別れて半年経つけど、元カレが忘れられない女。意を決して男友達に頼んだコトとは
◆これまでのあらすじ
顔だけのダメ男と別れたばかりの残念美女・杏奈。かつて振った男性たちがエリートになっている姿を見て再アタックし始めるが、嫌な目にあってばかり。同級生が結婚や妊娠というステップを順調に踏んでいる中、孤独を感じた杏奈は…。
▶前回:ダメ男な元カレに、20代を全て捧げた女。30目前での婚活が不調で、恨みを募らせた女は…
Vol.10 迷走の末の答え
高濱がオーナーをつとめる池尻のダイニングバーは、杏奈が住むマンションのほど近く、246号線玉川通り沿いの雑居ビル4階に入っている。
高濱は他にも何軒かの飲食店のオーナーをしていることもあり、常時店に出ているわけではない。
だから、白倉とのデートの後たまたま彼と会えたのは、杏奈にとっては奇跡のような出来事だった。
杏奈は、麻沙美といた恵比寿から歩いてここまでやってきた。距離にして2.5kmほど。その疲れなのか、寒さなのか、それとも別の理由なのか、店の前に立つ杏奈の身体は震えていた。
― もし、奇跡がもう一度起こるなら…神様、今起こしてください!
そう覚悟を決めて店の扉を開く。
「いらっしゃい…お、どうしたの?」
「嘘…!」
入るなり、迎えてくれたのは、まぎれもない高濱本人だった。
杏奈は目を潤ませながらじっと見つめる。きっとこの人なら、自分の我儘を優しく受け入れてくれるだろう、と確信を持った。
高濱は既婚者であるが、杏奈の身を心配して未だにお姫様扱いをしてくれる、貴重な存在なのだから。
「おひとり様かな?」
「うん。でもね、今日は高濱くんに会いに来たの」
「…僕に?」
「ちょっと、お話、いい?」
杏奈の意味ありげな視線に何かを感じたのか、高濱は杏奈を他の客やスタッフから死角となる店の奥のカウンター席へ誘導する。
「ど、どうしたの。また何かあった?」
「今日来たのは…この前、色々話を聞いてくれてありがとう、ってお礼と」
「お礼と…?」
杏奈の顔を覗きこむ高濱の喉仏が、ごくりと鳴る。緊張感が二人の間を包んでいた。
そして、意を決したように杏奈の唇がゆっくりと動く。
「直人の連絡先、教えてくれないかな」
「…えっ!?な、直人の?」
高濱はその言葉にポカンとしたような顔で固まった。
「別れた時、連絡先、消しちゃったの。どうしても彼ともう一度会いたくて」
「あ、ああ、そうなんだ」
「ごめんなさい。今さらこんなこと、本当に情けないと思ってる」
「かまわないけど…なんだてっきり、僕──」
高濱は顔を赤くし、珍しく動揺していた。どうやら、杏奈の様子がおかしかったので、改めて自分に言い寄るためにやって来たと勘違いたようだった。
「安心して。高濱くんには奥さんとお子さんがいるじゃない。知ってるでしょ?私、自分のことを一番にしてくれる人じゃないと嫌なんだから」
「はは。考えてみたらそうか。杏奈さんはお姫様だからね」
おどける杏奈の言葉に対し、高濱の態度はまだぎこちない。
いつもはクールな高濱だが、顔を赤くして照れていることが衝撃だ。今まで何をしてもダメだったのに、なぜこうも態度が変わるのか。
高濱は言葉を続ける。
「ごめん。恥ずかしいけど、もしかして杏奈さんに好意を持たれてるのかも…なんて、思いあがっちゃってたみたいだ。…いや、もちろん、家族への気持ちは変わらないけど」
リップサービスなのかもしれない。けれど、言い訳がましく慌てふためく高濱の姿はどこか滑稽だった。
いっとき好意を持っていたのは事実だとしても、高濱をここまで動揺させてしまったことに、杏奈はほのかな胸の痛みを感じる。
高濱は、魅力的な男性だ。あの頃、もしも直人より先に告白されていれば、そのまま高濱と交際に発展していた可能性もある。
色々と逃した魚たちを見てきたけれど、「もっと早く魅力に気づけばよかった」と心の底から後悔する相手は、高濱だけだった。思わず、杏奈の唇から本音が漏れる。
「もっと早く、高濱くんのこと知りたかったな」
だが、それを聞いた高濱は大きく首を振った。
「いや、もしもあの頃から親しくなれていたとしても、当時の僕は杏奈さんと釣り合うような男じゃなかったよ」
「…え?そんなことないと思うけど」
確かに、派手な直人の影に隠れて目立ってはいなかったものの、高校時代の高濱も十分に格好良かったことは事実だ。
疑問に思った杏奈が首をかしげると、高濱は、自らに言い聞かせるように語り出す。
「ま、今だって魅力があるのか、って言われたら疑問だけど…。もしあるとしたら、妻のおかげなんだ」
聞けば高濱は、直人がそうであったのと同じように、ルックスは良くとも自分に甘い部分があったという。
大学時代は、遊びに明け暮れたせいで就職に失敗。新卒入社を逃した高濱は結局、バイト先の飲食店に頼み込んで、社員登用をしてもらったのだそうだ。
「社員になって2年くらい経ったころかな。このままのんびり過ごせればいいやって思い始めてたときに、同じ店で働いていた彼女が、もっと上を目指せるって背中押してくれたんだよね。それが、今の妻」
お互いの貯金をはたいて独立開業し、最初は苦労こそあったが、店は徐々に軌道に乗っていった。
それだけでは飽き足らず、新業態に挑戦したり、大手へ店の売却などを経て、現在に至るという。「僕の隣には、いつも妻がいてくれたんだ」と、嬉しそうに高濱は語った。
「なんですか、ノロケですか」
「うん。ダメ人間だったけど、妻が僕を育ててくれたんだよね」
迷わず答える高濱の笑顔は、キラキラと輝いていた。
そんな高濱の様子を見た瞬間、杏奈の胸に、数えきれない色鮮やかな記憶が溢れ出す。
それは、直人と一緒に過ごした10年間の思い出。極彩色の記憶の渦とともに、激しい痛みを伴う後悔も押し寄せる。
杏奈は、瞳を潤ませながら思った。
― どうして私は、こんなふうに直人の背中を押してあげられなかったのかな。
新卒で第一志望に就職することができ、充実した日々を過ごしていた杏奈。
入社3年後には念願の広報部にも異動が叶い、“美しすぎる広報”としてお姫様扱いされる毎日だった。
だが、直人はというと…。
最初に入った会社を多忙すぎることを理由に辞め、その後は現実逃避するかのような生活をしていた。
杏奈の前ではいつも明るく、優しくしてくれていたが、もしかすると内心は苦しかったのかもしれない。
表に見える部分だけでなく、内面に深く寄り添ってあげていたら、直人もそのまま真っ当な道を進むことができたのかもしれない。
今思えば、直人との毎日はいつだって楽しいことに目を向けてばかり。本音でぶつかり合ったり、真剣な悩みを打ち明けあうようなことは、杏奈の方から避けていたように思う。
「直人は、私といたからダメになったのかな…」
杏奈がつぶやくと、高濱はすぐに否定した。
「いや。杏奈さんにはたくさん救われていたと思うよ。でも心配しないで。今はちゃんと仕事も頑張っているようだし、借金も全部返しているだろうから」
「仕事って…YouTuberのこと?」
「うん。かなりいい線いってるみたいだよ」
高濱の話によると、どうやら直人は現在、スパイスに特化したYouTuberとしてかなりの成功を収めているらしい。
レシピ動画は100万回再生を超え、大手食品メーカーとのコラボなども引く手数多。飲食業界では注目の存在だという。
「え!そうなの!?」
「YouTubeは以前から開設していたみたいだけど、半年前くらいに本腰を入れたみたいで急に面白くなったんだよね…杏奈さんはてっきり知っているとばかり」
半年前とは、直人が旅に出ると宣言した時期だ。別れをきっかけに飛躍したようにも見える。
― もしかして、私が疫病神だった…?
罪悪感なのか、やるせなさなのか、またしても自分の無力さを痛感する。
「…あーあ。今日は直人の連絡先を聞きに来るだけのつもりだったけど、やっぱり飲んじゃおうかな。ウォッカとか」
自暴自棄になりかける杏奈に、高濱はショットグラスを差し出した。中にはウォッカではなく、直人の連絡先メモを入れて。
「杏奈さんに本当に必要なのは、ウォッカじゃなくてこっちでしょ。君たちはお似合いのカップルだよ。似た者同士だし」
差し出されたショットグラスを前にして、杏奈はしばらく手を伸ばせないでいた。
◆
静かな家に帰り、心を落ち着かせるためにお香を焚く。
漂うシナモンの香り。これは、直人が知り合いのインド料理屋さんからお土産にもらってきたものだ。
あまり好きな匂いではなかったが、懐かしくて、クセになる感じ。まるで直人のようだと思う。急にこの香りが恋しくなってクローゼットの奥から引っぱり出したものの、こんなに苦しくなるのなら焚かなければよかった。
「直人…」
お酒が好きになったのも、インド映画が好きになったのも、直人の影響であることは否めない。
人生で心から愛した、唯一の男性。それが直人であることを実感する。
― 私が本当に『逃した魚』って、直人だったんだ…。
杏奈はひとりの部屋で、直人の思い出の数々を胸に抱いた。
直人の顔が思い浮かぶたびにさらに胸が締め付けられる。
高濱は似た者同士だと言っていたが、そんなことはない。
何もかも中途半端でダメな自分に、直人はもったいないくらいの人だった。直人はクズなんかではなかった。つまらない価値観に直人を嵌め込む自分こそが、ずっと直人の成長を妨げていた。
「ごめんね、直人…」
高濱から受け取った直人の連絡先の紙を、杏奈はじっと見つめる。
そしてシナモンの香りのなか、ふたりの思い出ごと握り潰すようにクシャクシャにして、ゴミ箱に捨てた。
▶前回:ダメ男な元カレに、20代を全て捧げた女。30目前での婚活が不調で、恨みを募らせた女は…
▶1話目はこちら:高校の同窓会。さえなかった男たちのハイスペ化を見た29歳女は…
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一方、その頃直人は…。悠々自適に過ごす彼の現在地。