大手メーカー勤務の29歳男とキャンプへ。帰り道に起こった意外すぎるトラブルとは?
人の心は単純ではない。
たとえ友情や恋愛感情によって結ばれている相手でも、時に意見は食い違い、衝突が起きる。
軋轢や確執のなかで、感情は歪められ、別の形を成していく――。
これは、複雑怪奇な人間心理が生み出した、ミステリアスな物語。
▶前回:久々の同窓会で撮った記念写真。そこに映り込んでいた“あるモノ”に血の気が引き…
資格マニア【前編】
「ねえ、ひとりで飲んでないでさ。あっちでみんなと話そうよ」
ハイブランドのジャケットを着た男が、馴れ馴れしく声をかけてきた。
― ああいう人は、タイプじゃないんだよな…。
手に持ったワイングラスを口もとに運び、「ふぅ」と小さくため息をつく。
今日は、「異業種交流会」という名目の飲み会のため、タワマンのパーティールームを訪れていた。
大手損害保険会社に勤める里帆は、先日友人の開催する飲み会に参加した際に同業者の男性と知り合い、今回の誘いを受けたのだ。
窓の外に湾岸エリアの夜景の広がる空間に、友人が友人を呼んで集まった15人ほどの男女がいくつかのグループを作り、思い思いの場所で談笑している。
里帆はなんとなく雰囲気に馴染めず、料理や飲み物が並べられた中央のテーブルの傍らでたたずんでいた。
すると「あの…」と再び声をかけられる。
振り返ると、さっきとは違う男が立っている。
「よかったら、少しお話しませんか…?」
恐縮しながら尋ねる男は、大柄で短髪。柔道でもやっていそうな、純朴さがにじみ出た風貌をしていた。
洗練されているとは言い難く、場の雰囲気に溶け込めていない様子だが、実はそれが里帆の好みのタイプだった。
― そう!こういう人がいいの!
里帆は意識的に何度か視線を送っていたから、男も気になって反応したようだった。
2人は揃って近くのソファに腰をおろす。
男は、『吉木亮平』と名乗った。里帆と同い年の29歳。大手ゲームメーカーで営業を担当しているという。
「吉木さんは、何かスポーツをされてるんですか?体を鍛えてるとか」
ジャケットの上からでも、筋肉が隆起しているのがわかる。
「そうですね。スポーツジムに通っています。一応、資格も持っていて…」
「インストラクターとか?」
「はい。ほかにもいくつか。実は僕、資格を集めるのが好きで…」
嬉しそうに語る亮平を、里帆は微笑ましく眺めた。
「ええっ!50個以上も!?」
亮平が取得したという資格の数を聞いて、里帆は驚きの声をあげる。
「そんなに…。どんな資格をお持ちなんですか?」
「本当にいろいろですよ。例えば、そのワインに関するものだったり…」
里帆の手元のグラスを指さす。
「え、ソムリエですか?」
「いや、ソムリエまでは…。ワインに関するマナーや適切な飲み方などの基礎知識を持っている証明となるものです。あと、最近取ったものでいうとキャンプに関する資格とか…」
「へぇ…。キャンプ、お好きなんですか?」
「はい。去年からハマり始めて。里帆さんはキャンプとかは行かれたりします?」
「私、友だちにキャンプ好きがいて。たまに誘われるんです」
「そういう友だちがいるといいですね」
「でも、友だちも始めてそんなに経っていなくて。吉木さんみたいな人と一緒だと、心強そう」
里帆の言葉に、亮平は嬉しそうな表情を浮かべる。
「一緒に行く機会があれば、ぜひ!」
里帆はそれが口約束にならないよう、翌日早速、学生時代から交遊のあるキャンプ好きの友人に連絡を取った。
◆
キャンプ好きの友人カップル、恭子と貴久も、里帆の意中の男性に興味を抱いたようで、キャンプの計画はすぐに持ち上がった。
亮平に打診し承諾を得ると、土日の休みを利用してさっそく出かけることが決まる。
当日、貴久のランドクルーザーにキャンプ用具を詰め込み、4人乗り合わせて出発。
到着したキャンプ場は、富士山を望む、秋の装いが感じられる景色のいい場所だった。
「うわぁ、空気がキレイ!」
「気持ちいいねぇ」
車を降りると、里帆は恭子と一緒に両手を広げて深呼吸をおこない、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「よし。じゃあ早速セッティングをしちゃおう」
貴久の合図で、車から荷物を運び出す。
「亮平君、そっちのテントの準備を任せてもいいかな?」
2人用のテントを2つ設営するようで、亮平がそのひとつを託された。
「亮平君なら、あっという間にセッティングも終えちゃうんだろうね」
恭子がお手並み拝見とばかりに、亮平の様子を眺める。
キャンプ場に向かう途中の車の中で、亮平の取得した多くの資格の話題になった。
「キャンプに関する資格でいうと、インストラクターとかアドバイザーみたいなものとか。あと、バーベキューなんかの資格も持ってます」
「そんなのもあるんだ!」
細かく分類された資格については耳慣れないものも多く、新鮮に感じられ話も盛り上がった。
皆が関心を寄せ、亮平のキャンプスキルにも期待が寄せられたのだが…。
「あれ…?おかしいな。どうするんだこれ…」
どうも亮平が、設営に手間取っている様子を見せる。
「亮平君、どうしたの?」
「いや。いつもひとりで行くときは、ワンタッチテントを使ってて、このタイプはちょっと…」
「そうなんだ。これはね、まずポールをエンドピンに差し込んでから…」
貴久に説明を受けながら、亮平が組み立てていく。
― 意外と不器用なところも可愛いな…。
大きな体をぎこちなく動かす姿も、里帆の目には微笑ましく映った。
テントの設置を終えると、次に日差しを避けるタープを張る。
さらにテーブルやチェアを置いて大方の準備が整ったところで、貴久がクーラーボックスから飲み物を取り出した。
「じゃあ、先に乾杯しちゃおう!」
缶ビールを順に手渡していく。
だが、亮平はそれを受け取らない。
「あ、僕は大丈夫。お酒、飲めないので」
― そういえば、あの日も飲んでいなかったっけ…。
出会った日も、亮平がソフトドリンクしか飲んでいなかったことを、里帆は思い出した。
日が沈むと、辺りにひんやりとした空気が漂い始めた。
食事を終えた4人は、焚火を囲むようにして座り、静まり返った大自然のなかで非日常的な雰囲気に浸る。
「亮平君が酒を飲めないなんて、意外だな」
貴久がホットワインを飲みながら残念そうに呟く。
「飲むとすぐに赤くなっちゃって。体に合わないみたいです」
「でも亮平さん、ワインの資格は持ってましたよね?」
「あ、はい。飲まなくても取得できるものだけ…」
和やかな会話が続くなか、恭子がこのキャンプのテーマとも言うべき話題に切りこむ。
「ねえ、亮平くんは彼女いないんでしょう?どれぐらいいないの?」
「ええっと…。2年ぐらい…」
「ふ〜ん。どんな女性が好みなの?」
「そうですね…。まあ、僕が大きいので、守ってあげたくなるような感じの…」
恭子が、小柄な部類に入る里帆に視線を向けて頷いた。
パチパチッと薪の爆ぜる心地よい音が響く。
◆
翌日。
片付けを終えて荷物を車に詰め込み、昼過ぎにキャンプ場をあとにした。
東京方面に向けてしばらく走ったところにワイナリーがあり、ワイン好きの貴久の提案により見学をすることに。すると…。
「わっ!試飲できるみたい!」
施設内を巡っていると、幾つものワインサーバーが並び、容器を購入するといくらでも試飲できるというコーナーを見つけた。
「運転あるんだから。飲んじゃダメでしょう」
浮かれる貴久に、恭子が釘を刺す。
「そうだけど…」
ワインを味わうほかの見学者たちを、貴久が口惜しそうに眺める。
「帰りの運転、亮平くんにお願いしちゃダメかな…?」
「あ…。確かに、亮平くんはもともと飲めないのか…」
貴久と恭子に合わせ、里帆もサッと視線を亮平に向ける。
「お願い!このお礼は必ずするから!」
貴久が手を合わせて懇願すると、「あ、いや…」と亮平が戸惑うような素振りを見せつつも頷いた。
「やった!ありがとう!」
亮平を除いた3人は、専用の容器を購入。
サーバーからワインを注いではすぐに飲み干し、また別のサーバーへと移って様々な銘柄の味を堪能した。
◆
1時間ほど各種ワインの試飲を楽しんだあと、施設を出た。
罪悪感のない昼飲みに気分を良くし、ほろ酔い加減で駐車場へと向かう。
車の前に来たところで、貴久がキーを亮平に渡す。
「亮平さん。よろしくね」
里帆は微笑みかけて車に乗り込もうとするが、亮平がキーを握ったまま動かない。
「みなさん、すみません。実は僕、運転できないんです」
「ええっ…どういうこと?もしかして、ペーパーとか?」
「いや、そもそも運転する資格がなくて…。免許を持っていないんです」
亮平の思いがけない告白に、一同目を点にして言葉を失う。
「え…そうなの?」
「資格をたくさん持ってるから、てっきりあるものだと…」
「なんか、ごめんなさい…」
亮平以外の3人は、いたたまれない気分になる。
「でも、2〜3時間経てば、貴久さんも酔いがさめて運転できるようになるのでは?」
亮平の発言を、「いやいや!」と3人が口をそろえて否定する。
「まいったな…」
予想外の事態を迎え、皆がその場に立ち尽くす。
相談の結果、近くのホテルに1泊して、翌日は仕事に間に合うよう早朝に出発することになった。
▶前回:久々の同窓会で撮った記念写真。そこに映り込んでいた“あるモノ”に血の気が引き…
▶1話目はこちら:彼女のパソコンで見つけた大量の写真に、男が震え上がった理由
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【後編】資格マニアの男性の、資格を集めるようになった歪んだ理由が明らかになり…