早大に合格したときが人生のピークだった29歳男。ブラック企業に就職以来、人生が狂い…
◆これまでのあらすじ
顔だけのダメ男・直人と高校3年のときから11年付き合って別れた杏奈。かつて自分が振った男性たちがエリートになっている姿を見て、デートを重ねるが散々な目に遭ってばかり。
一方、杏奈と別れて半年が経ち、直人は…。
▶前回:気になる男性が既婚だと知った29歳女。でも、彼に会いに行き、ある“お願い”をしたら…
Vol.11 旅の終わりのその先に ―元カレ・直人の現在地―
“お久しぶり、直人です。
今日、日本へ帰国しました。杏奈は元気かな?
僕は1週間ほど東京に滞在した後、地元に戻るんだ。だからもし──”
ここまで書いた手紙を、僕はクシャっと丸めてゴミ箱に投げ捨てた。
― なんだよ、この内容は。軽く見せているけど、未練たらたらなのがバレバレじゃないか。
机の上で頭を抱え、煩悶する。
だが、未練があるのは事実だから仕方がない。開き直り、ふたたびペンをとった。
テーブルランプだけがともされた、薄暗いグランドハイアットの部屋にひとり。今の僕は、改めて自分自身の気持ちと向き合っている。
彼女…杏奈にフラれてから、いつのまにか半年以上たった。
別れの理由は、僕の身勝手。
海外渡航を決心し、日本を出ようとした直前に「海外に行くよ」と杏奈に初めて告げたのだから、愛想を尽かされるのも当然だ。
いつものように笑顔で送り出してくれるはず、と、勝手に思い込んでいたけど…。
その後どんなに追いすがっても、渡航を取りやめると言っても、杏奈の気持ちは翻ることはなく、結局、半ば傷心旅行のような形で日本から旅立つことになったのだった。
とはいえ、旅は思っていたとおり──いや、思っていた以上に有意義なものになっている。
訪れたのは、ずっと憧れていたインドをはじめ、中国、モンゴル、東南アジア。西アジアや中南米にも足を延ばし、見るもの触れるものすべてが刺激的だ。
…でも、そんな中でも、杏奈のことを忘れた日は一日たりともなかった。
そりゃ、好きで11年も交際していたんだ。そう簡単に忘れられるものじゃない。
「やっぱり、諦められないな…」
ふと窓から、東京の夜景を眺めた。
この灯の中のどこかに、彼女がいる。
そう思うだけで、不思議な力が湧いてくるような気がするのだった。
僕が今回帰国したのは、単純に仕事の関係だ。
YouTubeやTikTokで配信していた僕の旅の様子がバズったことをきっかけに、ビジネスに繋がる誘いが多数舞い込んだのだ。
どうやら僕のスパイスマニアぶりは、昨今のスパイス料理ブームもあいまって、想像以上に各方面からの注目を集めたらしい。
「スパイスが“来る”」という世間の風潮は、国内にいるときから感じていた。だからこそ、さらにスパイスを探求したいと考え、渡航を決めたのだ。
SNSでインフルエンサーのような立場になったのも、偶然ではない。研究と計算を重ね、ここまでたどり着いた。
そして、行くべき国を一通り周ったことをきっかけに、日本に帰って次のフェーズに入ることを決心したのだ。
旅の途中でも業者やマスコミにはオンラインで対応していたが、やはり国を跨いで移動しながらだと不便な面も出てくる。
スパイスのプロデュース業や、飲食店の開業、書籍の執筆……やりたいことは山ほどある。
そんな現在、公私ともに助けられているのが、高校時代の友人たちの存在だ。
県内有数の進学校だったこともあり、同級生たちは今、さまざまな分野で輝かしい活躍をしている。
なかでも、レストランやバーの経営者である高濱には、特に手厚く飲食店開業に向けてのアドバイスをしてもらっている。それから、商社勤務で東南アジア地域に駐在経験のある古野からは、現地でコーディネーターを紹介してもらった。
会っていない時期も長かったが、皆コンタクトをとれば二つ返事で協力をしてくれるのがありがたかった。
昔の友人は、僕にとってはまさに宝だ。これからも大切にしていきたいと思う。
だけど、高濱から杏奈の近況を聞かされた時は、思わず動揺してしまったっけ。
『直人。そういえばこの前、ウチの店に杏奈さん来たよ』
先日、高濱とチャットでミーティングをしていたら、終わり際に急におまけのように告げられたのだ。
渡航前、「カノジョをよろしく」と高濱に本音半分、冗談半分で言ったことを、律儀に守ってくれているということらしい。
僕の懸念どおり、彼女は別れてからさらにモテモテになったようで、同窓会的なパーティーでは多くの同級生たちにデートに誘われていたようだ。
「当然だよ。あんなに可愛くて一生懸命で純粋な子、他にいないからな」
杏奈は高校時代から、僕にとって手の届かないような高嶺の花だった。
いつも代わる代わる色々な男子生徒に囲まれていて、皆に「姫」とよばれていた。
そもそも僕ごときが気軽に話しかけられるような相手ではなかったのだ。
「杏奈さんに誰かが告白してフラれた」
あの頃は毎日のように、そんな話題を耳にしていた。こっそり彼女に思いを寄せていた僕は「いっそ誰かと彼女が交際してくれれば諦めがつくのに」なんて、つまらないことを考えていたものだ。だけど杏奈は、誰にもなびくことがなかった。
そして、高校3年生になった時。
第一志望は早稲田でありながら、実際はMARCHでも微妙なレベルという学力で燻っていた僕は、勉強に本腰を入れるためにある願掛けをしたのだ。
「もし早稲田に合格したら、杏奈さんと交際できる」。
根拠のない願いだけれど、いずれにせよ卒業前には玉砕覚悟で告白することを決めていたから、その意志に乗じたようなものだ。
僕はこの上なく勉強に励んだ。一日12時間は机の前にいた。
そして、頑張りの甲斐あってめでたく早稲田大学の社会学部に合格し…一か八かで挑んだ杏奈への告白も、見事に成功したのだった。
こうして振り返ってみると、高校3年生の2月は、まさに僕の人生のピークだったといえる。
以降の日々は…そんな幸運のありがたみをいつのまにか忘れ、あぐらをかいていたことは否めない。
彼女と交際していた11年は、夢のような生活だった。
一緒に過ごす時間が楽しすぎて、杏奈だけが僕の全てになっていた。
デートを優先して、バイトや試験をすっぽかすことも珍しくないくらいに。
卒業後は一緒に住み始めた。さらにバラ色の生活が始まる…はずだった。
だけど、新卒で入社した会社は、あまりにもブラックで…。深夜残業は当たり前。週に休みは1日。パワハラも日常茶飯事。
その結果僕はストレスのあまり、ギャンブルや酒などの現実逃避に走ることになった。
杏奈も仕事で忙しそうだったので、その時の苦悩は知らないだろう。
「辛い」だなんて一言も、杏奈には漏らしたことがない。ダサいと思われるのが怖かったし、なにより迷惑をかけたくなかった。
どんなことがあっても、杏奈はいつも笑顔で一緒にいてくれたから。
むしゃくしゃするようなことがあっても、隣に杏奈がいてくれれば癒やされた。
酒や博打に溺れても怠けていても、優しくされることに慣れてしまっていた。
でも…それに甘えていたら、このザマだ。
“突然の渡航宣言”はただのきっかけで、以前から杏奈は、そんな僕に不満を溜め続けていたのだろう。それがついに、爆発しただけ。
僕は完全に、甘えていたのだ。杏奈というかけがえのない存在に。
「別れよう」と言われたとき、僕は冷や水をかけられたような気持ちだった。
そして、同棲を解消し、別れが現実であることを実感した瞬間から、生まれ変わることを決意した。この経験を無駄にしないため、杏奈に相応しい男になるための戦略を立てる。
― 絶対に、新しい自分に生まれ変わるんだ。
旅先では死の覚悟すらし、秘境や未開の地へ行った。もちろん事前準備や計画は万全にして。未知なる味、発見、そして自分自身を求めて旅を続けた。
それでやっと、自分の生きる道を見つけることができたのだ。
多くの人と出会い、経験する中で、わかった。杏奈に甘え、頼り切っていた自分の愚かさ。
だからこそ、僕はもういちどリベンジすべく、彼女に伝えたいのだ。
生まれ変わった僕自身を。なによりも、杏奈への変わらない気持ちを。
― でも…やっぱり傲慢かな。自分の勝手で一方的にフラれたのに。まるでストーカーじゃないか。
杏奈に一番に伝えなくちゃいけないのは、謝罪の言葉なのかもしれない。もしも自分の想いを伝えられるとしたら、その次だ。
だけど、杏奈は僕の気持ちを聞いてくれるだろうか?手紙やメールなら、高濱を通じて受け取ってもらえるだろうか?それともやはり、直接言うべきなのか?でも、どうやって…?
手紙を書いては丸め、メールを打っては消す。
男子高校生のような煩悶を繰り返している自分は、最高に情けない。僕の恋愛偏差値は、彼女と交際する11年前で止まったままだ。
こんな自分は、「成長した」と胸を張って杏奈に言えるだろうか。
中途半端なままで再会したとしても、同じことを繰り返すような気がした。
すると、その時。
「うわっ」
手の中のスマホが、ふいに振動した。
時刻は現在22時。
何かただ事ではない予感がして、画面を見る。
煌々と光る画面は…信じられない相手からの着信を告げていた。しかし、3コールもしないうちに、その振動は収まる。
― きっと、間違いに違いない…よな。
かけ直したい気持ちがあったが、必死で押し殺す。
その臆病さこそ、自分がまだ胸を張って彼女の前に現れる状態でないことを物語っていた。
▶前回:気になる男性が既婚だと知った29歳女。でも、彼に会いに行き、ある“お願い”をしたら…
▶1話目はこちら:高校の同窓会。さえなかった男たちのハイスペ化を見た29歳女は…
▶Next:2月6日 火曜更新予定
次回最終回。直人と杏奈は再会し、リベンジできるのか…!?