◆これまでのあらすじ
新婚の藤田真弓(38)は、夫の雄介と協力し、自宅マンションの売却活動中。しかし、元カレ・修平が偶然同じマンションに住んでいて、真弓と同じ間取りの部屋を売却中であると判明。対抗すべく、彼と同じ日に内覧会を企画するが…。

▶前回:「夫には見せられない…」自宅ポストに元カレからの手書きメッセージが。衝撃の内容とは?




Vol.12 ローン審査


「ダメだ、電話つながらないや」

雄介が残念にそうに言うので、私は胸をなでおろす。

元カレ・修平が、同じマンションの10階で内覧会を開催している。雄介は、その仲介業者に電話をかけていた。

「真弓、もう直接行ってみる?上の階にあがるだけなんだし」

10階の部屋がどうしても気になるらしい。

― 私だって見てみたいけれど…。

修平に会うのは避けたい。雄介には、同じマンションに元カレが住んでいることは話していないのだ。

「うーん」

私は慌てて考える。

― なら、修平に直接連絡してみようかな。急に行って、変な反応されたら困るし。

手元にある販売チラシには、修平のLINE IDがこっそりとメモ書きされている。

慌てて検索すると、修平のアカウントが表示された。一瞬、迷った。けれど…。

― やっぱり、連絡はやめておこう。雄介に変な心配させたくない。

急に「個人的なツテで内覧できることになった」なんて言っても、怪しまれてしまうだろう。

思いなおしてスマホを置いた、その時。

雄介のスマホから、着信音が鳴った。

「はい。もしもし。ああ、折り返しのお電話ありがとうございます!」

10階の部屋の仲介業者から折り返しが来たようだ。「はい、はい」と弾んだ声で話していた彼は、1分ほどで通話を終えて私に向き直る。

「今からなら、10階を内覧できるって!せっかくだから、真弓も見せてもらおうよ!」

「そうなんだ!よ、よかった」

屈託のない笑顔。

私は複雑な気持ちを悟られないよう、できるだけ明るい声を返す。

― 修平が、部屋にいませんように。

元恋人の不在を、切に願いながら。


雄介はあらかじめ、私たちが同じマンションの住人であることを正直に伝えていたようだ。なので仲介業者とはエントランスで待ち合わせず、そのまま10階の部屋に向かった。

「売主さんは席を外されていて、仲介業者だけで内覧会をやってるみたいだよ」

雄介の言葉を聞いて、ほっと胸を撫でおろしながらインターホンを押す。

「失礼いたしまーす。…わ、うちと全然ちがう雰囲気」

案内されて部屋に入ると、同じ間取りのはずなのに、日ごろ見慣れている自分の部屋とはまったくの別世界が広がっていた。

私の部屋はそれなりにリニューアル済みではあるものの、全体的なデザインは35年前の竣工時のイメージを活かしたもので、温かみのあるブラウンを中心にしたウッディな内装だ。対照的に、修平の部屋はモダンな印象で、ホワイトを基調にした明るい雰囲気だった。

「床はフロアタイル張りなんですね。アクセントクロスもおしゃれ」

「はい、売主様にて今回リニューアルを行ったのですが、お知り合いのデザイナーの方に依頼して全面デザインしていただいたそうですよ。特に水回りはこだわっていらっしゃいます」

仲介担当者の言う通り、水回りも素敵なつくりだった。石張りのカウンターキッチンや、ゆったりとしたバスタブなど、要所でお金をかけたことがうかがえる。

そして覚悟していたことだが、さすがに10階だけあって、4階の私の部屋よりも眺望が良い。目の前が開けているので空がよく見えて、夕方なのに暗い雰囲気を感じさせなかった。

「素敵なお部屋ですね…」

思わずため息をついた瞬間。

ガチャリ、と玄関の扉が開く音がした。




「お疲れさまでーす…って、すみません。まだお客様いらっしゃったんですね!」

大きな声で部屋に入ってきたのは…修平だった。

私を見ると意味ありげに微笑んできたので、思わず目を逸らし、無言で会釈をする。

「売主様ですか。すみません、ギリギリに連絡してお邪魔してしまって。見学させていただいています」

何も知らない雄介が丁寧に頭を下げると「興味を持ってくださってありがとうございます」と…修平は、一瞬値踏みするような目線で雄介を眺めた。

「雄介。もう一通り見せてもらったし、そろそろ行こう」

この場にいるのに耐えられなくて、雄介に耳打ちする。

「素敵なお部屋を見せていただいて、ありがとうございました」

なんとか笑顔をつくると…私は逃げるように、その場を後にした。




「いやー、カッコイイ部屋だったなぁ」

帰宅すると、雄介は感慨深げにため息をついた。私も「たしかにね」とうなずく。センス良く整えられたスタイリッシュな修平の部屋は、目の肥えたDINKSカップルにも刺さりそうな気がする。

「同じ間取りなのに、壁や床の素材を変えるだけであんなに印象が違う仕上がりになるなんて、不思議だよな〜。あ、もちろん真弓の部屋も大好きなんだけどさ!俺はこっちの雰囲気の方が、落ち着くんだよな〜」

「雄介…なんか、ありがとね」

今日内覧に来た人からは、修平の部屋の影響を感じさせるコメントをたくさん聞いてきた。

― やっぱり、修平の部屋はそんなに素敵なんだろうか。修平の部屋よりも、私の家はダメなのかな…。

うっすらと、そんなふうに思い始めていた。

だからこそ、前向きな雄介の言葉に、少し救われたような気持ちになる。

その時…。

自分のスマホが鳴っていることに気づいた。ふと手に取り「新着メッセージ」と表示されたLINE通知を確認する。

『Shuhei:俺に直接連絡してくれればよかったのに笑』

― え、修平?なんで私の連絡先、知ってるの?

表示された文字に、思わず目を疑った。


― 彼と別れた時、気持ちを断ち切るために連絡先は変えたはずなのに、なんで…。

恐る恐る修平とのトーク画面を表示する。すると信じられないことに、彼のメッセージは数分前『ID追加してくれてありがとう。チラシに書いてみたけど、真弓には無視されると思った』から始まっていた。

― さっき、ID検索しただけのつもりだったのに。間違えて友達追加しちゃってたんだ。

自分のミスに、頭が痛くなってくる。

修平のことはもう好きではないし、結婚した今、なんの気持ちもない。それは明らかなのだ。

ただ…接触すると、胸が苦しくなる。婚約破棄に至るまでの長い恋愛が思い出されるのだ。好きだった時の幸せな気持ちと、期待が裏切られた時の絶望とが複雑に混ざり合って、言いようもない感情が胸に渦巻く。

『真弓:お邪魔しました。ありがとうございました』

短い言葉を事務的に送るので精いっぱいだった。

彼から追加でメッセージが届いた音がしたが、見ないままトーク画面ごと消去する。

― 早くマンションを売却して、修平とも関わりを絶とう――。

静かに、改めて決意を固めていた。




「内覧したお客様のうち1組が、購入申し込みを検討している」と新堂さんから連絡を受けたのは、5日ほど経った後だった。

「最初に内覧された、30代のカップルです。内覧直後は、あまり前向きな雰囲気ではなかったのですが、その後お2人で話し合われたとのことで」

新堂さんによれば、2人は入籍こそしていないそうだがプロポーズ済みで、両家挨拶と入籍の日取りを調整している状態だという。できるだけ早く新生活を始めたいと、入籍と同時に新居の購入も検討しているのだそうだ。

「10階も良い印象だったようですが、200万円の値引きも踏まえると藤田様のお部屋が割安だと判断されたようです」

内覧会にあわせて値引きの情報を流したのが良かったらしい。新堂さんも弾んだ声だ。

「資金はペアローンを検討されています。お2人とも誰もが知る大手優良企業にお勤めですから、審査については問題ないと思うのですが…。入籍前でもあるので、念のため仮審査だけでも行っていただくようにご案内しています。特に奥様は外国籍の方なので」

「あ、外国の方だったのですね」

ふと内覧の時の様子を思い出す。日本語を話されていたので気づかなかったが、新堂さんによれば、日本の生活は長いものの国籍は持っていないそうだ。

「お勤めの会社がきちんとしているので、おそらく問題ないはずです」と新堂さんが言うので、前向きな気持ちでこの時は通話を終えた。




けれど…。

半月後。会社からの帰りに、私はとぼとぼと暗い気持ちでマンションのエントランスを歩いていた。

― 結局、ダメだった…。

外国籍の女性には、満額ローン審査が下りなかったらしい。3割を自己資金としてほしいというのが銀行の要望だったという。

諸費用も込みで約8,500万円を、半額ずつペアローン。3割となると約1,300万円だ。

「結婚式やハネムーン、新生活にもいろいろとお金がかかる中で、すぐにキャッシュで1,300万円を用意するのはやはり難しかったようで…」

新堂さんは、他の銀行もいくつか斡旋したようだ。だが、割合は違えど、どこも一定額の自己資金を求めるところばかりだったという。

結局、2人はマンションの購入自体を見送り、まずは賃貸で生活を整えることにしたそうだ。

「真弓?なに暗い顔してるんだよ」

オートロックキーに鍵をかざしていたところで、背後から声をかけられた。

イヤな予感がしつつ振り向くと…そこには、修平が立っている。

「マンションが売れなくて悩んでるの?相談乗ろうか?」

「別にいいです」

「いいの?これでも俺、不動産投資は結構長くやってるんですけど。てか、なんでLINE返してくれないの?冷たくない?」

同じ動線なので、残念ながらエレベーターホールまで一緒に歩くしかない。馴れ馴れしく話しかけてくる彼にできるだけ冷たく言葉を返すが、なぜかいっそう絡んでくる。

「真弓…おい、聞けってば」

いきなり、ぐっと腕を掴まれる。驚いて振り向くと、修平が真剣な目でこちらを見ていた。

「俺、後悔してるんだよ。昔のこと…。悪かったと思ってる。正直、未練があるんだ。真弓が結婚してるのはわかってるけど…」

「は?」

そう言ったのは、私ではなかった。

今朝、出かける前にも聞いた声――大好きな人の、その声だ。

恐る恐る振り向くと…。

無表情の雄介が、そこに立っていた。

▶前回:「夫には見せられない…」自宅ポストに元カレからの手書きメッセージが。衝撃の内容とは?

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よかれと思って雄介に隠してきたけれど…修平とのことがバレた結果は?