オトナになったら、“卒業式”はないけれど、卒業したいものがある。

過去の恋に執着している自分、臆病な自分、人付き合いが苦手な自分…。

でも、年齢を重ねた分、思い出もたくさんあって手放しづらくなるのが現実だ。

学生のときみたいに、卒業式で強制的に人生をリセットできたらいいのに…。

そんな悩めるオトナたちが、新しい自分になるために奮闘する“卒業ストーリー”。

この春、あなたは何から卒業する?

▶前回:「一口ちょうだい」初対面にもかかわらず、ソファ席で男に甘える女。周囲はドン引きでも…




Vol.4 彼氏とケンカばかり(優希・29歳)


「映画館で映画観てる途中でトイレに行くって、あり得ないでしょう…」

優希は苛立ちを隠せず、壮亮を責める。

有楽町で映画を観た帰り、『TexturA(テクストゥーラ)』に移動して食事をしているところで、優希の不満が爆発した。

「仕方ないだろう。映画が3時間以上もあるなんて知らなかったんだから」

「子どもじゃないんだからさぁ…」

壮亮の言い訳に、優希は呆れてため息をつく。

最近、2人は一緒にいると常にケンカをしていた。

今日はせっかくの土曜日ということで、仲直りを兼ねて映画デートを敢行。

映画ならば会話をすることもなく、ケンカになる場面もないだろうと思っていたところでの、壮亮の失態だった。

「それにさあ。途中で10分近く抜けてたのに、偉そうに映画の感想言わないでよ」

自分の行動を棚に上げて映画を批判する壮亮の姿に、優希は腹が立った。

また、映画の終わる時間を計算して、歩いて移動できるちょうどいい店を予約したにもかかわらず、壮亮からは礼のひとつもないことも気に障った。

「とにかく、壮亮は計画性がなさすぎる」

優希の指摘に、壮亮は口をつぐむ。

「仕事は急に辞めちゃうし、やりたいこともコロコロ変わるし…」

「その話は、今は関係ないだろう…」

壮亮を責めているうちに拍車がかかり、クレームが止まらなくなる。


優希が壮亮と出会ったのは2年前。

優希はアパレルブランドでデザイナーとして働いていて、プロモーションを依頼していた大手広告代理店に勤める壮亮と知り合った。

当時、お互い26歳と同じ年齢ということもあって話も合い、仕事に注ぐ情熱にも相通ずるものを感じ交際を始めた。

すぐに同棲を始め、リスペクトし合える良好な関係を築いていけると思っていたのも束の間、突然、壮亮が会社を辞めたのだ。

「仕事で関わっているうちに、映像を作る側に回ってみたくなった」

壮亮はそう言って、映像制作会社に転職した。

しかし、これは壮亮の迷走の始まりにすぎなかった。

CM制作に携わっていたが、望んでいた状況と違ったのか、「やっぱり映画が撮りたい」と言って脚本を書き始めた。

かと思いきや、「自分は小説のほうが向いているかもしれない」と言い出し、文芸賞に応募するための執筆を始めた。

とにかく、壮亮の仕事に対する信念に欠ける姿勢や、計画性のない生き方に苛立ちをおぼえ、優希はヒステリックにならざるを得ない状況となっていた。

「壮亮は、ブレまくってるんだよ。何をやっても上手くいかないのはそのせいだから」

こうして今もつい短気を起こし、強く当たってしまう。




「そんなこと…。なんでもやってみなきゃわからないだろう」

「わかるよ。壮亮はマーケティングのスキルには長けていたけど、クリエイターとしての才能はない!」

優希は勢いよく立ち上がると、少々言い過ぎてしまったと後悔しつつ、店をあとにした。



優希は、その足で豊洲に住んでいる妹の李奈のマンションを訪ねた。

昔から姉妹仲が良く、相談も気兼ねなくできる間柄であり、壮亮に対する愚痴も散々聞いてもらっていた。

「ホント。壮亮は計画性がなさ過ぎて困るよ…」

優希は今日のここまでの経緯を伝え、ため息を漏らす。

「お姉ちゃんは完璧主義だからなぁ」

李奈にとっては常日頃聞かされている話であり、想像に容易いとばかりに相槌を打つ。

李奈の言う通り、優希はここまでの人生を、ほぼ思い描いた通りに進んできている。

ファッションデザイナーになることは、人生の目標として定めたなかで最たるものである。

高校生のときに志し、そうなるためにはどうしたらいいのか、人生を逆算して考えた。

進むべき大学を定め、必要な知識を習得。在学中にニューヨークへの留学を目指し、必須となる英語の勉強にも励んだ。

就職したいアパレル企業を選定し、対策を練るとともに人脈作りも欠かさなかった。

そして今は、30歳でオリジナルブランドを立ち上げるために着々と準備を進めている。

ここまで、設計した通りの人生を歩んでいる。

だがその順調な足取りが、壮亮と一緒にいると狂わされてしまうではないかと不安に陥るときがある。

「あんまり壮亮さんを責めすぎても、可哀想じゃない?」

「私だって怒りたくないけど…」

「人生、そんなに思い通りになることばっかりじゃないよ」

李奈はそう言うと、視線を部屋の隅に移す。




そこにはベビーベッドが置いてあり、まだ1歳に満たない小さな子どもが眠っている。

「私だって、まさかこんなに早く結婚して、子ども産むなんて思ってなかったし…」

李奈も昨年までは、ウエディングプランナーとしてバリバリ仕事をこなすキャリアウーマンだった。

ところが、交際していた彼とのあいだに子どもができてしまった。

ブライダル業界で働くことは李奈にとって念願であり、キャリアを阻まれるのではないかと悩んではいたが、結婚を選択し、今は育休中の身である。

「でも、産んで良かったと思ってるし、今はすごく幸せだよ」

妹に諭され、優希は「うん…」と頷くものの、釈然とはしていない。

生きていくうえで、思いがけない事態が起きることは想定している。

だが、明らかにハプニングに巻き込まれるとわかっていて、壮亮と一緒にいるのはいかがなものかと思うところはある。


昨日は李奈の家に泊まらせてもらい、今日、優希は昼過ぎに出て、渋谷にあるフィットネスジムに向かった。

これまでも激しいケンカはしてきたが、家出をしたのは初めてだ。壮亮からLINEが何件も届いていたが、無視し続けた。

壮亮に対して言い過ぎたという後悔もあるが、責められて当然という思いもあり気持ちに整理がつかず、抱えたストレスを体を動かすことで発散させる。

― はぁ…疲れた…。

トレーニングを終え、着替えを済ませると、心地良い疲労感に包まれる。

おかげで当面の問題から意識を反らすこともできた。

― この後どうしよう。どこかで夕飯でも食べて行こうかな…。

そのまま自宅に戻る気にはなれず、寄り道する場所を模索する。

すると、ジムの建物を出たところで、「優希!」と名前を呼ばれた。

振り返ると、壮亮が立っていた。




「ええ…。なんで…」

「毎週日曜日のこの時間は、ジムに行くって決めてるだろう?」

計画通りに進めなければ気が済まないのが優希の性格ゆえ、行き先を読まれていたのだ。

「家に帰って、少し話そうよ」

「無駄だよ。どうせわかり合えっこないんだから」

優希がその場を去ろうとすると、壮亮が呼び止める。

「いいの?ドラマ、見るんだろう?」

― あ、そうだった…。

壮亮が指摘する通り、優希は今クールの大河ドラマは毎週欠かさず見ているのだった。

壮亮に心を見透かされ、手のひらで転がされているような気分になり、どこか居心地が悪い。

「優希に、伝えておかなきゃいけないこともあるし…」

「伝えておくこと…?」

思うところはあるものの、ひとまず胸の奥にしまい、壮亮の言葉を受け入れて自宅に戻ることにした。



青山にある自宅マンションに戻ってきたところで、壮亮が早速話を切り出す。

「俺さ。今度、本を出すことになって…」

「本…?この前、文芸賞に応募してたやつ?締め切り過ぎてて、返却されたんじゃなかったっけ?」

「いや、それじゃなくて…」

壮亮がスマートフォンを操作して、優希の前に差し出す。

「なに?Twitter?」

「うん。俺が別アカウントでやってたやつなんだ」

「ふ〜ん。で、これがどうしたの?」

「これ、俺と優希の生活の様子を毎日更新してたんだ…」

壮亮は、“完璧主義の彼女”と、“行き当たりばったりの自分”との噛み合わない暮らしぶりを、面白おかしく綴っていたという。

「これが意外と好評でさ。出版社の目に留まったらしくて、『本を出しませんか?』って連絡が来てさ…」

画面を縦にスクロールしてみると、5,000件を超える「いいね」が付いているツイートもある。




「まだ、小説になるかエッセイになるのかは決まってないんだけど。一応、優希のことも書いてあるし、話を通しておくのが筋かなと思って」

壮亮の言葉を、優希は半ば上の空で聞いていた。

正直、優希は驚いていた。

優希自身、今まで明確な目標を立て、それに向けて何が必要なのかを逆算して考え、無駄のない努力を重ねてきた。

しかし、壮亮はといえば、目標など掲げず、目移りしながらもやりたいことをやってきた。

ただ、あてもなく積み重ねてきたものが形を成し、こうして評価を受けている。

優希は、成功への道筋は、ひとつではないことを思い知らされる。

そして、壮亮に対して、「クリエイターとしての才能はない」と言ってしまったことを心の底から後悔した。

「壮亮、ごめん…」

「え、ダメ…?」

「いや、そうじゃなくて。才能ないなんて言って、本当にごめんなさい…」

「あ、ああ、なんだ。いいよ別に。俺のほうこそ、もっと早く伝えるべきだったんだけど、もし断られたらって思ったらビビッちゃって…」

― 伝えられなかったのは、私のせいだよね…。

優希は、日ごろから自分が短気を起こしやすかったのが原因に違いないと思った。

イライラしてばかりで、ろくに話も聞こうとしない自分とよく一緒に居られたものだと、壮亮の懐の深さに気づく。

― 少し考えを改めなきゃ…。

「私も、これから気をつけるね。自分の生き方は変えられないけど、怒りっぽい性格から卒業したいと思ってる」

優希が反省の弁を口にすると、壮亮が急に真顔になる。

「それは困る!」

「え、ええ…?なんで?」

「だって、ネタがなくなる!」

優希が呆れて吹き出すと、壮亮もつられて笑い声をあげた。

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