『まんが親』吉田戦車/小学館

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吉田戦車『まんが親』の2巻が出た。楽しく読みましたよ。あー、お子さんはもう2歳なのか。

もしかするとご存じない方もいるかもしれないので書いておく。吉田戦車は2007年に伊藤理佐とまんが家同士で結婚した。2人の間に生まれた女児(2歳になった時点の自称は『にゃーちゃん』)の子育て記録を楽しく綴ったのが『まんが親』である。前巻の収録分で東日本大震災が発生しており、吉田が他のまんが家たちと共に行ったボランティア活動についても、たびたび触れられている(エキレビ!ライターのとみさわ昭仁氏もちらっと出てくる)。そういう意味では子育て一辺倒でもなく、先が見えず、不安な世情の中で幼い子供の「親」として生きていく心情を描いた作品だと言うことができるのだ。タイトルも、まんが「親」ですし。

以前にこのレビューで吉田の『逃避めし』というエッセイを紹介した。仕事中に1人で簡単な料理を作って食べる楽しみを書いた本である。食べるだけではなくお酒も好きなようで、『まんが親』には子供ができて飲みに行けないためにストレスを感じている様子がしばしば自虐的に描かれている。あと、3歳まで子供にはテレビを見せないようにしようと夫婦で決めたせいで視聴時間が減り「仮面ライダーの録画、3ヶ月もたまって」しまったり、とか。「親」だってやっぱり好きなことを我慢しなければならないのは嫌なのである。

なんだか吉田はすごいダメ親、みたいな言い方をしてしまったので慌てて書いておくが、単行本収録の伊藤理佐コメントによれば、吉田は「黙っていても朝ごはんつくったり掃除かけたりする。子供と遊ぶし。朝ゴミを集めて(集めることが大事)捨てに行く」。しかし「どんなに(子供が)泣いても夜は起きないし」禁句の「もっと子連れで田舎に帰れ」も言われてしまったのだという。つまり、がんばっているけど賢者ではないので時にはキレるし、わがままも言うということだ。要するに「普通」だ。

2巻の帯の、伊藤理佐の推薦コメントを見て、つい笑ってしまった。

「うちの戦車は、けっしてイクメンではありません。安心してお読みください」

最近になってイクメン=育児に積極的な男性という言葉が造られたのは、それだけ「育児に消極的な男性」が多い証拠なのかもしれない。でも普通にすべきことをやっているだけの人を変に持ち上げるのを見ると、なんだかお尻がむずむずしてくる。それ、要るの? って聞きたくなる感じだ。非イクメンの意識改革をうながすとか、いろいろ意味があるのだろうが、でもなあ、言葉だけ先行させちゃってもなあ、とも思う。

子育てに関しては、なぜか極端な二分論がまかりとおってしまう傾向がある。さすがに「子育てはすべて女の仕事である。YesかNoか」みたいな物言いは廃れてきたけど、でも「子供を健全に育てるためにいちばん必要なものは母親の愛情ですよね? YesかNoか」みたいに形を変えて同じ問いは生き残っている。
そういえばここ数日、東京都内の保育園で多数の待機児童が発生してしまう見込みのため、保護者による抗議が自治体に殺到しているという報道をいくつか見かけた。待機児童の発生は今に始まったことではなく、子育て中の家庭にとってはずっと頭の痛い問題であり続けてきた(もっといえば、保育園だけではなく学童保育所もずっと待機児童を発生させている)。こういうときに必ず出てくるのが同じような二分論だ。

でも、いいですか。
子供の保育について言われていることは両方とも正しいんですよ。

「子供を育てることのいちばんの責任は親にある」

はい、もちろん。
でも、

「子供の安全について心配することなく働くために公共のサービスを利用する権利は、誰にも等しくある」

というのも、同じように正しい。
どっちも正しいから、どっちも満たさなければならなくなる。それで一所懸命にがんばって、ずっと無理をしてきたのが「親」という存在なのである。無理をするからたいへんなことになる時だってある。たいへんになっても誰にも相談できなくて泣きたくなる。
そんな経験のある方はたくさんいらっしゃるでしょう?

吉田戦車のこの作品には、そういう完璧であることを要求される「親」像を相対化する力がある。「親」を「まんが」のキャラクターにしてみることで、冷静に客観視することができるようになるのだ。作者の吉田自身(そして伊藤理佐も)、この作品が世に出たことで楽になった面があるのではないか。「親」という立場にある人は、この本を読むときっと肩の力が抜けるはずだ。そういう浄化作用がある。
気持ちがいいのは、この本には「なになにをしなくてはいけない」という押し付けがないことだ。そこには書き手の配慮が働いている。吉田が「自分たちはまんが家夫婦という特殊な立場だからこうしてしまうのだが」と断りながら何かを描くときは、実は「家庭(夫婦)というのはそれぞれ別々のものだから、全部が同じでなくてもいい。まして、何かを強制しようなんて思わない」ということもさりげなく言っているのである。
家庭(夫婦)はみんな違う。
当たり前のことなのに「子育て」の時にはしばしば忘れられがちだ。みんなを同じにしようとすると、そこにはきっと歪みが生じる。他人の家庭に余計な口出しをしたくなる。違うことが許せなくなる。
でも、そんな窮屈なのはよくないですよ、子育てはもっと自由に、それぞれの立場でそれぞれが悩みましょう、がんばりましょう、お互いたいへんですよね、と『まんが親』は語りかけてくるのである。だからとても気持ちよく読むことができる。

私事になるが、うちの子供はもうにゃーちゃんよりずっと大きくなってしまった(もうすぐ受験である)。だからとても懐かしく感じた。ああ、2歳のとき、うちの子はこうだったなあ、と昔のアルバムを見ているような気持ちにさせてくれたのである。たいへんだった。でも、同じくらい楽しかった。そんなことを思いながら、『まんが親』のページをぱらぱらとめくり続けた。
(杉江松恋)