瀬川瑛子(78)喉の手術で歌手生命の危機も「80歳での引退」撤回した理由「失った時間を取り戻したい」
「お客さまに申し訳なくて、歌手をやめようかとまで思っていたんです」。名曲『命くれない』の歌い出しの音が出せなくなるほど、喉の不調に苦しんでいた瀬川瑛子さん。60代半ばから抱えていた違和感は、一時は「引退」を覚悟するほど深刻なものでした。しかし、手術を経てかつての歌声を取り戻したいま、再びステージに立ち続ける決意をします。
【写真】「さすが瀬川さん」存在感溢れるいで立ちで犬の散歩をする姿「オーラがある」(4枚目/全7枚)
70代、夫婦ともに体の不調に悩まされ
── 今年で79歳を迎えるとは思えないほど、はつらつとされている瀬川さんですが、70歳前後でいろいろと体の不調に悩まされていたそうですね。
瀬川さん:もともと体調が悪いと心配になってしまうたちなので、少しでも異変があると、『家庭の医学』を開いて調べたり、すぐに病院にいくようにしていました。60代までは、本当に健康でケガもなく過ごしてきたのですが、70代に入る前あたりから、いろいろと不調があらわれだして。しかもなかなか治らない。「これまでと同じようにはいかないんだな」と痛感しました。68歳のときには、転んでしまって足首を骨折し、さらに肋骨も折れていて、なかなか大変でした。
── 同時期に2か所!? どういう状況だったんでしょうか?
瀬川さん:私はサングラスが好きで、よくかけているのですが、ある日、ランチをしようとお店に入ったら昼間なのに真っ暗なんですよ。サングラスしてたから。そしたらバーンとつまずいて転んじゃって。自分でもびっくりしましたけど、お店の方はもっとびっくりしてました(笑)。
とりあえず氷をすぐに当てていたんですけど、「どうもこれは折れてるぞ」と思って救急病院へ。案の定、骨折していて松葉杖で家に帰ってきました。
自宅に帰って2階にあがるとき、夫がおぶってくれたんです。でも痛いからちゃんと掴まれないし、ぶら下がってるみたいな形になって。そしたらなぜか胸のあたりも痛くてたまらない。その後、肋骨も折れていたことが判明しました。
── おんぶされたときに、肋骨まで折れてしまったんですか?
瀬川さん:その前から折れていたのか、夫に抱っこしてもらったときに折れたのか、よくわからないんですけどね(笑)。胸も足もだったので、全部治るまでに結構、時間がかかりました。
夫も夫で、同じような時期に骨折したことがあって。あるとき、私がパチンコをしていたら、お風呂場で転んで動けなくなったらしいんです。休憩中にふと携帯を見たら、着信履歴が「たけちゃん」(夫の名前)だらけで埋まっていて。びっくりして連絡したら、「骨折して起きられない」と言うんです。頭を打っていなかったのが幸いでしたけど、きっと必死で連絡してきたんだと思います。
「骨が折れて内臓にでも刺さったら困るから病院に行こう!」と言ったのですが、夫は「大丈夫だから様子を見る」と。結局、痛みがひどくて次の日、救急車で運ばれて病院へ。そのまま入院しました。
喉に違和感「歌手をやめようか」悩んでいた過去
── 瀬川さんご自身も、73歳のときに手術を経験されたそうですね。
瀬川さん:そうなんです。それまで毎年、夫婦で胃と腸の検査を受けていたんですが、コロナ禍で1年だけ検査しなかったときがあったんです。翌年検査したら、医師から「がんとかそういうのではないと思うけど、1度きちんと調べたほうがいい」って言われて。調べたら十二指腸にポリープが見つかり、がん化したら困るから取ったほうがいいと。
当初は開腹手術をするように言われたんですけど、いつもなら外国に行かれている内視鏡手術の名医の先生がコロナで日本にいて、手術をしていただくことができました。本当にラッキーでした。
ただ、4月にポリープの内視鏡手術を受けて、同じ年の8月に急性胆管炎を患って手術。絶飲食になって1か月で10キロくらい痩せてしまって。体力が戻るまでずいぶん時間がかかりましたね。
── そして2022年には、歌手生命にかかわる喉の手術も経験されました。60代の半ばころから喉に違和感があったそうですが、どんな症状だったのでしょう。
瀬川さん:高音は出るのに低音だけがどうしても出にくいんです。『命くれない』のキーは、下の限界と上の限界の両方を使う歌なので、下が出ないからって上を上げるわけにもいかなくて。歌いだしの音が出ない。それが情けなくて、自分自身でも不愉快で…。下手くそな歌をこのままお客さまに聞いていただくのはどうなんだろうってさんざん悩みました。だましだまし歌っていましたが、お客さまに申し訳なくて、歌手をやめようかとまで思っていたんです。
── そんななかで、手術という選択肢が出てきたのはどんなきっかけだったのでしょう。
瀬川さん:病院を受診すると声帯に嚢胞があって、それが低音を邪魔していると医師から説明されました。「簡単な処置で取れますよ」と言われて光が見えたんですが、全身麻酔の話を聞いたら怖くなってしまって…。でも「納得いかない歌をこのまま歌うくらいならやってみよう」と思いきって受けることにしました。
── 術後は、声を取り戻すまでに時間がかかったと伺いました。
瀬川さん:まずしゃべれない状態が1か月近く続くんです。コミュニケーションはすべて筆談。その後、少しずつ「うー」って声を出す練習をして、5分、10分と伸ばしていきました。1か月ほどで会話ができるようになり、3か月くらいで「どんな歌も歌えますよ」とお墨付きをもらいました。
よく声帯の手術をすると「かわいい声になる」と聞いたことがあったので、スタッフに「どうですか?私の声、変わってますか?」と聞いたら、「前と同じです」と言われました(笑)。
「80歳で引退」を撤回した理由
── 瀬川さんの魅力である低音ボイスがまた聞けるのは嬉しいです。手術後、久しぶりに『命くれない』を歌ったときはどうでしたか。
瀬川さん:昔のように低い声がスーッと出て、感激しました。長い間、思うように歌えず申し訳ない気持ちでいっぱいだったので、「もっと早く手術すればよかった」と思ったくらいです。夫は「やめてもいいんじゃない」と言ってくれていたんですが、私はやめるなら納得した歌を歌ってからにしたかった。今は高いところも低いところも問題なく出せます。先生にも「今やめるのはもったいない」と言われて、もう少し頑張ろうとボイスレッスンに力をいれているところです。
── 手術を経て、歌う楽しさや喜びも取り戻された感じでしょうか。
瀬川さん:すごくそう思います。これまで自分が苦手だと思って避けてきたジャンルの歌も、喉が元に戻ってから歌ってみたら「意外といけるかも」と思えて。周りの評判もありがたいことによくて、またこうして皆さんの前で歌を歌わせていただけることが本当に幸せです。
声が出なかった時期はずっと申し訳なさがありました。わかっていて黙っていてくださった方も多かったと思います。だから今、その時間を取り戻したい気持ちが強くて。もともと「80歳で引退」と考えていましたが、それを撤回して、5年伸ばすことにしたんです。
若いころは「80歳まで歌う」なんて、ずっと先の未来の話だと思っていたのに、気づけばもうすぐ。でも手術をして前よりラクに声が出るようになった今は、80歳で終わりではなく、まだまだやれそうだと感じられる。それがうれしいんです。
── この先も歌い続けるために、体とのつき合い方も変わってきたのでは?
瀬川さん:体との向き合い方も、60過ぎると、前と一緒じゃないんですよね。しかも初めてのことばかり。閃輝暗点(せんきあんてん)と言って、突然、目の前にチカチカした光が出て視界が遮られたり、坐骨神経痛など、ステージで立っているのがやっとの状態だったり。唾が出にくくなって薬を飲んだり。いろんな不調とつき合っています。
人生100年と言われる時代。いくつまでちゃんと歌えるのか。そのために何が必要かを考えるようになりました。体のこと、心のこと、周りとの関係、そして自分が本当にやりたいこと。今まではやらなかったようなことも1度は試してみて、合うか合わないかをその都度決めながら、自分の体とつき合っていくことが大事だと思っています。
取材・文:西尾英子 写真:瀬川瑛子
