味の素の公式Xより

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 味の素株式会社(東京都中央区京橋)は1909年に創業。世界で初めて「うま味」に着目し、うま味調味料「味の素」を製造・販売した歴史はあまりに有名だ。今では世界36の国や地域で事業を展開、2024年3月の連結売上高は約1兆4000億円という巨大企業でもある(全2回の第1回)。

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【写真をみる】「非科学的すぎんか?」実際に“味の素”が使用禁止な国は“たった1か国” 実際の国名と、意外すぎる禁止理由も

 ところが、である。日本では往々にして、ネット上で「味の素」が脚光を浴びると、肯定派と否定派の議論が過熱して炎上状態になってしまうことがある。例えば昨年12月、人気の料理研究家・リュウジ氏がXにレシピを投稿した時のことをご記憶の方も多いだろう。

味の素の公式Xより

 これまでにもリュウジ氏のレシピは「味の素」を積極的に活用してきたことで、否定派から批判されてきた。そして12月6日(註:Xの表示)、リュウジ氏は「長芋の小判焼き」の作り方を動画で紹介したのだ。

 下ごしらえの際、リュウジ氏は同社が販売する和風だし「ほんだし」を小さじ1加えた。これに反応した視聴者がXで《リュウジさん。“ほんだし”も体に悪いから使わんで欲しい》と呼びかけたのだ。

「も」という助詞が使われたことからも明らかなように、この視聴者にとって「味の素」が体に悪いことは前提だった。これにリュウジ氏は《マジでなにが体に悪いのかちゃんと説明してほしいんだよな》と苦言を呈した。

 たちまち否定派と肯定派の間で激しい議論が起きた。さらにリュウジ氏は17日、《味の素体に悪いとか言ってる人全員もれなく反ワクチンなのなんでだろう》と投稿した。こちらは《反ワクチン》という過激な表現が使われたこともあり、たちまち炎上してしまった。

「世界各国で禁止」のウソ

 昨年6月には実業家の堀江貴文氏が、Xでタイ・バンコクの《安ウマオススメ店》を紹介。すると読者から、タイのレストランは《味の素たっぷり入ってるのでお気をつけください》との投稿が寄せられ、これに堀江氏は《味の素入ってたらなんかまずいんですか?》と噛みついた。これをきっかけに、やはり否定派と肯定派で激しい論争が起きた。

 もちろん議論が起きること自体に問題はない。ただ気になるのは、否定派の投稿には我々素人が読んでも科学的な信憑性に乏しい印象を受けたり、ひどい場合は誹謗中傷としか言えない内容が散見されたりする。

 そこで同社に取材を依頼し、グローバルコミュニケーション部でサイエンスグループ長を務める吉田真起子さんと、サイエンスグループのマネージャーを務める平林由理さんに、あくまでも科学的な見地からの解説を依頼した。

 味の素が把握している「事実に反しているか、もしくは、科学的な根拠に乏しいSNS上での批判」は、大きく分けて2つのパターンがあるという。1つ目として吉田さんは「世界各国で『味の素』の使用が禁止されているというネット上の書き込みは事実に反しています」と指摘する。

パキスタンの現状

 Xに「味の素 世界 禁止」と入力してみると、確かに《使用禁止が世界標準》といった投稿が表示される。特に「アメリカ 味の素 禁止」で検索すると、途端に表示数が増加することが分かる。《アメリカでは味の素が禁止されていると聞いた》といった事実無根の投稿が延々と続く。

 しかし実際には、「味の素」の主成分である「グルタミン酸ナトリウム(MSG)」はアメリカの行政法「連邦規則集」で一般的に安全と認められている物質と明記されており、アメリカでの使用は認められている。

 味の素がMSG禁止を把握している国はパキスタンだけだ。こちらは多分に宗教的、政治的な意図に根ざしており、パキスタン政府が「味の素」を狙い撃ちにした可能性も指摘されている。その経緯を日本貿易振興機構(JETRO)がレポートにまとめ、2019年3月に発表した(註1)。

 レポートなどによると、18年2月にパキスタンの最高裁判所が突然、MSGの輸入と国内販売の禁止を布告。日本だけでなくパキスタンの食品業界も「科学的根拠のない措置」として撤回を求めているそうだが、なかなか進展は見られないようだ。

MSGで味覚障害は起きない

 科学的根拠に乏しい投稿の2つ目は、健康被害を主張するパターンだ。《舌が馬鹿になる》、《味覚が壊れる》、《舌が痺れる》、《食べると具合が悪くなる》……といったSNS上の投稿が挙げられる。平林さんが言う。

「こうした投稿は科学的な見地から間違っていると考えられます。例えば味覚に関してですが、味は舌にある味蕾(みらい)の味細胞に味物質が反応することで感じます。味細胞は入れ替わりが非常に早く、10日程度で新しくなります。つまりMSG摂取で味覚異常が生じ、その状態がずっと続く、いわゆる“味覚が壊れる”ということは起きないはずです」

 私はうま味調味料を口にすると、本当に具合が悪くなる──こんな反論をする人もいるかもしれない。だが、その大半は「プラセボ効果」で説明できるようだ。

「プラセボ効果」とは、例えば医師や薬剤師から「これは睡眠薬です」とブドウ糖の錠剤を手渡されそれを飲むと、かなりの人が本当に眠くなってしまう……というような現象のことをいう。自己暗示と言ってもいいだろう。

化学と公害の関係

 吉田さんは「MSGに関して多くの研究が実施されており、安全性がきちんと立証されています」と言う。にもかかわらず、なぜ「味の素」はこれほど“悪者”になってしまったのか。

 吉田さんと平林さんが大きな影響を与えた可能性を指摘するのは、「化学調味料」という別称と、「中華料理店症候群(チャイニーズレストランシンドローム)」はMSGが原因というアメリカ発の“情報”だ。

 まず化学調味料というネーミングだが、これは1950年代後半に大手マスコミが「味の素」という商品名を使わないために編み出したものだという。そして、当時「化学」という言葉は“科学万能主義”や“夢の未来”といったイメージと結びつき、極めてポジティブなニュアンスを持っていた。

 推理小説作家の木々高太郎は、1936年下半期の直木賞を受賞したことで知られ、今もファンが多い。ところが木々の本業は大脳生理学者で、1958年に本名である林髞の名義で『頭脳―才能をひきだす処方箋』(光文社)を上梓した。

 この著書で林は「グルタミン酸で頭がよくなる」と主張し、当時のベストセラーとなった。当時は「化学調味料をたくさん摂取すれば、どんどん頭が良くなる」と考える人すら珍しくなかったようだ。

ニューヨークタイムズの“誤報”

 ところが、1950年代後半から日本で公害問題が相次いで表面化する。1955年にイタイイタイ病、56年に水俣病、59年に四日市ぜんそく、65年に第二水俣病(新潟水俣病)といった健康被害が明らかになり、これらは後に「四大公害病」と呼ばれるようになった。

 公害は社会問題化し、71年には環境庁が発足。この頃には「化学」や「科学」のイメージは悪化しており、それに引っ張られるようにして「化学調味料」は有害だという流言飛語が飛び交うようになったのだ。

 さらに「中華料理店症候群」という言葉がアメリカから持ち込まれた。60年代、中華料理を食べたアメリカ人が頭痛や体の痺れを訴えたことが原点とされる。68年には権威ある医学論文雑誌が症候群の存在を伝えた。

 ただし論文が掲載されたのではなく、被害を訴える編集者への手紙が紹介されただけだった。その手紙の中で「この症状の原因は醤油、ナトリウムの摂りすぎ、中国料理酒に含まれるアルコール、あるいはMSGの可能性がある」と書かれていた。

 インパクトが大きかったのは、ニューヨークタイムズが68年、中華料理店症候群を「MSGが原因」と報じたことだ。今では中華料理店症候群とMSG摂取の関係は数々の研究で否定されている。だが当時、アメリカを代表する一流紙の報道は影響力が大きかった。その証拠に2024年の現在も、うま味調味料のイメージを悪化させている。

うま味成分は同じグルタミン酸

「フェニルケトン尿症という日本では難病に指定されている疾病があります。特定のアミノ酸を代謝できないので、患者の皆さんは代謝できないアミノ酸をできる限り少なくした食事を摂取しなければなりません。もしMSGの代謝障害によって深刻な健康被害が起こるのであれば、同じようにグルタミン酸を低減させた食事を摂るという医療的な措置が必要になると思います。グルタミン酸はうま味調味料を使用しない場合でも通常の食事に含まれているからです。しかし、これまで弊社ではそのようなケースがあったことを確認できておりません」(吉田さん)

 買い物の際に食品成分表をチェックすると、「昆布エキス」、「酵母エキス」、「たんぱく加水分解物」などと書かれている。それでも「うま味調味料は使われていない」と判断して購入している人はいないだろうか。

【1】MSGである「味の素」を入れたお湯、【2】「昆布エキス」や「酵母エキス」、「たんぱく加水分解物」などが含まれているお湯、【3】天然の昆布で取った出汁を温めたもの──この3種類の液体を科学的に成分分析すると、いずれもグルタミン酸が豊富に含まれている。どれもうま味成分は同じグルタミン酸なのだ。

サイエンスの重要性

「MSGに過剰反応し、健康に害が生じる人が実際にいると仮定しましょう。グルタミン酸は生物が自分たちの体の中で作りだしているアミノ酸です。ですから多くの食べ物にも含まれています。うま味調味料の使用を避けたとしても、様々な“天然素材”から摂取することで症状が出るはずなのです。例えば自宅で昆布を入れた湯豆腐を食べても、最高級昆布の出汁を使ったお椀を口にしても、含まれるグルタミン酸の量によっては健康被害が生じる可能性があります。」(吉田さん)

 外食産業の多くがMSGを上手に活用し、安全で、低価格で、おいしい料理を提供している。もしうま味調味料を原因とする健康被害が科学的に確認されたら大変なことになるだろう。個人と法人を問わず桁違いの数の原告が、味の素株式会社に訴訟を起こす事態に発展するはずだ。

 味の素はSNS上などで事実無根の投稿が行われているのを確認しており、科学的に正しいデータを発表することに注力しているという。

「率直に申し上げて、事実と異なることが掲載されていることがあります。しかし弊社はサイエンスを大切にしています。安全性や品質を最優先し自分たちで研究しています。さらに社外の先生の方々にも研究していただき、客観性が保証された安全性データを取る、データを論文などで対外的に公表する、新しい情報を共有し、サイエンスをベースにした正しい情報を発信していく、といった地道な活動を着実に取り組むことが重要と考えています」(吉田さん)

味の素」の原料は蛇という“デマ

 こうした取り組みは日本だけに留まらない。アメリカの有名経済紙・ウォール・ストリート・ジャーナルは2019年4月、「味の素が挑むイメージ修復作戦、米で投じる11億円
グルタミン酸ナトリウムへの反発は外国人に対する嫌悪によるものとの指摘も」の記事を配信した(註2)。

 味の素が「正しいデータを発信することによる手応え」を実感する機会も増えてきたという。

「SNSなどネット上で、MSGに関する正しい知識を持ち、その上で意見を投稿しておられる方が非常に増えたな、という認識を持っています。例えばネット記事のコメント欄で、MSGに対するネガティブな意見や、場合によっては弊社に対する誹謗中傷のような内容の書き込みが行われても、すぐに科学的に正確な見地から正しく反論してくださる方もいらっしゃる。そういった現象を目にすることが増えてきたことは、とても嬉しく思っています」(平林さん)

 歴史小説の名手として知られる子母沢寛が東京日日新聞社の記者だった時代、各界の著名人に食にまつわるエピソードを取材し、紙面で連載。好評を博したため、1927年に『味覚極楽』の書名で上梓した。

現在でも中央公論社から文庫や電子書籍が出版されているが、その中に「味の素」に関して次のような記述がある。

《「味の素」が、まだあれはまむしを粉にして入れてある、その証拠には川崎か何んかの駅へ行くと味の素行きの蛇の入った箱が沢山積んであって、ある時それがこわれて、坑内が蛇だらけになったなどという話が、まことしやかに巷に伝えられていた》

 「味の素」を巡る“デマ”は、昭和初期の頃から流布していたということなのだろう。

プロも活用する“裏ワザ”

 現在の味の素は自社製品の活用方法を積極的にアピールしており、それは後編で取り上げる。ここでは「料理が大好きな人」に向けた“裏ワザ”をご紹介しよう。

「家庭でも応用できるプロのテクニックとして、料理の下処理と仕上げに使うという2点をお伝えしたいです。料理が好きな方ですと、例えば海老の下ごしらえをされることもあると思います。その際、軽く『味の素』を振りかけておくと、うま味が増しておいしくなります。特に、冷凍の海老は、解凍時にドリップと一緒に流れ出てしまううま味成分を『味の素』で補いおいしく解凍することができるのでお勧めです。また昆布やかつお節、煮干しなどで出汁を取られる際、天然ものはどうしても味にばらつきが生じます。味見をされて、ちょっと今日はうま味が弱いと思ったら、ほんの少し『味の素』を加えると、味に奥行きが生まれます。和食の専門店でも活用されている方法なので、ぜひ、試してみてください」(平林さん)

 第2回【味の素は明治時代になぜ生まれたのか グルタミン酸ナトリウムを開発した日本人学者がドイツで見た光景】では、「味の素」を上手に活用すると、何と体に害があるどころか、健康を増進する働きがあるというテーマを取り上げたい。

註1:世界5位の人口大国で直面する独特な輸入制限や準関税(パキスタン)(日本貿易振興機構:2019年3月15日)

註2:日本語版はダイヤモンドオンラインの有料記事で配信

デイリー新潮編集部