人の心は単純ではない。

たとえ友情や恋愛感情によって結ばれている相手でも、時に意見は食い違い、衝突が起きる。

軋轢や確執のなかで、感情は歪められ、別の形を成していく――。

これは、複雑怪奇な人間心理が生み出した、ミステリアスな物語。

▶前回:「ストーカー?」知人男性に後をつけられ戦慄が走る28歳女。麻布十番のカフェに逃げ…




隠し味【前編】


「うわっ、肉じゃがだ!美味しそう〜!」

環奈は、テーブルの上に置かれた料理を見て、思わず声を上げる。

今日は、彼氏・圭祐が住んでいる青山のマンションを訪ねていた。

料理が趣味という圭祐が「好きなものを作るよ」と言ってくれたので、「一番の得意料理を」とリクエストしたのだった。

「見た目もすごくキレイ!」

煮崩れもせず美しい仕上がりで、ニンジンの赤色と、絹さやの緑色が鮮やかに映えている。

器にもこだわりがあるのか、有田焼の楕円鉢が、料理を華やかに見せていた。

他のメニューも並べ終えたところで「どうぞ」と圭祐が促す。

環奈は、さっそくメイン料理の肉じゃがに手をつけた。

「牛ひき肉を使ってるんだね!じゃがいももホックホク。甘辛くてごはんが進むのに、くどくなくてすごく美味しい〜!」

顔をほころばせながら食べる環奈を、圭祐は得意げな表情で眺めていた。

「ねえ、圭祐。このレシピ教えてよ。私も作りたい!」

「ええ…」

環奈がお願いすると、圭祐は口をつぐんでしまった。

圭祐は、料理に限らず、普段から無口であまり自分のことを語りたがらない。

付き合って2ヶ月になるが、大手自動車メーカーに勤めていること、料理が趣味であることなど、大まかな情報しか知らなかった。

年齢は28歳と環奈のひとつ上だが、それ以上に大人びた印象を受ける。

目もとに陰影を作る彫りの深い顔立ちが、影のある雰囲気を醸し出し、その印象をいっそう助長しているように感じられた。

「その肉じゃが、隠し味があるんだよ」

「隠し味?」

「そう。もし何を使っているのかがわかったら、レシピを教えてあげてもいいよ」

環奈は改めてじゃがいもを口に含み、ゆっくり咀嚼するが、さっぱり見当がつかない。

圭祐のほうを覗くと、プイッと知らん顔をされた。

環奈は好奇心を掻き立てられ、隠し味の正体を知りたくてたまらなくなるのだった。


大手化粧品メーカーに勤める環奈は、仕事終わりに、同僚の真衣を連れてバーを訪れていた。

渋谷にある行きつけのお店だ。

― マスターの井口さんが陽気な性格で、気軽に立ち寄れるのよね。

実は、圭祐と出会った場所でもある。

店の隅でひっそりとグラスを傾けていたミステリアスな姿に興味を持って、環奈のほうから声をかけたのだった。




環奈は、カウンター席で横並びに座る真衣に、昨日の夕食での出来事を話す。

「昨日ね。圭祐に夕食を作ってもらったんだけどね…」

肉じゃがのレシピを教えてもらおうとしたものの断られ、「隠し味がわかったら…」と条件を出されたことを伝えた。

「圭祐さん、そんなこと言いそうだわ」

真衣も圭祐とは面識があるため、イメージが湧きやすいのか、すぐに状況を理解したようだった。

環奈はスマートフォンを取り出し、撮影しておいた料理の写真を見せる。

「うわっ、すごいキレイ!めちゃ美味しそう!」

真衣は、昨日の環奈と同じような反応だ。

すると、カウンター内にいるマスターの井口も身を乗り出してきた。

「なになに!どうした?」

井口は、こうして客の会話に加わりたがる。

得意のトランプマジックを強引に披露してくることもあり、ウザいと感じてしまうときもあるほどだった。




「いや、彼氏にね。肉じゃがを作ってもらったんですよ」

写真を井口に見せると「おお、美味そう〜」と感嘆の声を漏らした。

「マスターなら、料理するからわかるんじゃない?」

真衣が、議題となっている隠し味についてマスターに尋ねる。

「なるほど。隠し味ねぇ。オイスターソースとかは?少し使うとコクが出るし」

「う〜ん、残念。それはもう言ったけど違ったんです」

隠し味として利用されるものをひと通り列挙してもらうが、どれも直感的に正解だとは感じられない。

そのとき、スマートフォンを使って調べていた真衣が、何か気になる情報を見つけたようだった。

「これって、環奈の撮った写真と似てない?」

画面を覗くと、肉じゃがの画像が映っている。

「知らない人のインスタだけど」

「確かに、ひき肉を使ってるねぇ…」

他にも、ニンジンや絹さやといった同じ食材が使われているのがわかる。

だが、驚いたのはその盛り付け方だった。

じゃがいもやニンジンの分量、絹さやの添え方、配置の具合などが、圭祐の作ったものと酷似している。シンクロしていると言ってもいいほどだった。

「もしかして。圭祐さん、これを参考にしたってことは…?」

真衣の言うように、単なる偶然の一致とは思えなかった。

「あり得るかも…」

ただ、Instagramのページには、レシピなどの細かい情報は記載されていなかった。

環奈は、Instagramの管理者にDMを送ってみるよう真衣に頼んだ。



『美味しそうな肉じゃがの画像を見ました。私も作ってみたいので、よかったらレシピなど教えて頂けませんか?』

アカウント名に『kaya』という文字列が入った人物へ、真衣がDMを送った。30分ほど経ったところで返信が届いた。

真衣は内容を見て「う〜ん…」と唇を噛む。

『実は隠し味があって…レシピは機会があればインスタに載せますね』

メッセージを覗くと、やんわりと断られていた。

ただ、環奈はその『隠し味』という言葉に注視した。

圭祐と同様のワードを用い、レシピを教えるのを拒んでいる。

2人に何かしら繋がりがあるのではないかという印象がますます強くなった。

― もしかしたら、圭祐の元カノなんじゃあ…。

謎を解き明かすどころか気がかりな要素が増えてしまい、環奈はもどかしさを募らせる。




翌日。環奈は、再び圭祐のマンションを訪れた。

「ふふ〜ん。見つけちゃった」

得意げな表情でスマートフォンを開き、昨日見つけたInstagramの画像を差し出す。




圭祐は何気なく画面を覗くと、眉間に皺を寄せた。

「真衣が見つけたんだ。圭祐の元カノのなんじゃないの〜?」

環奈がカマをかけるように言った。

動揺するかと思ったが、圭祐は表情を険しくするばかりで反応が薄い。

「ちょっと、よく見せて」

スマートフォンを手に取り、凝視する。

圭祐はしばらく眺めたあと「ふぅ」とひとつ息をつき、ためらいがちに口を開いた。

「俺さ、母親がいないんだよね。小学校3年生のとき両親が離婚して、出て行ったんだ」

「え、ええ…」

思いがけない話が始まり、環奈は身構えた。

「母親が料理好きでさ。だから、俺の料理好きは母親譲りなんだ。肉じゃがは、母親から教わった料理のひとつなんだよ」

圭祐は今まで過去を語ることなどなかったため、急な展開に環奈のほうが動揺してしまう。

「小3のあるとき、家で母親が夕食を作ってたんだ。それが肉じゃがで…。俺が作り方を教えてもらってるところに、電話がかかってきてさ。

相手は父親だったんだと思う。話しながら、母親は泣いてたよ。そして、夕食の準備を終えたところで出て行って、戻ってくることはなかった。それ以来、母親に会っていないんだ」

想像もしていなかった過去の話を聞き、環奈としては気の利いた言葉を返したいと思うが、それが見つからない。

部屋のなかに、どんよりとした空気が流れた。




「全部、親父が悪いんだ」

圭祐は、離婚の責任はすべて父親にあるとした。

父親は地元福岡で小さな会社を経営しており、圭祐が子どものころから仕事が忙しく、家にあまり寄りつかなかったそうだ。

家族との関わりが少なく、「たまに家に戻って来ては母親につらくあたるような場面を目撃していた」とのことだった。

「母さんは、限界だったんだと思う」

圭祐としては、母親に非はなく、離婚は仕方ないことだったと認めているようだった。

「離婚したあとは、俺は祖父母の家に預けられることが増えて、父親との関係は薄れる一方だったよ。ほとんど口も利かないまま大学進学で上京してさ。今は福岡に行っても、実家には足を運ぶことはない」

家族との関係性やこれまでの経緯を話し終えたところで、圭祐はスマートフォンを指さした。

「だから、もしかしたらそのインスタの写真は母さんに関係がある人のものかもしれない」

「本人ってことはない?」

「母さんの名前は裕子だから、たぶん本人ではないと思う」

アカウント名から、母親ではないと判断したようだった。

「母さんには兄弟姉妹はいなかったはずだから。もしかしたら、誰かと再婚して、その子どもって可能性があるかも…」

圭祐は、自分の作った肉じゃがと酷似した写真をアップした人物は、母親から作り方を教わったのではないかと考えた。

それほど母親と近しい人物であるなら、家族ではないかと推測したのだ。

「なあ、環奈。その人と、連絡とってみてくれないか?」

接触を図ることで、母親の近況を知ることができるかもしれない。

環奈は、複雑な状況に足を踏み入れてしまったと若干の後悔を抱きつつ、依頼を受け入れた。

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▶1話目はこちら:彼女のパソコンで見つけた大量の写真に、男が震え上がった理由

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【後編】女は、Instagramの人物と会う。そこで、彼の母親の隠された事実が明らかに…