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金森選手は死球王とか、生傷男などという渾名で呼ばれていたが
一躍有名になったのは
1983年の日本シリーズである。
この年の西武ライオンズVS読売ジャイアンツのシリーズは
伝説に残る死闘であった。
なんとサヨナラゲームが3試合!
大逆転劇も多く、史上まれに見る熱戦シリーズとなった。

そんな日本シリーズの第6戦。
試合はもつれにもつれて延長戦に入る。
ピッチャーは怪物・江川卓。
10回裏ライオンズは江川を攻めてサヨナラのチャンスを迎えた。
2アウト1・2塁。
監督の広岡達郎は代打を告げた。
「代打!金森栄治!!」
2年目で売り出し中の金森であるが
当時はTVでは巨人戦しか見れない時代。
またパリーグは人気が無くて世間の話題にもならなかった位だから
TVを観ていたほとんどの野球ファンは
カナモリ?知らないなぁ。と感じたはずだ。
巨人も、また金森栄治の身体の小ささを考えて外野手を極端な前進守備のシフトを敷いた。
観戦中の人たちも、ここは江川が抑えて
11回の攻防をどう戦うか?を考えた。
(実は管理人もその一人。)
その瞬間・金森のバットが火を噴いた!
前進守備のレフト・クルーズの頭上をこえて
レフトスタンドの巨人ファンの目の前にボールが転々と落ちた。
劇的なサヨナラ打である。
昨日まで一般世間では無名の選手であった金森は一躍ヒーローとなり
翌日のスポーツ紙の1面を飾った。
これで金森は大きな自信をつけた。

翌年以降、ライオンズにとって必要不可欠な選手を成長し
黄金時代の形成に貢献をしていった。

もしこの時、サヨナラヒットが生まれていなかったら
彼のプロ野球人生は違うものとなっていただろう。
まわって来たチャンスをものにした金森選手に拍手を送りたい。

なお、金森イコール死球というイメージがあるが
プロ15年間で50個の死球という記録が残っているが
そのうちの38個が1983年〜1986年の4年間のものである。

当時のライオンズは黄金期の真っ只中。
とにかく出塁しなければ、次の出番は無いかも知れない。
そんなハングリーな状況下でアピールをして生き残りを図ったのではないかと管理人は考える。

時には軸足を上げてまでボールにぶつかろうとしていった
ガッツあふれる金森のプレーは本当に忘れられない。

1988年 阪神タイガースへトレード。
1992年 ヤクルトスワローズへ移籍。
1996年 現役引退。

通算成績 打率.270 (583安打)本塁打27本 打点239 死球50