ワタミ会長 渡邉美樹氏

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■己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ

ワタミグループの礎は『論語』にあります。すなわち「恕(じょ)」、他人を思いやる心です。のちに弟子となる子貢に「一生行っていくべきことを一言でいうと何ですか」と問われ、孔子は「恕である」と答え、次のように続けます。

「己の欲せざる所は、人に施すこと勿なかれ」

自分がしてほしくないことは相手にもしてはならぬというのです。僕は事業を始めて以来、「恕」という考え方とずっと向き合って生きてきました。

たとえば居酒屋であれば、客席の灰皿が一杯になったら必ず取り替える。介護の仕事なら「もし自分の親がそこにいたら」と考え、おざなりな扱いは絶対にしない。そうして従来の「常識」を見直してきたのです。

大学時代から読んでいるので30年以上の付き合いです。しかし、何度読んでも読むたびに新しい。経験を積むごとに、言葉の奥に新しい発見があるからです。そのため、いつでも手に取れるように会長室やクルマや書斎、ベッドサイドなど、あらゆるところに置いてあります。

同じように『聖書』も僕の人としての骨格をつくってくれた書物です。ただ、とりわけ滋味深く思えるのは『論語』のほうです。たとえば、こんな一節があります。

「私は力不足で、先生の説く生き方を実行するのが難しいのです」

こう弱音を吐く弟子に対して、孔子は「力の足りない者が途中で挫折して中止することはやむを得ない。しかし、いまの君は、自ら見切りをつけている」と答えます。

「できない」のではなく、あきらめたのだというのです。本当に力不足であれば、力尽き前のめりに倒れるからです。これなどは、世の中の新入社員みんなに贈りたい言葉です。

2011年の東京都知事選挙に立候補したのも、『論語』の言葉に拠っています。都知事になって何をやりたいですかと問われて、僕は「政治に『信』を取り戻したい」と答えました。それがすべてだと感じていたからです。『論語』にはこうあります。

「民は信なくんば立たず」

つまり、政治家への信頼がなければ人民は安心して生きていけないという意味です。僕は郁文館夢学園の理事長として中高生の教育にもあたっていますが、子供たちに聞くと総理大臣をはじめ政治家を尊敬していない。全校生徒1500人のうち、政治家になりたいというのは1人か2人です。

本当に身命を捨てて国民のために闘っている政治家がいたとしたら、子供たちは尊敬するでしょうし、プロ野球選手やサッカー選手よりも政治家になりたいと思うでしょう。そうではないということが大問題なのです。

なぜ政治の仕組みが変わらないのか。そして、なぜ大方の人々が危機感を抱いているにもかかわらず悪い状況へ向かってしまうのか。理由は簡単です。国民が自らの得を求めたからです。日本の社会保障や農業を取り巻く制度には問題があります。わかっていても改革できないのは、そこを手厚くしておけば政権が安泰だと与党が考えるからです。そして「このままではダメになる」とうすうす感じながらも、自分に利益をもたらす政治家に1票を入れてしまう国民にも責任があります。

■「ありがとう」を集め、人として成長していく

目先の自分の利益と、子供たちを含めた国の利益と、どちらが大事なのかを考えなければいけません。僕はほとんど漫画を読みませんが、歴史的な大ベストセラーだという『ワンピース』を読んだのは、国民の多くがどんな思いを抱いているのかを知るためです。大げさにいうと、これがもしくだらない作品だったら日本はつぶれると思って読みました。

結論をいえば『ワンピース』が発しているメッセージはとても健全で、将来に希望を持てるものでした。たとえばこういうセリフがあります。

「子供たちの未来をあきらめるわけにはいかない」

活劇の要素に加えて、メッセージ性が強い漫画です。主人公は「海賊王になる」という大きな夢を持ち、仲間を大切にしながら成長していきます。僕はそこに共感を覚えました。

この世に生まれてきた以上、周囲に関心を持たなければいけません。迷惑をかけなければ何をしてもいいという考えは間違っています。若い人ならお年寄りに対して、勉強をすることができる人なら、その機会がない人に対して責任があります。関心を持ち責任を自覚することで、愛が生まれます。その先にあるのが大きな夢です。いまの若者に求められるのは、こういうことだと思うのです。

一方、『競争の戦略』は、経営のチェックリストとして使える名著です。一度通して読んだあとは、たとえば「海外進出の際の注意点」「供給業者との関係を見直すとき」「垂直統合の進め方」というような分類にしたがって、必要に応じて読み返し、ポイントになるところをチェックします。

大きな夢を持ち、その夢に向かって1歩ずつ進んでいくのが人間です。そのプロセスでたくさんの「ありがとう」を集め、人として成長していく。これが僕の持っている揺るがぬ価値観です。ここに挙げたのは、その価値観をいろんな形でサポートしてくれる書物です。だから僕には、ばらばらではなく1冊の本のように見えています。好きな本とは本来、そのようなものではないかと思います。

■渡邉美樹氏がお勧めする本

『希望』[著]渡邉美樹(KKベストセラーズ)
――東京都知事立候補の際、都政に経営をもちこむべく執筆した。

『坂の上の雲』[著]司馬遼太郎(文藝春秋社)
――明治時代の日本が、列強と伍すべく切磋琢磨する様を描いた。

『競争の戦略』[著]M・E・ポーター(ダイヤモンド社)
――ハーバード大学の名物教授が書いた戦略論の古典的名著。

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ワタミ会長 渡邉美樹
1959年、神奈川県生まれ。県立希望ヶ丘高校卒。1982年明治大学商学部卒業後、佐川急便のセールスドライバーなどを経て、84年渡美商事を設立。86年ワタミ設立。2000年東証一部上場。学校法人郁文館夢学園理事長。医療法人盈進会岸和田盈進会病院会長。09年会長。

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(面澤淳市=構成 宇佐美雅浩=撮影)