空港は、“出発”と“帰着”の場。

いつの時代も、人の数だけ物語があふれている。

それも、日常からは切り離された“特別”な物語が。

成田空港で働くグラホ・羽根田(はねだ)美香は、知らず知らずのうちに、誰かの物語の登場人物になっていく―。

▶前回:パイロット訓練生とグランドスタッフ。いい感じだった2人の仲が、一晩で急激に冷めたワケ




Vol.8 亜依子の物語
もし、直行便に乗っていたら…


「うん…これでいいかな」

ライターの亜依子は、ワードプレスに打ち込んだコラムを「レビュー待ち」の状態にして保存した。

今月の記事のテーマは、SOHOのカフェ特集。

ブルーライトカットの眼鏡を外し、目頭を強く押さえる。

― 結構、集中して書いたよね。

ふと時計を見ると、執筆を始めてからすでに3時間が経っていた。

アメリカ人の夫・マシューと結婚した亜依子は、ニューヨークで暮らし始めてもうすぐ2年。

9年勤めた新聞社を辞めたタイミングで、元同僚からWEBでの連載枠をもらい、フリーライターに転身した。

それで今、こうしてニューヨークに関する原稿を書いて収入を得ている。

亜依子は、周辺の飲食店について、人気店だけでなく穴場まで知り尽くしてきた。情報通だと評判で、コラムのPV数も軒並み伸びている。

慣れない海外生活だが、仕事だと思うと積極的に外出できた。おかげで、暮らしは思っていたよりもずっと充実している。

ただ亜依子には、ひとつ気がかりなことがあった。

― こっちでの生活も落ち着いてきたし、そろそろ一時帰国のことも考えなくちゃ。

まさにそう思ったタイミングで、スマホがブーブーと振動する。画面には、“母”と表示されていた。

「…もしもし、亜依子?」

電話越しに震える母の声を聞いて、亜依子は不安が現実のものになったのだと察した―。


「お母さん、こんな時間にどうしたの?」

ニューヨークは、ちょうど24時を過ぎたところだった。

母からの連絡は、LINEがほとんどだ。遅い時間に電話がかかってくることは滅多にない。亜依子は、嫌な予感を覚えずにはいられない。

なんとか平静を装う。

ところが―。

「おじいちゃんの具合がよくないんだけど、近々帰ってこられる?」

― あぁ、やっぱり…。

亜依子は、ニューヨークから10,800km以上離れた東京へと思いを馳せた。




亜依子は、大学を卒業するまでの22年間、目黒区青葉台にある実家で、両親と祖父と一緒に暮らしていた。

両親はともに教員で、亜依子の教育には取り分け熱心だった。

学業だけでなく、友達付き合いにも口を出されることが多く、少しでもレールから外れそうになると厳しく