文句のつけようのない男性から、直球の告白。女がためらった、唯一の理由とは?
東京に住む大人だったら、思い出深いレストランが一つはあるだろう。
これは東京のレストランを舞台にした、男女のストーリー。
今回は、『令和の玉の輿ガール』で大反響を呼んだ、松岡里枝さんに取材。
ティーン誌の人気読者モデルを経たのち、ブランドのディレクターとして活躍。
経営者の男性・智樹さん(仮名)と結婚し幸せを手に入れた松岡さんの、レストランにまつわる恋のストーリーとは―?
▶前回:「入籍しておけばよかった…」3年前に結婚式を延期して、彼との関係が壊れ始めて
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Vol.28 里枝(32歳)仕事と恋愛のはざまで【前編】
2016年9月30日。
マンションの玄関でヒール靴を脱ぎ、私はふうっと一息ついた。
今日、“最後の仕事”を終えた。
廊下を歩き、リビングへと続くドアを開ける。電気をつけると、いつもの私の部屋が浮かび上がった。
本棚にズラリと並ぶのは、私がモデルを務めていたティーン向けの雑誌。
キッチンには、置ききれなくなった洋服や靴が所狭しと並んでいる。
そして、自分が立ち上げたブランド「Ank Rouge」のデザインラフやカタログが、テーブルの上に山積みになっている。
私はその山に手を伸ばし、ラフを一枚をめくりあげて、ソファに座りながらじっと見つめた。
「Ank Rouge…楽しかったな」
私は今日、約6年半勤務した会社を辞めた。
そして、Ank Rougeのブランドディレクターを退任することにした。
― なんかこの数年間…ずっと夢を見てるみたいだった。
軽く目を閉じ、20代前半の日々に思いを馳せる。
よみがえるのは、慌ただしく駆け回ってきたたくさんの時間。
幼い頃から憧れだったティーン誌モデルの仕事や、同じく憧れだった洋服のブランドディレクターの仕事。
本当にずっと、夢の中を生きているような気分で走ってきた。
寝ても覚めても、考えるのは仕事のことばかり。「夢中」とは、文字通りこういうことなんだと思い知るような日々だった。
そんな私に葛藤が芽生えたのは、数年前のことだ。
“この服が、心から好き”
自分がそう思える洋服をプロデュースして、多くの人に喜んでもらう。
それこそが、ブランドディレクターとしての醍醐味だった。
しかし、なぜだろう。
20代も半ばに差し掛かってきた頃から、私の好きな服の系統が変わった。
気づけば「Ank Rouge」の可愛らしいデザインは、今の自分にはしっくり来なくなっていたのだ。
― 正直、最近の私は、もっとシンプルな服を着たがっている…。
その変化を自覚した瞬間、「退任」の二文字が頭に浮かんだ。
ブランドへの限りない愛着はある。だから丁寧に引き継ぎの準備をして、ようやく今日、次のディレクターにバトンを渡したのだった。
スマホを手に取り、Twitterに挨拶を書き込む。
『関わって下さったすべての皆様、ありがとうございました』
26歳。
ここまでよくやったと思う。
◆
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ブランドディレクターを退任して、2ヶ月。
一心同体だったブランドの仕事がスッとなくなり、人生が一段落したような気持ちになっている。
今の私には、なにか新しい目標があるわけではない。
かといって“抜け殻状態”とか“燃え尽き症候群”になったわけではなく、新しい毎日にわくわくしている。
仕事ばかりしていた頃にはできなかったことが、私にはたくさんあるからだ。
― よーし。料理教室にでも通おうかな。自炊できるようになりたいし!
料理もそうだが、色んな人に出会うことも、やりたいことのひとつだった。
今までは仕事が多忙で、出会いの場になかなか行けなかったのだ。
ありがたいことに最近、友人から「食事会があるんだけど行かない?」と誘われることが増えている。
おかげで、いろいろな出会いがあった。
何人かの、素敵だと思える男性にも出会った。
― でも、大恋愛って感じの出会いは…全然ないなあ。
◆
そんなある日。
私は女友達と2人でディナーに出かけた。
帰り道、「もう1杯だけ飲んで帰ろうよ」と言い合い、お酒がおいしいと評判のカジュアルなバーに入る。
席に案内された、そのとき。
「あれ?里枝さん?」
「あ、えっと…」
隣の席の男性から、声をかけられた。じっと見てみると、どこかで見覚えのある顔…。
― そうだ、1ヶ月前に麻布十番でやった食事会にいた、智樹さんだ。
思い出すのに時間がかかったのは、智樹さんとは、ほとんど話したことがなかったからだ。
というのも先月の食事会では、中華料理店の大きな円卓に男女3対3で座った。
智樹さんとは席が遠かったし、直接は会話するタイミングがなかった。
― 連絡先は交換していたような気もするけど…。
「智樹です。覚えていますか?」
「あ、もちろん!先月の食事会ですよね。あのときは、ありがとうございました」
智樹さんは、同席している友達だという男性を紹介する。
私も友達を紹介して、自然に4人で飲むことになった。
智樹さんと話して思ったのは、会話のテンポが心地いいということ。
他愛ない世間話でも、なんだかすごく盛り上がって、あっという間に時間が経ってしまう。
「あ…こんな時間か。そろそろ帰らないと」
「そっか。じゃあ、タクシー呼びましょう」
皆でお店の外に出るとき、智樹さんは歩きながら、私にそっと耳打ちした。
「連絡しますね」
それからためらいのない様子で「よかったら、2人で食事にいきましょう」と付け加えた。
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1ヶ月後。
「里枝さん、付き合ってくれませんか」
鮨カウンターで2人で乾杯をしたあと、智樹さんは、しっとりとした声で言った。
告白されたことに対する驚きはない。
実は、あれから智樹さんとは週に1〜2回のペースで会っている。しかも、毎日LINEをしていたし、電話だって何度もくれた。
極めつきには電話で、「里枝さんと付き合いたいと思っています」とさらっと言われたこともあった。
私は、昔から押しに弱いので、まっすぐなアプローチに心が奪われかけている。
― 今日あたり告白されるかなって期待してた。だけどな…。
彼の整った横顔をじっと見ると、モヤモヤした気持ちが湧き上がる。
― だって彼、本気なのかな…?
何度か会う中で知ったのだが、智樹さんは経営者で、しかもかなり成功しているようだ。
それに優しくて、整った顔の持ち主。確実に、引く手あまただと思う。
― こういう男の人って…女遊びするよね?
これまで見てきた経営者の男性たちは、全員とは言わないが、奔放に遊んでいる人が多かった。
― 私も、遊ばれるのかな。
本当に、智樹さんを信用していいのだろうか。
返事に迷ったまま、カウンターの奥に置かれた上品な生け花をじっと見つめる。
― どうしよう。
チラリと智樹さんを見ると、彼は優しい目でこちらを見ていた。
自分の胸が、速く脈打っているのを感じる。
― 信じて…みようかな。
最悪、遊ばれて傷つくかもしれない。でもここで告白を断ったら、きっと後悔するだろうと思った。
「よろしくお願いします」
智樹さんの目を見て、精いっぱいの笑顔で伝える。
彼は、本当に嬉しそうに「うん。よろしくお願いします」と言った。
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「智くん、ただいま」
私は、赤坂にある彼のマンションに帰宅する。
付き合って1ヶ月。気づけば、ほぼ同棲状態になっていた。
洋服など、必要なものを取りに帰っては、智くんの家に戻る日々。
「おかえり!待ち遠しかったよ」
智くんはいつも、たった1日私が自分の家に帰っただけで「次はいつ来るの?」と聞いてくる。
付き合う前から感じていたまっすぐな感情表現が、私には心地いい。
結局、鮨カウンターで私が抱いていた不安は、杞憂に過ぎなかった。
智くんは、私と付き合ってからピタッと飲みに行かなくなったのだ。
それから、何人もの友人に「彼女」だと紹介してくれた。
― 私を安心させようとしてくれている…。
彼のそんな気持ちがうれしくて、信頼はどんどん大きくなっていた。
「そうだ、里枝」
「ん?」
「これからさ、月1回は一緒に旅行にいかない?」
智くんが、愛しそうに私を見る。
「いいかも!でも、智くんって旅行好きだったの?」
「いや、今までは別に好きじゃなかった。けど、里枝といろんな思い出作りたいんだ」
わかる、と思った。
私も旅行が特別好きなわけではない。でも、智くんと世界中で、思い出をたくさん作れたら、どんなに幸せだろう。
大きなソファの上、智くんの隣に座り、一緒に旅行プランを探し始める。
しばらくすると、彼は「おっ」と言い、スマホの画面を私に見せてきた。
「見て。こんなのある。どう思う?」
画面に表示されていたのは、伊豆の温泉旅行のプラン。
と言っても、ただの温泉旅行ではない…。
【東京から伊豆へ、ヘリコプターで40分。
1棟貸しホテル(ガーデン・プール付)滞在プラン】
「へ…ヘリ…?」
「いい思い出になりそうじゃない?」
智くんは目を細めた。
「そうね。このプールも素敵。…でも、いいの?」
「もちろん。里枝と最高の思い出作りたいからね。予約しとく」
― 絶対に高いと思うのに。
うれしそうな表情で予約の手続きを進めてくれる智くんを見て、私は幸せを噛み締めた。
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付き合って1年。
伊豆、沖縄、台湾、ハワイ…。
旅行先の数々の思い出が、カメラロールにたまっていく。
― 次は、智くんとどこへ行こう。
行きたい場所を思い描いていた、その矢先だった。
寝室でスマホを見ていた智くんが、突然、深刻な顔で言ったのだ。
「しばらく、お出かけは厳しいかも…」
▶前回:「入籍しておけばよかった…」3年前に結婚式を延期して、彼との関係が壊れ始めて
▶1話目はこちら:港区女子が一晩でハマった男。しかし2人の仲を引き裂こうとする影が…
▶NEXT:3月19日 日曜更新予定
【後編】智樹の言葉の背景にあった、ある出来事とは?
今回、取材させていただいたのは…
松岡里枝さん(32歳)
ティーン誌で読者モデル、ブロガーとして活躍しながら、2010年に立ち上げたブランド「Ank Rouge」が若者の間で一大ブームとなり、2011年に繊研新聞社の新人賞を受賞。
2021年より、上質な大人向けブランド「efla」をスタート。ディレクターとして企画、デザインなどに携わる。
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