安愚楽牧場の牛と動物愛護を訴える人びと

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和牛のオーナー制度で出資会員を集めた「安愚楽牧場」(あぐらぼくじょう)の経営が破綻した。その後、民事再生手続きは廃止され、同牧場は破産することが決まった。和牛のオーナー制度とは、同牧場が用意した繁殖用の親牛に投資を募り、生まれた子牛を同牧場が買いとる仕組み。

消費者と生産者である畜産農家をつなぎ、食の安全や流通の可視化などを目指す。そのこと自体は、けっして悪いことではない。しかし、オーナーたちは、そんなことを考えて同牧場に金を出していたのだろうか。単に、牛が「投資」の対象になり、利益金という「金利」を目当てに金を出していたと筆者には見える。

同牧場は、育成にリスクがある牛という生き物を、あたかも金のなる木のように、消費者に対して錯覚させた罪はまぬがれない。また、7万人を超えるオーナーたちの今後については、厳しい言い方になるが、リスクが高い「金融商品」であるにもかかわらず、高い「金利」に飛びついたことのツケが回ってきたと言わざるをえない。

さて、本題は同牧場の経営事情でもなく、オーナーたちに返還されるお金の額でもない。預託農家に預けられている牛の今後である。同牧場は、約13万頭もの繁殖用の牛を農家に預けている。同牧場が破産すれば、月々にかかる約20億円のエサ代が払えなくなり、農家は牛の育成を中止せざるをえなくなる。

牛たちは、今後どうなるのか。第1は、業者に食肉用として販売される。だが、繁殖用の牛が食肉用としてどれだけ売れるのかは不明である。第2は、飼育が不可能になった末の殺処分である。筆者は、状況から考えると、後者のケースが多くなると考えている。

ここで疑問に思うのは、普段は動物愛護を訴えている組織や人びとの動向だ。彼らは、犬や猫のことになると、間髪入れずにアクションを起こす。とはいえ、今回のように愛護の対象が牛になると、ほとんど何もアクションを起こさない。不条理な理由で殺処分されそうな牛が万単位で存在するにもかかわらず。

同じ生き物であるのに、犬と猫はペットだから愛護する。牛は家畜だから愛護しない。なんだか納得のいかない論理ではある。しかし、それは当たり前のことなのだ。結局、人は、そうやって生き物を恣意的に愛護し、峻別し、差別しているのだから。犬や猫だって、見かけがかわいいものが優先的に愛護され、そうでないものは相手にされない場合が多い。

「動物愛護」と大上段にうたうのであれば、大量の牛が不条理に殺処分されようとしている現実を直視し、アクションを起こすべきではないか。他方、「ペット愛護」というふうに限定した動物だけの愛護をうたっているのであれば、アクションを起こす必要はなかろう。

いずれにしても、たいせつなことは、人が人以外の生き物を自分に都合良くコントロールしている、ということを自覚することだと筆者は考えるが、いかがなものであろうか。

(谷川 茂)