◆前編のあらすじ
大手派遣会社に勤める岸本優大(28歳)には、大学からの友人、和人と穂香がいた。卒業から5年、穂香と交際を始めるも、デート中の居眠りが気になり和人に相談。興味のありそうな格闘技の試合を観戦するが、その最中にも居眠り。配信の視聴者から「可愛い」と持てはやされ…。

▶前回:「こんな子だったの?」交際後に発覚した彼女の“あるクセ”。28歳男は心底がっかりし…




居眠りの代償【後編】


「なあ、穂香。向こうの席の人たち、お前のこと見てないか?」

デート中に立ち寄ったカフェでコーヒーを飲みながら、優大は周囲に視線を走らせた。

「見てなんかないって。もう…。優大、気にしすぎ」

穂香は意に介する様子もなく、唇についたカプチーノの泡を舌でペロッと舐める。

先日、2人でキックボクシングを観戦した際、穂香は試合中にもかかわらず居眠りをした。

その姿が、インターネットで生配信を視聴していた者たちの目に留まり、SNS上で『可愛い』『居眠り姫』と話題にのぼった。以来、優大はどうも周囲が気になるのだ。

実際、2人でいるときに「SNSで見ました」と呼び止められたこともあった。

話題性の高い試合だっただけに、視聴者が多かったことが影響している。

穂香のInstagramのフォロワー数が増えているのも、その効果によるものではないかと思えた。

― SNSの影響力って、やっぱりすごいんだな…。

優大は、改めてそう感じた。

穂香には、腹立たしさをおぼえてきた。

優大の趣味である映画や演劇を一緒に鑑賞した際、居眠りをすること。

リングサイドで、居眠りをしたこと。

大学時代から続く、和人との3人の関係を崩してまで付き合ったことに、わずかながら後悔の念も湧いた。

傷の浅いうちに別れれば、元の関係に戻れるのではないかとまで考えた。

しかし今は、周囲から持てはやされる穂香を見て、手放したくないという思いが強くなっている。

「穂香。どこか行きたいところとかある?一緒にやりたいことでもいいけど」

こうして優大のほうが歩み寄り、関心を引くような言葉をかけるようになっていた。

「う〜ん。そうだなぁ…」

穂香の要望に応えようと、優大は意欲を湧かせる。


優大は、勤務先である大手派遣会社の社員食堂でランチをとっていた。

昼休み中の多くの社員で賑わうなか、優大はひとりで席に着いている。




食欲が湧かず手が止まっている様子を見たのか、背後から声をかけられた。

「岸本。大丈夫か?疲れてるのか?」

振り返ると、上司の木村が立っていた。

「ああ…はい。すみません…」

優大がすぐに謝罪の言葉を口にしたのは、午前中の会議で居眠りをしてしまい、それを指摘されたと思ったからだ。

「なんか悩んでるなら、話くらい聞くぞ」

木村は信頼できる上司であり、プライベートな相談にも乗ってもらうことがあった。優大は現状を伝えることにする。

「実は、最近ずっと彼女と夜遅くまでゲームをしていまして…」

先日の穂香との会話で、一緒にやりたいことを尋ねた際「ゲームがしたい」と言われた。

優大にとってまったく興味のないジャンルだったが、気を引いておくためには取り組むよりほかになかった。

毎晩、深夜から始めて2〜3時間オンラインでプレイする。

慣れない作業に頭を使っているせいか、終わったあともすぐに眠りにつくことができず、睡眠不足が続いていた。

その結果、優大自身が仕事中に居眠りするという、まさかの事態に陥っているのだ。

「彼女を大事にするのもわかるけど、仕事に支障をきたすようじゃなあ。しっかり足もとを固めておかないと、どっちもうまくいかなくなるぞ」

木村の叱責を受け、優大はそのとおりだと自分を戒め、頭を下げた。

穂香と付き合い始め、和人を合わせた3人の関係が崩れたことで、影響がそこかしこに現れ、マイナスの状況をもたらしているような気分になる。

このままではすべてが立ちいかなくなってしまうのではないか。

不安が芽生えるが、これは交際序盤に生じがちな障壁であり、乗り越えるべきなのだと、頭を切り替えた。



その夜。優大が、仕事から自宅マンションへと戻ってきたところで、スマートフォンに着信が入った。

和人からの電話だった。

友人の声を聞くことで元気を分けてもらえるのではないかと期待を寄せたが、電話の向こうから聞こえてきたのは、随分と神妙な口調だった。

「優大。お前に、謝らないといけないことがあって…」

和人の言葉を聞いてドキッとした。穂香のことではないかと、胸がざわつく。

「穂香のことなんだけど…」

― やっぱり!!

にわかに緊張が走り、優大の肩に力が入る。




「この前、お前らがキックボクシングの試合を観に行った日あるじゃん。穂香のことが、ネットで騒がれたろう?あれ、俺が悪いんだ…」

「え?どういうこと…?」

「俺も、配信を視聴してたんだよ。で、穂香が居眠りしてるのに気づいたんだ。それ見て、あきれちゃってさ。つい『リングサイドに寝てる女がいる』って投稿したら思いのほか盛り上がっちゃって。ごめん…」

和人の謝罪の言葉を聞き、優大は肩の力が抜けた。

「なんだ、そんなことか…。別にいいよ、そんなの」

「あのせいで2人の関係が悪くなることもあるんじゃないかって思って。だとしたら、申し訳ないなと…」

電話の向こうで、恐縮している和人の姿が想像できる。

発信者など、気にも留めていなかったから、和人の真摯な姿勢に胸を打たれた。

― やっぱり、和人。お前、いいやつだな…。

改めて、手放してはならない大事な友人であることを実感した。

同時に、自分の抜け駆けのような行動により、穂香を含めた3人の関係を崩してしまったことへの後悔の念が湧いた。

「なあ、和人。よかったら週末、うちで鍋でもしないか?穂香も呼んでさ。久しぶりに3人で飲もうぜ」

3人で会うことで、関係を維持するための何かいい手立てが見つかるのではないかと思い、和人を誘った。

自分が過剰に心配していただけで、意外とわだかまりもなく、3人で楽しく過ごせるかもしれない。そんな期待を込めて…。




週末。優大が住むマンションに穂香と和人が訪れた。

優大と穂香の交際開始から、初めて3人で集まる。

鍋をつつきながら酒を飲み、ゲームに興じては昔話に花を咲かせ、ひとしきり賑わった。




「いやあ、優大。ゲーム下手すぎるわ」

「ああ、笑いすぎて顎が痛い…」

はしゃぎ過ぎて疲れたのか、和人と穂香がソファの背もたれにグッタリと寄りかかる。

― 2人とも楽しそうで良かった…。

優大は、和人と穂香の様子を見て、胸を撫で下ろす。

折り合いが悪くなるのではないかとの懸念も、取り越し苦労に終わったように感じた。

関係性に少し変化はあったが、また新たなスタンスで、絶妙にバランスを取りつつ付き合っていけるような気がした。

そのとき、ある話題が、優大の頭になんとなく浮かんだ。

3人での良好な関係を維持するのに、有効な手段となるような気がして、切り出す。

「なあ、和人。最近、いい子いないのかよ。気になってる子とか」

和人に恋人ができれば、自分が出し抜いてしまったという罪悪感も薄れ、また気兼ねなく3人で会えるのではないかと思ったのだ。

その恋人を交えて、4人で付き合っていくというのも、新たな展開として悪くない気がする。

「ええ…。そういう子は、いないなぁ…」

「和人が前に彼女がいたのって、半年以上前だよな?そろそろいてもいいだろう」

「まあな…」

「元カノとは確か『海外に行く』って言われて別れたんだっけ?語学留学か何かで。まさか、まだ引きずってるとか?」

優大の質問に対し「う〜ん」と和人は歯切れの悪い反応をする。

― え…図星?

まさかの核心を突いてしまったようで、それ以上は聞きづらい状況となる。

そこで、穂香がまったく会話に加わってこないことに気づいた。

いつもならどんな話題にも口を挟んでくるだけに、不自然に感じた。

― もしかして。穂香、そのこと知ってたのか…?

すでに和人の心境を知っていたとしたら、それはいつからなのか、どんな会話の流れからだったのか。

考えているうちに言葉が出なくなり、部屋のなかに妙な沈黙が流れた。

「あっ」

口を開いたのは、和人だった。

「これ、俺が見たかったやつだ」

優大のコレクションである映画のDVDの並んだラックを眺め、1本を取り出していた。

優大も好きな、海外の古い名作映画だった。

「今からこれ見ない?ダメかな?」

和人が提案すると「見よー見よー」と穂香が賛同した。

― いや、穂香。お前は絶対に寝るだろう…。

優大は心のなかでそう訴えながら、DVDをプレイヤーにセットした。



優大は朦朧とする意識のなかで、ゆっくりと目を開けた。

― あれ…。俺が寝ちゃったのか…。

映画を観ながら、いつの間にか優大自身が居眠りをしてしまっていた。

カーペットの上で横になり、体には毛布を掛けられている。

すぐ側のソファに、和人と穂香が並んで座っているようだった。

― どうせ穂香も寝てるんだろうな…。

優大は横になった状態のまま、ソファのほうに視線だけを向けた。

しかし、2人とも上体を起こし、寝ている様子はない。

和人はテレビ画面をジッと見つめ、映画に夢中になっている。




穂香もまた同方向を見ているが、その視線がチラッと端に傾く。

少し間をおいて、またチラッと…。

穂香のその意味深な仕草を見て、優大はすべてを悟った。

穂香は明らかに和人の表情を覗いており、憂いを帯びた視線には好意ともいうべき感情が滲み出ていた。

― そうか。穂香は、映画に興味がないわけじゃなかったんだ…。

穂香とともに映画や演劇を鑑賞した際、必ずと言っていいほど居眠りをしていたのは、それらに興味がないわけではなかった。

一緒にいる、優大に興味がなかったのだ。

― 穂香が好きなのは、和人だったんだな…。

優大は残酷な現実を突きつけられながら、先ほど交わした和人との会話を思い出す。

「元カノを引きずってるのか?」

和人は元カノの存在を忘れられずにいる。

おそらく穂香はそのことを知っていた。

そして、和人が穂香に対して抱いているのは、あくまで仲間意識であり、好意などないこともわかっていた。

穂香は、もし自分が好意を持っていることが和人に伝われば、離れていってしまうと思ったに違いない。

和人と優大の絆の深さを、穂香は知っている。

― だから穂香は、俺と付き合ったのか…。

穂香は、この先もきっと和人と優大は近い距離にいるだろうと推測したのだ。

それは、優大の傍にいれば、おのずと和人も近くにいることを意味する。

ゆえに、和人から離れまいとして、自分の告白を断らずに受け入れたのだと、優大は確信した。

だが、事情を知ってしまったからには、穂香とこのまま交際を続けるわけにはいかない。

和人への思いを知っての別れとなれば、もうバランスは保てず、修復は困難となる。

― みんなで過ごすのは、これが最後かもしれないな…。

3人での関係に、終止符を打つべきときが迫っている。

優大は、この空間を愛おしく尊く感じた。

― 今しばらく、この平穏に浸っていたい。

毛布にくるまりながら、寝たふりを決め込むのだった。

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