「合宿では誰とも話さない」 中田英寿の“クセ強すぎ”キャラをあの元日本代表が証言

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 サッカー元日本代表FWの小倉隆史氏が、同じく同代表のレジェンドMFとして活躍した中田英寿氏の功績や独特なキャラクターについて語っているが、これがなかなか興味深い。

 小倉は、元代表MF・前園真聖氏が公開したYouTube動画にゲスト出演。歴代のサムライブルー選手による「ベストイレブン」を選出していったが、リヴァプールで活躍中のMF遠藤航や、ブライトンが誇るドリブラー・三笘薫らが名を連ねる中、小倉の3歳下で“孤高の天才“と呼ばれたヒデこと中田英寿氏も選出した。中田といえば1998年、21歳の若さでイタリア・セリエAへ参戦し、3年後の2001年に強豪ローマでリーグ優勝を達成するなど、海外組のパイオニアとして当時の日本サッカー界をリードしたレジェンド。

 小倉はこの功績を讃え「“日本人もやるぜ”というのを見せた選手。ヒデのインパクトは大きかった。当たり負けしない。線が細く見えるけど強い」と屈強なフィジカルを長所に挙げると、前園氏も「海外での日本人評価を変えた選手」と評価した。

 ただ一方で、時代の最前線を走っていた中田氏の人間性を小倉氏は「変わっていた」とも明かす。何でも1996年のアトランタ五輪予選の合宿中、他の代表チームメイトに“ヒデとはどんな話をしてるの?”と尋ねたところ、「あいつ、合宿で誰ともしゃべってないんだよね」との返答があり、やはりチーム内では“孤高”だったという。また、トレーニング中にも他の選手にはない中田氏ならではの“こだわり”が見られたそうだ。小倉氏は、6〜7人で輪になり、ボールを地面に落とさずに空中でパスし合うウォーミングアップをしていた際の出来事として「だいたいみんなラクして、ボール落としたくないから頭(ヘディング)を使うでしょ?でも、あいつは絶対使わなかった。肩、肩、胸とか。『オレはヘディング使わねぇ』みたいな。こだわりがあったんだろうね。ちょっと変わったヤツだった」と振り返ったものだ。

「現役中の中田氏は多くを語る性格ではなく、ピッチ上では常に思慮深いプレイ判断を見せ続け、周囲とは一線を画したワールドクラスの振る舞いを黙々と見せていました。今でこそ、海外リーグでプレイする選手が日本代表の大半を占めていますが、当時の代表ではほんの数人と限られており、中田氏の世界基準なプレイビジョンが、しばしば他選手とのズレを浮き彫りにする場面もありました。話を聞く限り、練習の段階からすでに周囲とは異なる美学を持っていたことがわかり、ネットではそんな中田氏に『生まれてくる時代がもう10年遅ければ更に良かったでしょうね』『今の代表に中田がいたらと思うことが多い』などの声が上がっています」(スポーツライター)

 ちなみに、イタリア・セリエAで優勝を達成した日本人は中田氏ただ1人。その洗練されたサッカーセンスも含めて、日本サッカー界の歴史に確実に残る名手だったといえるだろう。

(木村慎吾)