夫・奥田瑛二さんの度重なる浮気や借金に長年悩まされながらも、それでも離婚は選ばなかった安藤和津さん。波乱万丈な45年の結婚生活を振り返って今思うこととは?(全4回中の2回)

【画像】「天使のよう」安藤桃子さん・サクラさん姉妹を育てる安藤夫婦の家族秘蔵写真(全12枚)

「お母さん、そんなにつらい思いをしていたの?」

留学時代

── 過去に、家から下着姿の女性が侵入しても「『また夫の恋人か』と思ったので放っておいて寝てしまった」こともあったと伺いました。度重なる浮気騒動を安藤さんが「許せた」のはなぜでしょう?

安藤さん:許していたわけでは決してないんです。浮気が発覚するたびに、心がチクチク痛んだし、一日中ため息ばかりついていました。2回、3回と同じようなことが繰り返されると、「またかい。じゃあ闘ってやろうじゃないか!」という気持ちになっていた時期もあったような気がします。

ただ、私としては「あなたが出て行きたいのなら、いつでもあちらへどうぞ」とは夫に毎回はっきりと伝えていましたね。愛がない人と生活を共にするのなんて、嫌ですから。

それに浮気が発覚するたびに夫を突っついて夫婦の仲がギクシャクしたら、家庭の雰囲気も暗くなって子どもたちも傷ついてしまう。だから私が無理をしていた、というのが実情ですね。もっと言うと、幼い頃からずっと夢見ていた“幸福な食卓”の家庭像が離婚によって消えてしまうことが怖かったんだと思います。

── 結婚生活が45年目に突入した今は、もう昔のことを振り返っても胸は痛みませんか。

安藤さん:今はもう全然なんとも思っていません。過去に書いたエッセイ『愛すること 愛されること』では、当時の葛藤やつらさも綴っていますが、最近はふと思い出したときに「そういえばあんなこともあったわね」と奥田に笑いながら愚痴っては、「どうしてそういうことをいまだにしつこく覚えているんだよ」と嫌な顔をされるくらいです(笑)。

人間って自分のことだって理解できないのに、夫のことを理解できるわけないでしょ?だから相手を受け入れる自分の心のキャパを広げていかなきゃならない。私は少しずつキャパを広げていったんだと思います。

でもね、私は娘たち(映画監督の安藤桃子さん、俳優の安藤サクラさん)に、「もしも私が認知症になって家族の顔もわからなくなってしまったら、じいじ(=夫)とは別の老人ホームに入れてね。別の施設が無理ならせめて部屋は別々にしてね」と頼んでいるんです。

── なぜでしょう?

安藤さん:だって過去の記憶の蓋がバカンと開いて昔のことを鮮明に思い出したら、奥田への怒りが爆発して、包丁を取り出すような事態になってしまうかもしれないから(笑)。

いまの私は「もう昔のことはどうでもいい」と思えているけど、もしかしたら無意識の底のほうでは負の感情に蓋をして、封じ込めているのかもしれない。でも認知機能が弱ってふとした瞬間に過去の記憶が蘇ったら、長年封じ込めていた感情が腐りきったマグマのように爆発して出てきてしまう可能性だってあるでしょう?そうなったら多分もう手がつけられないだろうから、認知症になったら夫とは別々に暮らしたほうがいいんじゃないかしら。

── 桃子さん、サクラさんを育てているなかで、娘たちに父親の愚痴をこぼすようなことはなかったのでしょうか。

安藤さん:娘たちに夫のことをまったく愚痴らなかったわけではありませんが、愚痴りたいときは半分笑いを交えながら深刻にならないようにしたつもりです。だって、母親が子ども相手に深刻に悩みを吐き出してまったら、子どもたちがあまりに可哀想じゃない?

以前にテレビのバラエティー番組に私が出演したとき、そういった過去のことをお話ししたんですよ。それを見た娘たちが「お母さん、そんなにつらい思いをしていたの!?」って驚いていました。

それでも離婚をしなかったのはぜか

ドバイにて

── 離婚という選択肢が脳裏をよぎることもやはりありましたか。

安藤さん:もう何十回もありましたよ。脳裏をよぎるどころか、「離婚」という文字がテロップのように頭のまわりを日々ぐるぐると流れていましたもの(笑)。映画の資金を横領されたりして、億単位の借金を抱えたこともありましたし。

それでも離婚の決断をしなかったのは、私が幼少期から抱き続けた理想の家族の風景があったからなのだと思います。家族がみんなで食卓を囲んで笑っている。子どもたちがキャッキャと笑いながら、「ごはん、おいしいね」と言ってくれる。そんな平和な光景に私はずっと憧れ続けてきたんです。

私の母は柳橋の料亭の女将でした。父には私たち母娘とは別の家庭がすでにあったため、母は女手ひとつで私を育て上げてくれました。父と食卓を共にすることはまれでした。小学校に上がる頃には私と母、寝たきりの母方の祖母、叔父3人、叔母とお手伝いさんが加わって…という大所帯でしたが、皆それぞれ忙しく、夕食はほとんどひとりだったんです。     

私がぽつんとひとりで食事をする部屋の次の間にお手伝いさんが控えていて、襖の向こう側から食事の進み具合を見ては、お盆を持ってきておかわりを装ってくれる。それが私にとっての普通でしたから、みんなでワイワイ言いながらごはんを食べるにぎやかな食卓にずっと憧れがあったんですね。それが離婚にまでは至らなかった一番大きな理由かな、と思います。

でも、どうでしょうね。すっぱり離婚していたら、もしかしたらもっといい人と出会って再婚できていたかもしれない。「たられば」だから、本当は何がよかったのかは誰にもわかりませんよね。令和の今であれば、私とは異なる選択をする人も当然いるでしょう。もしかしたら夫がずっと不在でも、AIやレプリカなんかの技術で“幸福な食卓”が叶う未来が来るかもしれない。

でも私の場合は、結婚生活を続けてきたおかげでかわいい孫たちと出会えたし、奥田もすっかり孫たちの優しいジィジになって、今は毎日がすごく楽しいんです。そう考えると、やっぱりこれでよかったのかな、とも思います。誰もが足りないところを持っているけれど、足りないところばかりを数えても何にもならない。

ひとつでも光るところを見つけて、そこに目を向けることが大事かもしれません。奥田は自分に正直にしか生きられない。それは周りを傷つけるかもしれない。でも、時間はかかったけれど奥田が正直に生きていたから、今の幸せがあるような気がします。忍耐できたのも、私が全部自分の意思で決めたことだったからかも…。

PROFILE 安藤和津さん

1948年、東京都出身。学習院初等科から高等科、上智大学を経て、イギリスへ2年間留学。CNNのメインキャスターを務める。1979年、俳優・映画監督の奥田瑛二さんと結婚。長女は映画監督の安藤桃子、次女は俳優の安藤サクラ。エッセイスト、コメンテーターなど幅広い分野で活躍中。

取材・文/阿部花恵 写真提供/安藤和津