愛おしい人といるときは、何気ない時間が特別なものに変わる。

そして、2人の時間をよりスペシャルなものにしてくれるのが、ワインだ。

ワインには、香りと舌の記憶とともに一瞬を永遠に留めてくれる不思議な力がある。

今宵も、ボトルの前に男と女がいる。

長い年月を経て、このテーブルに辿り着いたこのワインのように、とっておきの物語が紡がれる。

▶前回:4年付き合った彼氏に、年末にフラレた28歳女。元彼が“タグ付け”された画像を辿っていくと…




Vol.10『ワインの良さがわからない』永山結愛(27歳)


「高輪ワイン会」と呼ばれている3ヶ月に1度の食事会に、永山結愛が参加するようになって1年が過ぎた。

結愛は、27歳で外資系のチョコレートメーカーで営業をしている。

「永山さんみたいな絶世の美女がいると、場も華やかになるからさ」

取引先の年上男性からセクハラとも受け取られるような言葉で誘われ、仕事のことも考えて断ることもできなかった。

その食事会には年齢はバラバラの男女が10人ほど集まり、数々の名作ワインを嗜みながら、料理に舌鼓を打つ。

しかし結愛は、この会を楽しいと思ったことはない。

ワインの良さやうん蓄を語る男性陣にも、それをひたすらに持ちあげる女性陣にも馴染めなかった。

そもそも結愛にとってワインは、どれもすべて同じ。

多少の味の違いは判断できるものの、「樽味」とか「スモーキー」とか「コショウの香り」とか細かい差異になると、もうお手上げ。

― ワインにコショウが使われてるの?

なんて純粋に思ったりもした。

かといってワインが嫌いなわけではない。

むしろアルコール類、いや、すべての液体の中でもっとも好きなものだ。

― ただ美味しく飲めればいい。

それが結愛のワインへの姿勢だが、なぜか共感してもらえない。

ゆえに高輪ワイン会には惰性で出席し続けているだけで、参加メンバーと仲良くなることはなかった。

しかし、今夜は違った。

偶然にも自宅が近くて、帰りのタクシーを相乗りした上井翔馬に言われたのだ。

「もしよかったら、飲み直しませんか?」


アウトドアのアプレルブランドで広報を担当しているという5つ年上の翔馬は、明らかに過去にスポーツをやっていた体格で、背も高く、端正な顔立ちだった。

― まちがいなくモテるよね…。

結愛は初対面のときから、そう思っていた。

実際、二軒目の誘い方もスマートで、断るほうが難しい雰囲気を醸し出していた。

だからこそ結愛は不思議に思う。

「どうして、私のこと誘ったんですか?」

恵比寿3丁目交差点近くのバーに入ると、さっそく翔馬に聞いてみた。




店のオススメのお酒を飲みながら翔馬は答える。

「結愛さん、ワイン会ですごくつまらなそうな顔をしてましたよね?

ワインなんて興味がないんでしょ?」

図星ではあった。ただ仕事関連の食事会である。ここでワインに興味がないと肯定すると、何らかの影響があるかもしれない。

だから、どうやって答えるべきかと結愛は悩んだ。

口ごもった結愛に助け舟を出すように、翔馬は言葉を重ねる。

「僕は、モノの良し悪しっていうのがわからないんですよね。自分が好きなものでも、他人が同じように思っているか不安で…。

どうして、みんな『好き』とか『嫌い』とか『このワインは美味しい』とか『このワインはまだ若くて渋い』とか断言できるか、不思議で仕方ないんですよ。

結愛さんを見ていると、なんか、僕と同じようなことを考えているんじゃないかと思って、それでお誘いしてみました」

「そ、そうなんです!」

結愛が慌てて出した声は少し大きくなった。

「ワインだけじゃなくて、私、流行りの音楽とか…ピンと来ないんです…。

SNSで絶賛されている映画を見ても、何がどう面白いのか、わからなくて…。

いや、面白いんですよ?面白いんですけど、それを言ったら世に出てる映画なんて、私にとってみれば、全部面白いです。

つまらないとか言われている作品との差がわからないんです」

翔馬は笑いながら大きく頷きながら言う。

「そうなんです、そうなんです。だから僕はワインの良し悪しを言われても、全然わからなくて」

「私もです!」

結愛と翔馬は瞬く間に意気投合した。



店オススメのお酒が3杯目に突入するころ、結愛はすっかり酔っていた。

翔馬とは考えていることが本当に似ていて、それゆえ話しやすい。

かなり饒舌になっている自分に気づきながら、結愛は会話を楽しんだ。

「私ってたぶん、自分の評価軸を信用してないんです。

これが好きだ!って情熱を傾けるものだってないし…。

恋愛でもそうなんです」

「恋愛でも?」

翔馬が絶妙のタイミングで聞き返してくる。

「はい。相手を『好き』って感覚はあるんです。

でも『愛している』という感覚があるかと言われると、ピンと来なくて…。

周りの女友達の恋愛話を聞いても、どうしてカレにそこまで情熱的になったり、嫉妬できたりするのか、わからないんです。

なんか嫌みでもなく、そういう人たちが羨ましいんです」

「たしかに、そうですね。僕もそうかもです」

「男性って結構、好きなモノを熱く語る人って多いじゃないですか。さっきのワイン会でうん蓄を語ってみたりして。

私、そういうの本当に『羨ましい』と思って、素直に『すごい』とか口に出すんです。

そしたら聞き上手だと誤解されて、男性から好意を持たれるんです。

好意を持たれることって悪い気がしないから、そのまま付き合うこともあって…。あ、あのワイン会のメンバーとはないですよ。

でも自分に軸がないし、好きなモノもないし…ようは私、つまらない女なんです…。結局、最終的には飽きられて、フラれるんです。

私の恋愛、ずっとそんな感じで」




初対面の男性に言うべき話ではないと自覚しつつも、もう二度と会うこともないだろうから、と酒の勢いで結愛は本音をぶちまけた。

「えっ、それ、めちゃめちゃわかります…。俺もまったく、そうなんです」

翔馬は少し興奮気味に話した。

「僕の自分に軸がないから、女性に好意を持たれても、すぐに飽きられるんです。

客観的に分析してる自分が情けないですけど。

まさか結愛さんも同じことで悩んでいるなんて…!」

こうして結愛と翔馬の意気投合レベルがぐんと上昇した。


「あともう1杯」「あともう1杯」を続けるうち、店オススメのお酒をそれぞれ6杯ずつ飲んでいた。

これだったら最初からボトルで頼んだほうが良かったかもしれない。

すっかり酔いが回っている翔馬は、学生時代の話を始めた。

男女関係になった途端になぜか昔話を始める男性は多いが、そういう関係でなくても酔いが回ればするものである。

それが嫌な女性も多いが、自分に軸のない結愛は嫌ではない。

心の底から「そうなんですね。すごい」と相づちも打てる。

「僕、バスケ部だったんですよ」

「ああ、やっぱりそうですよね。スポーツやられていると思いました。いつからやっているんですか?」

「バスケ、好きなんですよ、バスケ」

「翔馬さん、バスケ部っぽいですよね。よく言われません?」

「映画の『スラムダンク』見ました?この前のワールドカップ見ました?」

結愛は嫌な予感がした。

完全に酔っているらしい翔馬は、会話のキャッチボールが怪しくなっている。




そこからは怒涛だった。

映画の『スラムダンク』がいかに素晴らしいか。そもそも原作漫画がいかに偉大か。ワールドカップがいかに感動したか。

翔馬は、結愛のリアクションなど気にせず、一人語りを始めた。

いつも他の男性にするように「すごいですね」とにこやかに返事を続けることもできた。

実際、本当に「すごい」と思える話ばかり翔馬はしている。

でも、結愛は落胆していた。

― 翔馬さん「僕と結愛さんは似てますね」と言っていたけど、全然違うじゃん。

好きなモノがない結愛と違い、翔馬には情熱を傾けるモノがあるではないか。

結愛は、むしろ翔馬が羨ましかった。

世界中でただ一人、自分だけが「好きなモノ」がない人間かもしれないと思い、悲しくもなった。

― どうして、みんな「好きなモノ」があるの?

店オススメのお酒は6杯目で終わりにした。

自分の好きなことを語り尽くした翔馬は、どことなく晴れ晴れとした表情で帰っていった。




帰宅後、すぐに翔馬からLINEが届き、結愛はデートに誘われた。

結愛は、最初は翔馬には他の男とは違うものを感じた。

だから、仮に恋愛関係に発展したとしても、今まで失敗してきた恋愛とは違ったものになるではないか、と期待した。

でも結局、翔馬も向こう側の人間で、ごく一般的な男性だった。

― デートに応じたとしても、聞き上手だと誤解されて、好意を持たれて、付き合って、最終的にはフラれちゃうんだろうな…。

結愛にはいつもの未来が見えた。

ソファに横たわりながら、どんな文面で誘いを断ろうかと考えていたが、酔っていたこともあり、面倒になる。

結愛はLINEを閉じって、通販アプリを開く。

気づけば結愛はランブルスコを探していた。

さっきまで翔馬と一緒にいた店で、オススメされて6杯も飲んだお酒。

赤いスパークリングワインだということは店の人から聞いていたが、アプリを見ると、どうやらイタリアのロマーニャ州のワインで、ブドウの品種の名前がランブルスコらしい。

ランブルスコにも様々な種類のものがあると知る。

「あれっ?」

思わず結愛は声が漏れた。

ワインは美味しく飲むだけで銘柄の違いなんてわからなかったのに、ランブルスコだけは興味が湧いて調べたり、自宅用に買おうとしている。

例のワイン会で様々な高級ワインを飲んできたが、今夜のバーで飲んだラブンルスコは初めて「何度でも飲みたい」と思えたものだった。

本当に、本当に、美味しかった。

そして唐突に悟りを開いたかのような気分になる。

― もしかしたら、今のこの気持ちが何かを好きになったり、情熱を傾けたりすることのできる最初の一歩だったりする?

いや、きっとそうだ。そうなのだ。

「もしかしたら…」という気持ちが大事なのだろう。

改めて翔馬からのLINEを読み直す。

『今夜はお会いできて嬉しかったです。楽しかったです。

でも最後は僕一人が楽しんだ感じになってしまい、申し訳ないです。少し飲み過ぎてしまいました。

でもラブンルスコって本当に美味しいですよね。好きになりました。

ランブルスコに合う料理ってどういうものがあるのかわかりませんが、僕なりに調べてみるので、ご一緒しませんか?』

断るつもりだった結愛だが考えを改め、返信した。

『ぜひ、よろしくお願いします!』

もしかしたら、翔馬のことを好きになるかもしれない。

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