱に付けたバーを上げる機材が故障して、またしても競技の中断を余儀なくされた。

 だが澤野は「あのハプニングも楽しいなと思って待っていました」と冷静。自分で作ってきたおにぎりを食べて待っていたという。

「選手の中には、けっこう焦ってイライラしているような姿も見えたけど、それが長引くなら身体を休められるからラッキーだなと思っていました。予選でも機材の故障があったので、中断が長引いたことでそんなに影響はなかったですね。何かすごく落ち着いていて、普通にできました」

 前回のロンドン大会には出場できなかったが、澤野にとってはアテネ、北京に次ぐ3回目の五輪。今回は普段の跳躍練習をしているような感覚で競技をし、東京で生活しているような日常感覚のままで試合の日を迎えられたという。

「あえてそうした訳ではないのに、不思議と五輪の前からずっとそんな感じで。予選も決勝も五輪という感覚がなく、何か違うところで普通の試合をしている感じでした。『ああ、五輪か』と感じたのは、競技を終えて歩いているときでしたね。色んな国のお客さんたちがみんな拍手をして『おめでとう』というような感じで声をかけてくれて。それがすごくうれしくて、幸せを噛みしめていました」

 最初の5m50を1発で跳んだあとは、5m60に挑戦。しかし、度重なる中断でリズムを崩した選手たちは、ポロポロと高さを落とし始めた。

 そんな中での澤野の跳躍は、身体は十分に上がったものの、太股と脇腹がバーに触れてしまい、バーが落ちて失敗。記録は伸ばせなかったが、7位タイで入賞を果たした。

「入賞は5m65だけど、メダルに絡むのは5m85からだなと思っていました。僕も今季は5m75を跳んでいるので、もうワンランク上げれば行けると思ったし、ポールもワンランク上の硬さのものを使えたので『いけるかな』と思っていました。失敗しての入賞だったから本当に『やった!』という感覚はなくて......。でも自分としては五輪で初めての入賞だし、日本人としては52年ヘルシンキ大会の沢田文吉さん以来というので、それは素直に喜びたいと思います」

 こう話す澤野は01年頃から08年頃にかけて、日本の陸上を大きく進化させた"末續慎吾世代"のひとりで、現役の日本代表クラスに唯一残っている選手だ。その世代には200m日本記録保持者の末續のほか、日本記録保持者として現在も名前を連ねる醍醐直幸(男子走高跳)や池田久美子(女子走幅跳)、森千夏(女子砲丸投)らがいた。

「今回出場していた選手の中でも僕は最年長でしたからね。4位になったサム・ケンドリクス(アメリカ)のお父さんからは『アンクル(おじさん)大地』と言われました。でも今回の結果で『まだ大地がいるんだ』というのを、世界の人にも示せたと思います」と明るく笑う。

「今でも一緒に頑張ってきた末續世代の仲間と会うとうれしいし、彼らは絶対に僕のことを応援してくれていると思うから、それに応えるためにもまだ競技を続けていきたいですね。それに何よりも今は、体中痛いところはひとつもないし調子もいい。ここで5m65を跳べなくて悔しいと思ったのも、僕自身には大きな収穫だったと思います」

 日本陸上界の一時代を担った最後のひとりとして、後進の選手に何かを伝えていくという義務もある。彼はそれを今、強く意識し始めているという。

「04年アテネ五輪と08年北京五輪の時は、ひとりで出場したので、ずっと複数選手で世界大会に行きたいという思いがありました。それが09年世界選手権で叶い、13年世界選手権に続いて今回は、五輪では64年東京五輪以来のフルエントリーができたのはすごくうれしかったですね。今回出場した山本聖途や荻田大樹のほかにも、大学生や高校生でも強い選手がいるので、彼らの力にちょっとでもなって、見本になれるようにしっかりやるべきことをやっていきたいと思っています」

 かつては澤野以前にも、短距離の伊東浩司や朝原宣治、400mハードルの山崎一彦や為末大、ハンマー投げの室伏広治などが世界へと視野を広げて、世界レベルの仲間入りをすべく、実力を磨き上げていた。だが、現在は単身で武者修行のように海外遠征する選手は極めて少なくなっている。そんな状況だからこそ澤野は、グランプリファイナル(グランプリシリーズポイント上位者のみが出場できる)にも進出した貴重な経験を、後進に知ってほしいのだ。

「海外に視線を向けることだけではなく、僕自身が昨年はアキレス腱を痛めて苦しみながらもそこから立ち直った。アキレス腱がダメになって苦しんでいる選手や、競技を諦める選手はすごく多いと思うので、そこも伝えていきたいひとつですね」

 アキレス腱痛の苦しみから復活した今季、澤野は「精神的にも技術的にも進化している。今は日本記録更新も狙うことができる状態だ」とまで言った。そして「競技を年齢で決めつけるべきではない。できると思うならやった方がいい」とも言う。

 今や"レジェンド"ともいえる域に迫ってきた澤野は、同じ競技者としての立場のまま、にその発言や行動を通して若い世代にバトンをつないでいきたいと決意している。

折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi