【テンプルトンに学ぶ】真の割安株を探すためには世界との比較が必要だ!
日本株の成功で有名な国際分散投資の草分け
戦後の日本株の上昇相場ほど投資家の興味を引くものはないだろう。なんといっても、終戦直後170円ほどだった日経平均が1980年代末には4万円近くとなったのだ。では、この歴史的大相場で最も利益を上げた投資家は誰かというと、恐らく、それはジョン・テンプルトンだ。
テンプルトンは、1912年米国生まれ。投資家としての成功により世界的な富豪となった人物だ。
42歳の時にファンドを設定し、80歳の時に自らの運営していたファンドを他の資産運用会社に売却するまでの40年間、常にトップクラスの運用成績を上げ続けた。
PER1ケタで買い、PER30倍で売る
日本株に対して、テンプルトンは戦後一貫して注目していたようである。テンプルトンは常に世界中の経済と株式市場を観察して投資チャンスを探していたが、その中で日本経済にひときわ強い成長力を感じていたのだ。
特に1970年代になると日本株に対する彼の投資は加速し、ピーク時には運用資産の半分以上を日本株にしていた。テンプルトンが熱心に日本株に投資し始めた頃は、有望銘柄がPERわずか1ケタ台でゴロゴロしていた。たとえば、まだ伸び盛りのイトーヨーカ堂はPER約3倍だった。テンプルトンは、そのようなPER1ケタの有望株を買いあさったのだ。
その後日本株は歴史的な上昇トレンドを描く。日経平均は、1970年頃2000円前後だったが、1980年に7000円、1984年に1万円と破竹の勢いで上昇した。テンプルトンがPER数倍で買った株も、その頃には30倍程度になるものが出始めた。彼はそうした株から徐々に売却していった。そして、日経平均が1万8000円台に乗せた1986年には、もはや日本株全体に割安感がなくなったと判断して、日本株をすべて売却したのだ。