◆これまでのあらすじ

同じ会社に勤めている同世代の女性・奈々美から、彼女と事業部長との間に不倫関係があったことを暗に打ち明けられ、少なからず動揺するモモ。同期の外コン男子・雄一に経緯を話すと、「社内不倫はどこにでもある話だ」と言って…。

▶前回:外コンで誰よりも早く昇進した女。20代でマンションまで購入した彼女が、出世できた秘密とは




社内不倫についての意見を軽々しく求めた、私がいけなかったのかもしれない。

けれど、クラフトビールを傾けながら雄一が何気なくこぼしたセリフは、私にとっては衝撃的なものだった。

「そういう背徳感を感じる関係も、男のロマンだよね」

― 「ロマン」って…。

私自身、浮気されて婚約破棄の経験があるから、不貞行為には人一倍敏感だ。その自覚はある。

けれど、“不倫はロマン”というようなセリフに「そうだよね」と軽薄に同意できる人が、世の中にどれほどいるだろう?

雄一は私の顔色が変わったのを見て、慌てて続けた。

「いや、不倫に憧れてるわけじゃないよ。社内恋愛について、楽しそうだなって思っただけ」

― 本当かなぁ。今の話の流れだと、不倫のことを話していた気がするけど…。

「そっか。でもさっきの話だと、家庭が円満でも不倫ってあるんだね。やっぱり、男女の永遠の愛って現実的ではないよね…」

― いろんな男女関係があっていい。でも、人を傷つけてまで一緒にいる関係には賛成できない。

結婚を含めた「約束された男女の関係」に、私はますます不信感を募らせるばかりだった。



翌日。

一夜明けても昨日のモヤモヤが晴れない私は、仕事前に近所のゴルフ練習場へ出かけた。

お金持ちの行くゴルフ練習場といえばVIPルームのある『スイング碑文谷』が有名だが、中目黒にある小さな練習場にもまた、近所に住む会社役員や芸能人たちが人知れず通っている。

打席で軽くストレッチをしていると、左隣のレンジにいるのが以前からたまに見かけていた男性であることに気がついた。

クラブを交換するために顔を上げた彼と目が合い、軽く会釈をする。

30分ほど軽く練習をして、お腹が空いてきたので片付けの準備をしていると、隣の打席の男性が話しかけてきた。

「調子よさそうですね。いい音が聞こえました。これからお仕事ですか?」

「ありがとうございます。はい、仕事前に軽く体を動かしたくて」

「わかります。朝運動すると気分がいいですよね。もし少しお時間あれば…出勤前のコーヒーでも一緒にどうですか?」


中目黒の一戸建てに住む男:橘(36)


ちょうど午前の会議がなくなってリモートに切り替える予定だった私は、時間に余裕ができたこともあり、彼の誘いに乗ることにした。

「名乗りもせず失礼しました。橘といいます。ここに来るときはいつも一人なので、なんとなく常連さんの顔は覚えてしまって」

「藤崎と申します。わかります、特に朝の時間帯はいつも同じような顔ぶれですもんね」




私たちは、中目黒駅方面へ歩く道すがら、目黒川沿いのスターバックスに寄って小腹を満たすことにした。ここではミラノ発のベーカリー『プリンチ』のサンドイッチを食べることができる。

初対面で心身ともに窮屈な思いをしたくなかったので、テラス席を選んで座った。秋も深まり、優しくなった日差しも心地がいい。

「藤崎さんは、コースにもよく行かれるんですか」

「仕事柄、上司やお客様にゴルフに誘われることが多くて。私自身ゴルフが好きなので、お声掛けいただいたらありがたくご一緒しています」

「いいですね。僕もゴルフが好きで。練習場の近くに家を建てたくらいです」

「すごい!熱心ですね。私も本当は、接待ではなくてプライベートでラウンド回数を重ねて上達したいのですが、誘える人もいなくて…」

あるあるかもしれないが、ゴルフ好き同士は初対面でもいつまでも話せてしまう。

ゴルフ談義に花が咲き、あっという間に1時間弱が経っていた。

「藤崎さん、お話できて楽しかったです!また、日程調整しましょう」

橘は定期的にメンバーコースを回っているらしく、近いうちに一緒に行こうと誘ってくれたのだった。

連絡先を交換した私たちは、互いの都合を確認して、ラウンド日程を2週間後に決めた。



約束のラウンドを翌日に控えた土曜日。

軽く練習でもしておこうかと思い立ち、夕方に出かける準備をしていると、着信があった。

― 橘さんだ。明日の話かな?

「はい、藤崎です」

「突然ごめんなさい。今忙しいですか」

「いえ、大丈夫です」

「明日のラウンドが楽しみで…話したくなって。もし今夜空いていたら、お肉でも食べに行きませんか。明日早いから、サクッと切り上げる感じで」

「ちょうど今、少し練習でもと思って準備していたんです。18時ごろはご都合いかがですか?」

「いいですね。お店の予約ができたら、連絡入れます。練習、頑張って」

夕方ゴルフ練習をして、早い時間から近所で焼肉を楽しみ、一晩眠ったら朝からゴルフ。

健全で無理がなく、好きなことばかりの贅沢な休日。

― 同世代のみんなは夜遊びや都心へ出かけるのが好きだけど、私はこういうのがいいな。

橘に会えるのも、なんだか楽しみだ。




ゴルフ練習の後、私は『焼肉りんご』で橘と合流した。

「練習、どうでしたか?」

「いい感じです。この感じを残したくて、数球打って切り上げました」

「わかる」

そう言って笑う橘。

彼はゴルフが本当に好きなようで、私がゴルフへの熱量を伝えるにつれて笑顔が増え、互いに他人行儀だった話し方も少しずつ和らいでいった。



食事を済ませた私たちは、予定通り早めに店を出て、「明朝の待ち合わせは、この辺りで」と、駅前で確認をした。

「橘さん、今日はありがとうございました。数時間後にまたここで。よろしくお願いします」

「こちらこそ急な誘いに付き合ってくれてありがとう。これ、よかったら受け取って」

そう言って橘は、大きめの袋を渡してきた。

「え、ありがとうございます…なんだろう。開けてみてもいいですか?」


袋を開けると、中身はゴルフウェア一式だった。

「藤崎さんが気になっていると言っていた新しいブランド、友人のショップで扱っているのを見かけて。似合いそうなのものをいくつか」

「ええ…いいんですか?」

「気に入ったら使って。では、また明日」



翌朝6時前。待ち合わせ場所で待っていると、白い車が私の前に停まった。

運転席を覗くと、橘が手を振っている。同時に、後部座席のドアがゆっくりと上空に向かって開いた。

― あ、テスラか。

テスラは上司の落合が所有しているため、私はこのファルコンウィングドアをゴルフ場で目にしたことがあった。

「おはよう。荷物、後ろに載せちゃうね。どうぞ先に乗って」




朝焼けに照らされた首都高を抜けて、千葉方面へと向かう。

休日早朝のアクアラインは、ベンツ、BMW、ポルシェなど外国車が多い。キャディバッグを積み、ゴルフ場へと向かう同志だ。

車中で、私と橘は初めてゴルフ以外の世間話をした。

橘は、同族経営の大企業の創業者を祖父に持ち、相当な資産のある家柄らしい。約束された道を歩むのが嫌で、その企業には属さず別の事業を自身で立ち上げたとのことだった。

「あえて起業するなんて、橘さんらしいですね」

― 今までゴルフの話しかしなかったのに、今日は饒舌だな。

私は、こちらから詮索したわけでもないのに急に家柄や事業の話をしてきた橘に少し驚いていた。

かといって、私の仕事の話を聞きたいわけでもなさそうなので、相槌を打ちながら目的地に着くまでの時間をやり過ごした。



ゴルフ場に到着し、着替えて外に出ると、橘とキャディさんが待っていた。

「藤崎さん、今日はキャディ付きだから。いつも付いてくれてる方だから、色々教えてもらいなよ」

「あら、可愛い方を連れて…彼女さん?みんなには黙っておくわね」

「はは。可愛いでしょう。今日の服装も、僕が選んでやったんだよ」

プレゼントされた手前、橘にもらったゴルフウェアを着てきていたが、紹介のされ方に戸惑ってしまう。

― でも事実だし…。ずうずうしく頂いちゃったのも自分だしね。

「橘さんのおかげで、素敵なコーディネートになりました。今日はよろしくお願いします」






「ああ、疲れた…」

夕方帰宅した私は、服を脱いでシャワーを浴びた。

ゴルフは面白い。一度ラウンドを共にするだけで、相手の人柄がよくわかる。

エスコート上手な人、細かい人、フェアな人、自分に厳しい人、他人に厳しく自分に甘い人…。性格が、プレーにわかりやすく反映されるのだ。

― 橘さんは…。

彼は表面上は女性に優しいが、自己顕示欲と支配欲の強い男であることがわかった。

キャディさんに対しては、何度もクラブを持ってこさせたりカートを細かく移動させたり、コーチでもないのに私への指導をさせたりと、まるで召使いに対する態度だった。

また、受付の方や会員メンバーなどの知り合いに、私の服装が自分の見立てであることをわざわざ言い、私はゴルフ場で誰かに会うたびに決まりが悪かった。

どうやら、ウェアのプレゼント、ゴルフ場の会員権、テスラ、御曹司というステータスは、橘にとって自身の魅力を伝えるためのカードだったようだ。

「次回は、二人で沖縄へ行こう」

帰りの車中で橘の口から出た誘いに、私は首を縦に振ることはできなかった。

ウェアを用意し、車を出してくれ、コースへ連れて行ってくれた彼に、感謝の気持ちはある。

しかし、それと泊まりで出かけることは別の話だ。

笑顔で誤魔化そうとした私に業を煮やしたのか、畳み掛けるように橘が口にしたのは、交友のある著名な女性たちの名前。

女優、モデル、女性実業家、元ミス〇〇、女子アナ、アイドル、…。

これまでに橘の誘いに乗って来たという女性たちは、私でも知っている名前ばかりだった。

驚くべきは、様々なスペックの女性の名前が次から次へと出てくること。

― まるで、女子スタンプラリーみたい。

…しかし、私は橘のことを笑える立場ではない。

橘に滑稽さを感じつつ、ここ最近の自分だってスタンプラリーをしているようだと省みる。

そう思いながらも私は、帰宅するなりスマホを取り出し、届いていたメッセージに返信をする。

『モモさん、ゴルフ終わった?』

『うん、もう家にいるよ』

やり取りの相手もまた、もうすぐ新たなスタンプとして加わるであろう、最近出会ったある男性だった。

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モモが出会った一人の男。どうにも抗えない、彼の魅力とは?