『海月と私』麻生みこと著/アフタヌーンKC

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突然だが、『GTO』、『ごくせん』、『サラリーマン金太郎』、『ショムニ』、これらのコミックの共通点はなんだろうか? 「映像化されている」。それも正解だが、筆者はもうひとつあると考えている。それは、「突然現れた人によって、周囲の人の考え方や言動が変わっていく」という筋書きだということだ。

「他人は変えられないけれど、自分は変えられる」とはよくいうものだが、自分の言動を変えるのは結構難しい。でも、『GTO』の鬼塚、『ごくせん』のヤンクミ、『サラリーマン金太郎』の金太郎、『ショムニ』の千夏みたいな人が身近にいたら変われるんじゃないか……という想像は、誰もが一度は抱くものだろう。だからこそたくさんの漫画が生まれ、人気を集めるのではないだろうか。

『海月と私』(麻生みこと/講談社アフタヌーンKC、既刊1巻)の主人公も、突然現れた部外者によって変わった一人だ。主人公は海沿いの小さな宿・とびうお荘を経営し、魚をさばいてふるまう旦那さん。仲居のおばあさんが急逝したため、とびうお荘を畳もうとするが、すでに予約が入っているお客さんを捌かなければならない。そこで急遽仲居さんを募集したら、「岩松梢」と名乗る女性がやってくる。梢はボブカットが似合う、スレンダーで涼しげな顔立ちの美女だが、名前以外は一切不明。

麻生みことは本作以外にも、司法修習生の成長を描き、ドラマ化された『そこをなんとか』、京都の職人たちの人間模様が展開される『路地恋花』などの作品がある漫画家。筆者は麻生みことを知らなかったが、水彩画のような淡い水色の空と海が印象的な第1巻の表紙と、「格別のもてなしと、ちょっとした幸運、あります。」という帯のキャッチコピーに『「ちょっとした幸運」ってなんだろう?」と惹かれ、衝動買いしてしまった。

「格別のもてなし」とは、作中で旦那さんが「転がす」と表現する、梢の「他人の背中を押す力」のことだ。とびうお荘にやって来る宿泊客たち、そして旦那さんは、人生の岐路で立ち尽くしていたところを梢に背中を押され、明日を前向きに生きる力という「ちょっとした幸運」を持ち帰る。

梢の「転がし」の上手さは、質問のテンポの良さとあいづちの上手さ、そして機転が利くことだ。旦那さんは当初、梢を断ろうと自分やとびうお荘のマイナスなことばかり話す。ところが

「常々あまり向いてないと思ってたから」
「どんなところが?」
「客商売が」
「こんなに美味しいのに?」
「料理だけならいいが 接客が苦手で」
「普通に話してるじゃないですか」
「…話させられてるというか」
「大丈夫ですよ 普通です」

などとやりとりしている間に、梢を雇うことになる。

そんな梢の対応力はお客さんに対してもいかんなく発揮される。例えば、梢がとっさに忘れ物の携帯から電話をかけたことで三角関係のもつれからひびが入りかけた宿泊客の友情が復活し、梢が小さな嘘をつくことで本音を伝え損ね続けたため別れそうだったカップルの気持ちが通じ合う。

しかし梢は、旦那さんにそれを褒められても「ここの力」と答える。こことは、とびうお荘のことだ。そんな梢に「転がされ」た旦那さんは、自らと梢のことを「私が一人で 気後れして 逃げを 打っただけ この きらきらふわわした 海月のような女に」と表現する。これが本作のタイトルの由来である。

『海月と私』の「海月」と「私」は、一見すると「梢」と「旦那さん」と取るものだろう。しかし、何度も読み返すと、「私」とは読者のことのような気がしてくる。悩める自分もとびうお荘を訪れたら、梢に「転がされ」、明るい方向へ進むんじゃないか。そんな期待を抱かせられるからだ。

この漫画は、いざという時に読むサプリとしてたくさんの人にすすめたい。悩んだり迷ったりした時に、梢さんに「転がされ」れて「ちょっとした幸運」を手にすれば、きっとなんとかなると思わせてくれるから。
(坂本茉莉恵)