◆これまでのあらすじ

ダメ男と10年もの付き合いを経て別れた杏奈。高校時代モテモテだった彼女は、逃した魚を捕まえるべく奮闘するも、失敗続き。友人の麻沙美が開いてくれた食事会でも大失敗するが、その参加者の白倉(43歳)が連絡をくれ…。

▶前回:商社マンとの食事会。29歳女が男性に会った瞬間「来なきゃよかった」と思ったワケ




Vol.7 いいひと?それとも…?


年も明け、食事会から2週間ほど経ったある週末──。

杏奈は先日の食事会で出会った、いい人だけれどもアラフィフに見える43歳・白倉に誘われ、食事をすることになった。

「今日は来てくれてありがとう。楽しみにしてたよ」

「お誘いありがとうございます。私もです」

白倉のホームグラウンドだという上野駅で待ち合わせ、そこから少し歩いた場所にある焼肉店へと向かった。ここが今日の舞台らしい。

― …ええと、きっとこういうところこそが隠れた名店なのよね。

白倉が連れて行ってくれたのは、床がツルツルと滑り、モクモク煙が充満している昔ながらの町焼肉、といった感じの老舗であった。

良く言えば、通好みの渋い店なのだが…。

「白倉さん、素敵なお店をご存じですね」

「“白倉さん”、なんてかしこまった感じやめてよ。アキくんでいいって」

「アキくん…はいっ♪」

少々引っかかる部分はあるも、杏奈は満面の笑みで白倉のご機嫌を取った。

― きっと慣れれば、素敵な男性に思えるはず…。

杏奈は朝から呪文のように、心の中で繰り返していた。

兎にも角にも、今までの自分はワガママすぎていたのだ。

本命男性の気持ちを掴むためには、表向きのテクニックだけでなく、中身も磨いていかなくてはならない。これまでのお姫様気質を矯正し、謙虚になるための第一歩。そのために杏奈は今、こうして白倉と向き合っている。

すると、さっそく効果が出てきたのだろうか。食事が進むにつれ、紹介者である麻沙美が熱弁していた白倉の良さが、杏奈にも徐々に理解できてきたのだ。


「この前言っていた映画見たよ。ダンスが良かったね。…あ、飲み物空だ。店員さん呼ぶから、待ってて」

白倉は、杏奈を退屈させないような気遣いに長けていた。

「杏奈ちゃんみたいな子ってさ、こういう渋い店来たことないでしょ?」

「はい。さすがアキくん。センスあるって感じします!」

自然と杏奈の心は和らいでいた。

見栄えがする鮮やかな赤身肉を豪快に焼き、無邪気に白飯を頬張る姿にも、杏奈が惹かれる無邪気な少年っぽさが見え隠れする。

麻沙美が言う通り、本当にいい人なのだ。

結婚して、幸せにしてくれる人はきっとこういう人なのだろう。杏奈はこのまま好きになってもいいとさえ感じ始めた。

― でも…彼とキスできる?




白倉とともに楽しく焼肉を頬張っていたはずなのに、なぜだかふと、そんな疑問が心をよぎった。

途端に、頭の中が真っ白になる。

「どうしたの?そんなにじっと俺のこと見つめて」

「あ、アキくんに、み、見とれちゃいまして…」

「いやぁ照れちゃうナ。よしてよ〜」

白倉は顔中に皺をうかべ、顔を赤くした。

その純粋な反応に、杏奈の胸は締め付けられるのだった。



「杏奈ちゃん、ちょっと、お手洗い行ってくるね」

酔いが回りはじめたのか、白倉が席を立つ回数が徐々に増えてきた。

時間はまだ20時過ぎ。

2軒目に誘われたらどうしよう、と杏奈は考えはじめていた。

― 真剣に向き合ってくれている分、断るのも申し訳ないし…って、あれ?

手持ち無沙汰になりスマホを開くと、1件のLINEが届いていることに気づく。メッセージは、食事会で意気投合した女子、むつみからだった。

『白倉さんとごはんしているんですか?』

なぜ知っているのだろう…。杏奈は首をかしげ、『そうだけど、なんで?』と返す。

『白倉さんから、「今からむっちゃんも来ない?杏奈ちゃんいるから」って連絡があったんです。食事会の後もすぐ誘ってきて。何度も何度も断ったのに……あ、今も来た、ヤバッ』

むつみはあの食事会の直後、さっそくデートの誘いがあったらしい。バイトで忙しい、を理由にやんわりと断ったのだそうだが…。

― むつみちゃんに断られたから、私に来た…ってこと?

いや。むつみに相手にされないからターゲットを変えたのですらなく、むつみを呼び寄せるための手段として使われただけなのかもしれない。

普通に考えれば、あの食事会で最初から最後まで失礼な態度をとった自分のような女なんて、本気で狙おうと思ってもらえるはずがないのだ。

しばらくすると、白倉が席に戻ってきた。それとなく、むつみの話を出してみる。

「ああ、むつみちゃん?あの子さ、世間知らずでウブな感じが面白いよね…。そうだ、今度あのメンバーで新年会しない?杏奈ちゃんからも誘ってよ」

平然としらを切る白倉の様子に、心がスッと冷めていく。とりあえず、相槌を打たなくてはならない。

「あははー、気が向けば…」

「じゃ、よろしく!門仲に魚の旨い店知っているんだ。この店みたいにさ、本当においしい店を君たちに教えてあげたいんだ」

大手商社に勤めるビジネスマンだ。外面の良さやコミュニケーション能力は申し分ない。

けれど、時折顔を出す傲慢さは、どうにも消化しきれない。20歳近い年の離れた女の子に自信満々でアプローチしていることにも、違和感を覚えた。

― 私、この人とはキスできない…。絶対に無理。

途端に、話を合わせ、笑顔を作っていた自分が恥ずかしくなった。




「じゃあ、アキくん。そろそろお会計してもらいましょうか」

食事が終わるまで、しばらく仕事の話に付き合ったが、もう限界だった。お酒が空になったのをきっかけに、杏奈はお開きを切り出した。

しかし、店員からお会計ホルダーを受け取った白倉は、耳を疑うような言葉を杏奈に告げるのだった。

「2人で13,620円だから、1人6,810円だね」

「はい?」

「もし細かいのが無ければ、6,500円でいいよ」


杏奈に割り勘の額を告げる白倉の笑顔には、一点の曇りもなかった。

― 6,500円でいいよ…か。

自分への扱いの真意を悟った瞬間から、蓋をしていた感情。密かに白倉へと抱き続けていた嫌悪感がついに抑えきれなくなり、一気に溢れてきていた。

それが、白倉に対する答えだった。

他の女の子の橋渡しにされることも、割り勘も、渋すぎるお店選びも、年齢も…本当に好きな人が相手だったとしたら、許せたのかもしれない。

そんなことを考えていたら、長財布を開けた手が止まっていた。

「あの…私、ご馳走しましょうか」

咄嗟に口に出てしまった。とにかく、この苛立ちに耐えきれなかったのだ。

「え、そんな…女子に全額支払わせるなんて」

「いえいえ。今日は楽しかったし、払いたい気分なんです。カードのポイントが結構溜まっていて、それで払いますので、お気になさらずに」

慌て始める白倉に、杏奈は満面の笑みを投げかけ、店員にカードを渡した。

人生でずっとお姫様扱いを受けて来た杏奈だが、男性の分まで払うことにそこまで抵抗はない。

どうしようもない元カレ・直人と暮らしているときは──杏奈が全額払うことも、度々あったから。




「あ…ありがとう。このお礼は必ず」

ふたりそろって店を出ると、杏奈は白倉を残して颯爽とタクシーに乗り込んだ。

「お礼の言葉を頂けるだけで嬉しいです。こちらこそありがとうございました」

閉まりかけのドアから笑顔で頭を下げると、白倉は慌てた様子で追いかけてくる。

「え、あ、じゃあ今度は新年会で──」

杏奈は、言い終わりを待たずに扉を閉めると、タクシーを発車させたのだった。



「いらっしゃいませ」

タクシーを降りた杏奈は、家の近くにあるダイニングバーの扉を開けた。

むしゃくしゃして、そのまま帰宅する気にはなれなかったのだ。

オリエンタル調のムーディな店内。閉店時間が近いこともあってか、客はまばらだった。ひとりで静かに飲むにはもってこいの雰囲気である。

席に着くなり、杏奈はスタッフに勢いよく告げた。

「ニコラシカ。チェイサーも下さい」

普段は深夜にひとりでお店に入るタイプでもないし、ましてや強いお酒を一気に飲むようなタイプでもない。

だけど今夜だけは、ひとりだろうが関係ない。ガツンくるとお酒を飲みたかった。

お酒が運ばれてくると、すかさず砂糖の乗ったレモンの輪切りを口にふくみ、ショットグラスの中のブランデーを流し込む。

お砂糖の甘さで心が和らぎ、アルコールが身体をポカポカと温めた。

「もう、わがままだろうがなんだっていいや…」

静かに独り言をつぶやきながら、テーブルに伏す。

周囲の客がぎょっとして杏奈に視線を送っているが、気にならなかった。

人目をはばからず落ち込むくらい、今は許してほしかった。




足立、須賀、松崎、白倉…。

酔いでぐるぐると回る頭の中で、最近デートした男性たちの顔が浮かんでくる。

もちろん、杏奈にも反省すべき点はある。けれどそもそも、彼らとは価値観などが根本的に合わなかった。

本命である高濱からも、LINEの返信はいまだにない。ここまで来ると恋活以前に、人としていかがなものか、とすら思う。

― みんな、素敵な人だと思ったのにな…。

その時、杏奈は気づいてしまった。

今まで、再会した男性たちを『逃した魚』だと思って後悔していたが、本当は『逃すべき魚』だったのではないか、と…。

内面や性格、素性を知っているから安心。そう思い、軽い気持ちで誘いに乗っていたけれど…昔の姿を知っているからといって、良い相手とは限らない。安易だった自分の不甲斐なさに、苛立ちが止まらなかった。

もっと強いお酒を求めて杏奈がメニューを見ていると、店員がチェイサーを運んできた。

メニューから視線を外さずにいると、チェイサーを置き終わったというのに、店員はその場にとどまり続けている。

「?」

疑問に思い視線を上げると、そこに立っているのは先ほどとは違う店員だ。

「大丈夫?」

客ではなく、知り合いにかけるような気やすい声…。

酔いの回りはじめた意識を集中させて店員を見た杏奈は、驚きのあまり、目を見開いた。

▶前回:商社マンとの食事会。29歳女が男性に会った瞬間「来なきゃよかった」と思ったワケ

▶1話目はこちら:高校の同窓会。さえなかった男たちのハイスペ化を見た29歳女は…

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傷心の杏奈の目の前に現れたその男とは…