― 【ご報告】―

SNSやメールでたびたび見るこの言葉に、心がざわついた経験はないだろうか?

人生において、新たなステージに入った【ご報告】をする人。

受ける側は【ご報告】されることによって、相手との関係性を見直したり、自らの人生や現在地を振り返ることになるだろう。

この文字を目にした人は、誰もが違う明日を迎える。

これは【ご報告】からはじまるストーリー。

▶前回:【ご報告】に取り憑かれたインフルエンサー。彼女が投稿で表明した驚愕のお知らせとは




Vol.8 <ご報告:起業しました>


「すごい……26歳で起業!?」

3ヶ月前に会社を退職した、元同僚の河合優華。

SNSに堂々と表示された【ご報告】という文字を見て、未央は思わず声を上げてしまう。

<私こと、河合優華は、かねてより準備を進めておりました新会社『アニベルス』を設立するはこびとなりましたのでお知らせ申し上げます──>

写真には、共同事業者の仲間たちと肩を組んだ優華の笑顔が輝いている。彼らは、卒業した早稲田大学の同期、ということだ。

― 自分も、同じ年なのに…。

鈴本未央、26歳。現在、勤務する会社は、中堅のWeb系広告関連企業。20年前に設立され、業界では実績と共に知名度も高い会社だ。

スタイリッシュで自由な雰囲気の社風は未央にとっても居心地がよく、これ以上ない勤め先。

しかし、羽ばたいていった元同僚の報告には、どうしても心揺さぶられてしまう。

「優華ちゃん、一緒に働いている時は、全然そんなそぶり見せなかったのに」

社内にあるカフェテリアのワークスペースで、スマホを眺めながら未央はつぶやく。

優華は在職中、どちらかというと仕事より退社後の食事会やデートに力を入れているように見えていた。

ランチのときに話す話題といえば最近見たNetflixの動画や推している韓国アイドルのことばかりだった。

― みんな、陰で頑張ってるんだな…。

机にうつ伏せながら、「すごいね!」と心にもないコメントを残していると、背後に気配を感じた。

「それ、仕事?それともサボり?」

とげのある声に、肩をビクッと上げる。

振り向くと、鬼の形相をした女が立っていた。


別の部署だが、7歳年上の先輩社員・文田翔子。

彼女は、未央の入社当時のメンターだった。

「すみません、サボりです…」

「まあ、息抜きくらい別にかまわないけどさ。姿勢がだらしないって」

「すみません」

その長身の威圧感。高校時代、バレーボール部のエースだったという。

未央が深々と頭を下げると、翔子は未央を監視するかの如く、向かいのテーブルに座りパソコンを開く。

― 尊敬できる、いい人なんだけどね…。

未央は能動的に手を動かしながらも、必死の形相で画面とにらめっこをする翔子を観察する。

― 古株、というか、お局…って感じ。うちの会社からはちょっと浮いているというか。

未央の会社の社長は、多くのメディアにやり手社長として紹介されている実業家・鎌田。

「社員の成長が会社の成長につながる」という理念を持ち、若手でも先頭に立ってプロジェクトにアサインされることも多い。

そのせいか、仕事への意識の高い社員が比較的多く、入社3年を経るとステップアップとして他社に転職したり、独立をするものも珍しくはなかった。

鎌田も社員の新たなスタートをビジネスチャンスと歓迎し、応援する姿勢を持っている。元社員の新規事業に積極的に投資しているほどだ。

そんな現代的な社風であるにもかかわらず、翔子は新卒でこの会社に入社してから、勤続10年を超えている。彼女の同期はほぼ残っていないという。

あげく、数ヶ月前には人事部に新設された謎の部署に異動させられたようで、会社としても彼女を持て余しているような印象を未央は感じていた。

― ずっとこの会社にいると、翔子先輩みたいになっちゃいそうだな。

未央はため息をついて、翔子に目をやった。彼女の視線がギッと未央を捉えたような気がし、慌てて目をそらした。




数日後の休日。未央は、優華に突然ランチに誘われた。

東京ミッドタウンの1階に面したシャンパンビストロ『Orange』。

そのテラス席でミモザのグラスを傾けながら、まずは思い出話に花を咲かす。

すると、食事が終わったタイミングで優華から突然申し出があった。

「うちの会社の仲間になってほしいの。今なら新規のプロジェクトリーダーを任せることもできるし」

「え、私の力が必要…??」

いうなれば、引き抜きの誘い。未央の心は揺れ動いた。

彼女の起業をきっかけに、自分はこのままでいいのか、と煩悶している時だったから。

「それって、本気?」

「もちろん。未央みたいに明るく協調性があって、仕事も完璧な子いないもの」

「そんな、普通のことなのに……」

「未央にとっては普通だとしても、世間にはなかなかいないの。そんなすごい人を、あんな会社に埋もれさせたくないと思って」

ここまで自分が評価されているとは思ってもみなかった。

優華の目はじっと未央を見つめ、きらきらとしている。




それ以上に未央の心を奪ったのが、彼女が座る隣の椅子にポンと置かれたレディ ディオール。

優華の服装も、在職時よりも心なしかキラキラと華やかになっているようにみえた。

「考えてみる」

と言いながらも、未央は前向きだった。

答えは決まっていたが、二つ返事だと格好悪い。

明日、退職の段取りを確認した上で、回答しようと心に決めた。

「信じてるから」

優華は未央に手を差し伸べる。だけど、なぜか手を取る気にはならなかった。

「握手は、心が決まってからね」

なぜなら、ひとつ、引っかかっていることがあったからだった。


数日後。

未央が退職を念頭に、ボーナスや有休の計算をし始めていた時。社内ポータルサイト内新着ニュースに社長からの【ご報告】が流れてきた。

<社内ベンチャー事業化第1号決定!空き時間を有効活用する新たなマッチングサービスが始動>

その事業の社長として名があるのは、文田翔子の名前だった。

― え、あの翔子先輩が社内起業……!?




思わず読み進める。

どこか身体が熱くなっている自分がいた。

文章の最後には、翔子の会社設立に対しての意気込みが綴られている。

<長年準備に取り組んできたこの事業にチャレンジする機会を与え、協力してくださった社長には感謝しております。やりがいのある仕事に風通しのいい環境。このような会社に身を置けている自分はとても幸運です──>

媚びなど微塵も感じさせない、会社への感謝の気持ち。

その内容に、未央は思わず首がもげてしまいそうなほど頷いてしまう。

実はあの時、優華からの誘いで唯一引っかかっていたのは、その点だった。

彼女がランチを食べながら口に出していたのは「業務の割に、給与が低い。好きな仕事ができない。人間関係が希薄。評価されない」などどいう愚痴。

あげく、「あんな会社」よばわり…。

未央を誘うための演出であったとしても、どこか気分が悪かった。

優華が並べた会社の欠点のいずれも、実は未央からしてみれば、不満はなかったから。

そんな中、地道に職務を全うしていた翔子が、きっかけを掴み社内ベンチャーのトップになった。

それは未央にこの会社へのさらなる希望を生み出し、隠れていた想いに気づかせてくれたのだった。

― 私、この会社、大好きなんだ……!

理由が何であれ、会社を離れ、羽ばたいていく同期。その先には何があるかわからない。

たとえ晴れやかな大空だったとしても、未央にとっては今こうして身を置く風通しのいい鳥かごこそが、この上ない楽園だった。




翔子にお祝いのメッセージを送信すると、返事はすぐにきた。

<鈴本、今日ランチか退社後に時間ある?ちょっと話があるの。行ける?>

嬉しさのあまり、隣のデスクの同僚にこのことを話したところ、こんな言葉が返ってきた。

「翔子さん、実は密かに鈴本さんを評価しているよ。メンターの時から、べた褒めだったし。もしかして…」

尊敬している先輩が、ああ見えて陰で自分を認めてくれていた。

それを聞いただけでも、未央はうれしかった。

<翔子先輩が行くならどこでも行きます!>

ランチOKの返事と共に、そんな文章を綴る。

それとともに、優華からの誘いをどうやって断ろうかと考えていた。

▶前回:【ご報告】に取り憑かれたインフルエンサー。彼女が投稿で表明した驚愕のお知らせとは

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